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生涯忘れられない山行
荒川三山、赤石岳厳冬期縦走
佐藤 孝雄

山行日 1979年2月8日~14日
メンバー (L)須貝、佐藤(孝)

 いつもなら長い間山にはいる1週間ぐらい前にハイキング程度の山行を終えて入山していたが、今度は時間的に余裕がなかったので、入山予定の1週間ぐらい前から毎晩トレーニングを始める。
 これは体力に自信がない理由と新しい登山靴の足慣らしのためである。
 トレーニングを始めて3日目、左足の膝に激痛を覚える。増々不安が脳裏をかすめ、2日間治療に専念する。しかし、温湿布をして、またトレーニングを開始。左足は大丈夫のようなので少し気持ちが和らぐ。
 待ちに待った山行である。ルームに出席の後(これは私の都合上ルームの日と重なる)、皆さんにすっかりご馳走になり東京駅に直行。もうすっかり出来上がってしまって....。列車は一路富士駅へ出発。
 富士駅では狂い水に浸りながら身延線の始発を待つ。待てど時間の経つのがいやに遅く感じる。やっと列車の到着である。我々二人はそそくさと乗り込む。始発のためか人影はまばらなので長椅子に大の字になって寝る。しかし、古い列車なので暖房など入っていないのではないかと高をくくっていたところ、これがなんとしっかり暖房が効いているのですぐ寝込んでしまう。実に気持ちの良いものである。
 もうそろそろ身延に着いてもいい頃ではと思い、目を薄っすら開けてみる。すると、目に飛び込んできたものは、み...、みの...、みのぶ(この間、かなり長かったような気がする)と書かれた看板である。
 すぐ須貝君に身延に着いたと言うと、びっくりした顔(この時のような顔を鳩が豆鉄砲をくらった顔とでもいうのでしょうか)で慌てて降りる。タッチ・セーフ。この「勘」の良さ。我ながら感心する。実に僕の頭も単純そのもの....。終着駅甲府まで乗り過ごさなくて良かったと話しながらバスを待つ。朝飯に駅弁でも買うつもりでいたが売っていないので駅弁ならぬ菓子で我慢する。
 2月8日(木)快晴
 1時間半ぐらいバスに揺られて田代入口で下車。やれやれと思いながら午前9時歩き始める。春山を思い出すような気候なので汗が吹き出るような感じ。ようやく午前10時20分、田代ダムに到着。
 休憩していると発電所の人から、一人入山していることを聞き、よし我々も頑張らねばと思いながら登り開始である。交互にトップに立ちながら前進する。雪も少しずつ多くなり、またクラストしたりしてきて歩きにくくなる。
 須貝君は快調なペースで登って行く。私は何だか胃の調子が悪くなりオマケに吐き気がしてくる。
 やっと保利沢小屋跡に着く。見ると前方に吊橋を発見。吊橋の嫌いな三峰の某氏が渡る格好を思い出すと笑いがこみ上げる。いよいよ急登になりゼイゼイ言いながらの登りである。これで増々胃の調子が悪くなる。ここは男一匹、「胃の調子が悪くて歩けない」などと言えないのでじっと我慢して付いていく。ほんとにじっと我慢の子であった。
 でもついにノックダウンの時が来たのである。伝付峠の取付点である。時計は午後3時を指している。今日の予定では二軒小屋まで行かなくていけないので、これはかなりの誤算である。
 須貝君にお詫びをする。すると、心優しい須貝君、ここでテントを張ろうと言ってくれる。ホッとする。今までこんな目にあったことがなかったので何が原因か判らず、夕飯の後、就寝する。
 2月9日(金)快晴
 4時起床、昨夜はよく眠れたので今日こそは「頑張らねば」と思いつつ朝食を食べる。6時40分出発。伝付峠に8時55分着。富士山が美しい姿を現している。まるで我々を歓迎しているかのようである。伝付峠の下りの途中、登ってくるおじさんと一匹の犬に会う。話すと発電所の水量を見に来ての帰りである。この犬が随分と肉付きがよく、毛並みも良いので犬の食べ物を聞いてみました。ドキッー。もしや今回の我々の食料よりも良いのではないかとしきりに思う。人間様が犬に負けるなんてもう惨め。
 二軒小屋に11時到着、すぐ目に入ったのが新築されたばかりと思える二軒ロッジである。休憩の後、マンボー沢~千枚岳への急登の開始である。次第にラッセルが大変になってくる。ほぼマンボー沢までの中間地点と思われる場所にテントを張る。午後4時15分である。
 二人共に狂い水は大嫌いなので1日の分量を決めて飲む。しかし、つい量を超えてしまう。
 2月10日(土)晴れ後曇り午後吹雪
 午前4時起床。今日は少し遅い出発で7時20分である。昨夜は一睡もできなかったので、今日は動けるか不安が脳裏をかすめる。急登が続く。ラッセルもきつくなり、やっとマンボー沢の頭に到着。
 須貝君は快調そのものであるが、僕はまた胃の調子が悪くなりダウン寸前である。終始、須貝君にラッセルを任せる。「申し訳ない」と思うが、もうどうしようもない。千枚岳の近くに差し掛かると吹雪は一層強くなり、ガスもかかってきて視界が利かなくなる。千枚岳の直下に差し掛かった時、須貝君に「佐藤君、ピッタリ付いてこい、遭難するぞ」と言われて、ハッと我に返る。
 明日は停滞かもと思い、これはテントよりも小屋に入ったほうがベターなので必死に小屋を探すが見当たらず仕方なく樹林帯に逃げ込む。明日は停滞と思いつつ、アフタースキーにどっぷりと浸る。驚くことにボトル1本以上飲んだ量なのである。二人共、大嫌いなのによくもこんなに飲めるものだとつくづく感心する(これほんと)。
 2月11日(日)快晴
 7時50分出発。千枚岳の直下で赤石岳の雄姿が美しい。風も強くなりこれから先、今回の最大難所「悪沢岳の下り」に差し掛かるのである。気を引き締めて歩き続けるが、どうも体調がすぐれない。遂に悪沢岳の登りでグロッキー。これまで、なぜ体調が悪いのか判らず、もしや二日酔いではないかと思い始めて薬を飲む。抗生物質なので二日酔いに効くはずがないと思いつつも気休めに飲む。
 悪沢岳から中岳の登りはとてもシビアでナイフリッジになっており落ちれば絶体絶命のピンチに立たされる。もう祈る気持ちで無事通過。心臓が縮み上がる思いであった。強風なのでアイゼン、ピッケルで身を固めながらの登りである。今日の予定では赤石小屋までであるが、無理なので荒川小屋に入ることにする。小屋はかなり埋まり冬期は二階から入るようになっているためよじ登る。今回の山行で初めての小屋泊まりである。テントに比べ心身共にくつろげるような気がする。小屋の雨戸を雨戸を一枚修理する。今夜はいままでの苦い経験からアフタースキーは控え目にし就寝する。
 2月12日(月)快晴
 昨夜も一睡もできなかったので体が重い。いままで「眠れた」と感じられたのは初日だけなのである。6時45分出発。危険と思うが大聖寺平までトラバース気味に登り続ける。途中、雷鳥の群れに出会う。とても美しく丸々と肥っている。伝付峠の下りでおじさんと犬に会って以来だったので親しみを覚える。大聖寺平着、7時45分。いよいよ待ち焦がれていた赤石岳へのアタック開始である。須貝君は12本アイゼンのためかビンビンと登る。小赤石岳から赤石岳に向かってかなり雪庇が張り出している。雪煙が実に綺麗である。やがて念願の赤石岳山頂に9時45分に立つ。
 山頂からの眺めはとても素晴らしいもので、南アルプスの山々の雄大さに「これが山だ」と思う。赤石岳を少し下った赤石岳小屋の中は2/3くらい雪で埋まっており、昨日ここまで来なくて良かったと話し合う。
 小赤石岳から大聖寺平まで滑落停止や尻制動をしながら下る。今日の行動は広河原小屋までの下りだけ。今日で山を下りるのかと想うと....。
 広河原小屋到着、午後4時である。小屋の中は恐ろしく汚い。しかし、冬期小屋を開放してくださる所有者に、ただただ頭が下がる思いである。今夜が入山最後なので盛大なパーティを催す。
 2月13日(火)快晴
 僕は起きてみると顔がフグのように膨れているのでびっくりする。広河原小屋を8時に出発する。嫌なことに今日、小渋川の渡渉が残っている。さぞ冷たいだろうと思いながら、ひたすら歩き続ける。須貝君に「大河原に着いたら最初に何をしたいか」と聞く。するとタバコが吸いたいという返事である。なにしろ軽量化のためタバコは持参しなかったのでつくづく本音だと思う。私は「ビールを飲みたい」と返事をする。
 とうとう小渋川の渡渉に差し掛かる。第一歩、石に足をかけたところ「つるり」水の中に....。後ろで須貝君の一回という声が聞こえる。振り向くと須貝君も私と同じ場所で私と同じ目に遭う。
 一旦水の中に入ってしまえば水の冷たさなんか関係ないと、つくづく思う。厳冬期にしては暖かくて21回の渡渉を終える。しばらくして小渋ノ湯に着く。ここで一風呂と思うが、まだ先があったのでしぶしぶ諦める。
 釜沢まで来た時、後ろから車が来る。「もしや、乗せてもらえるのでは」と甘い考えになる。チャンス到来である。乗せてやると言うので勢いよく飛び乗る(日頃の行いが良いからですぞ、これは....)。大河原到着、12時30分。今日の泊りは小渋温泉保養センター「赤石荘」。この場所に行くには大河原のバス停から3kmも引き返すことになってしまう。「せっかく大河原に着いたのに」と思いながら、とぼとぼ歩き始める。赤石荘到着。
 温泉でくつろぐ。我々は行きていて良かったと感じた一瞬であった。
 2月14日(水)小雨後午後晴れ
 今日は帰るだけ、何とわびしいことやら、バスに揺られふと昨年、塩見岳に来た時のことを思い出す。
 今回の山行で私は今までバテたことがなかったので、体力不足を嫌というほど味わされました(この原因には、二日酔いも含まれているのですが....)。
 何と言っても成功へ結びついたものは、須貝君の「功績」です。改めてお礼申し上げます。
 また、私は生涯の良き思い出の山行になると思っています。幼稚な文章になってしまったので赤面の至りです。


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