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第二冬山合宿 八ヶ岳 その1
中村 由紀子

山行日 1978年12月29日~1979年1月1日
メンバー (L)稲田、播磨、田原、江村(皦)、山本、佐藤(明)、島田、田代、山柴田、中村、渡辺、能地、桜井、鈴木(嶽)、川田、熊沢、野田

 柔らかな優しい陽射しに包まれて、山靴に保革油を塗っている今、髪の先や睫毛までも凍らせたあの寒さが信じられない。
 昨年の秋の始めに三峰に入会してわずか4ヶ月ほどの新人の私が生意気にも春山も経験せずに冬山合宿へ参加するということはやはり勇気のいることでした。
 昭和53年12月29日
 その日私は集合時間10時よりも1時間ほど早く新宿駅に着きました。それでも時間は既に遅かったんです。後30分早く着いていたなら....そう思いつつアルプスの広場にザックを下ろして途方に暮れていました。実は、共同装備のテントの張綱にするためのシュリンゲを用意していなかったんです。責任を感じてしばらく自己嫌悪に陥っていましたが、兎に角何とかしなければと思いザックを残してホームへと足が向いていました。一般的に登山店は9時閉店のはずだから、どう頑張ってもシュリンゲを手にすることは全く期待できないことだと思ったけれど....。それでも藁をも掴む気持ちで偶然そのホームにいた古典派山屋さんのような男性に訳を話すと、見ず知らずの私に「これでは間に合わんかも知れないが持っていきなさい」とザックから青いシュリンゲを出して渡してくれました。感謝の気持ちと羞恥心でとても複雑な気持ちでした。そんな事があってしばらくすると集合時間の10時になったので集合場所のいつもの所へ行くと今回の女性メンバーの山柴田さん、島田さん、田代さんが来ていたので早速その事を話すと「大丈夫よ、心配しなくても...」と言ってくれたので大分気が楽になったものの、もっと責任を持って行動しなければならないことをつくづく感じました。
 12月30日(晴れ)
 ほとんど睡眠が取れない昨夜の新宿駅12時55分発の中央線は約4時間ほどで私達を茅野駅へと運んでくれました。電車から降りるとやはり少し肌寒さを感じました。朝食を済ませ小休止の後、車で渋ノ湯まで入る。各自装備をつけて、恒例(?)のラジオ体操をして歩き始める。小雪がちらついていてとても寒い。それでもしばらくすると汗が出てくる。2回目の小休止だったか、昼食を摂った時にザックがなかなか持ち上がらずにいると助けてくれそうな気配がしたのですが、「一人で出来ます」と言って、見事に頭からザックごと前のめりになって雪に顔が埋もれてしまいました。その滑稽な姿を見て皆んなで笑うので仕方なく笑いました。
 そうするうちに黒百合平に到着したので、早速黒百合ヒュッテの天幕場にテントを設営しました(青いシュリンゲにお礼をいいながら)。その時、ヒュッテにある寒暖計がマイナス16度だったとか、後で江村さんが言っていました。
 テントを張り終えると早速、宴会が始まりました。仕事の都合で第一合宿の槍を諦めてこちらに参加することになった佐藤さんが一升瓶を片手にぶら下げてやって来た頃は皆んないい気分になりかけていた様子で、瓶の登場は宴会を一層華やいだものにしました、まるで一升瓶を歓迎したような感じで佐藤さんが可愛そうになりました。そして次にやって来たのが渡辺さんでした。外は寒いけれど三峰のカマテンの中は春のように暖かでした。
 12月31日(晴れ)
 朝食を済ませサブザックを背負い元気よく出発する。慣れないアイゼンの重さに間もなく疲れてしまいハァハァ言いながらトップの川田さんに付いて行くのですが遅れがちになり、田代さんと交替して3番目を歩かせてもらうことになりました。そして何とか私の前を彼女が歩くことによって大分気が楽になりました。
 そうして頑張って登っていると意外と早く天狗岳のピークに着きました。青く晴れ渡った空に多くの山々のピークが見えました。
 先輩の方たちが指差す山を眺めながら私も早く遠くに見える山のピークを指さして名前を言えるようになりたいと思いました。
 雲の流れ行く方向や風の吹き方で天候を判断したり、地図を見て現在地がすぐ解るということは当然のことなのでしょうけれど、今の私には驚異的で尊敬さえ感じるんです。本当に....。
 天狗岳を過ぎると夏沢峠の美しい道が見えてきました。雪化粧をした木立の中を木漏れ日に包まれながら歩いたのがとても印象的でした。空の青さと雲の白の鮮やかなコントラスト....。こんなにも美しいものを見ていると、一時でも心を空白にすることができて私はそんな時がとても好きです。
 それから足取りも軽くなって硫黄岳のピークに立つと、第一の槍もきっと良い天気に恵まれていると思いました。そんな事を皆で話しながら周りの山々を眺めていました、そして皆で記念撮影を済ませてB.Cへと帰りました。
 その夜は昨夜のメンバーに今日の午後に着いた桜井さんが加わり、総勢は17名になり、宴会は3時を少し回った頃から始まり延々6時間あまり続いたように思います。18年組の方達が大声で時の流れを懐かしむように歌っていた昭和初期の頃の懐メロはあまり良くわからなかったけれど、川田さんが持ってこられたフォークソングの歌集は一応歌うことができました。こんな時が三峰を感じさせてくれる時なんでしょうね、きっと。
 周りのテントもラジオから聞こえる大晦日恒例番組をBGMにして、それぞれ楽しい時間を過ごしている様子でした。
 楽しい時間も過ぎ、各々テントに戻り女性4人テントの中で寝る前の雑談は、この合宿に来て本当に良かったと思った、もう一つの大切な時間でした....。
何故かシュラフに包まれた私は、とても暖かな気持ちで心地よくいつしか寝ついてしまったようでした。
 1979年元旦
 オハヨーの代わりにオメデトウで目を覚ましました。今日は下山のみ、朝食を済ませ私達がお世話になった4人用のウィンパーテントをたたみ、最初の日のようにラジオ体操をして下山開始。無精をしてアイゼンを付けなかったので何度も転んでしまいました....。2時間あまりで渋ノ湯に着くと朝風呂に入りました。男湯とは窓ガラス1枚隔てたきり、鼻歌や話声も聞こえてくる。そのせいか女性は皆んな早く出てしまう、結局私が一人残った次第です。
 さて今年は何処へ登ろうかと一人でニタッと笑いながら....。

第二冬山合宿 八ヶ岳 その2
稲田 竹志

 八ヶ岳での合宿は近年珍しいと思います。係の私としても八ヶ岳を選んだのは意外だったんですが、日程的にも無理がないしね、たまには八ヶ岳も....といった単純な動機でした。
 10月に場所を決めたものだから押せ押せムードで何となく参加者が17名という大所帯となって、ワーッと実行してしまったが果たしてこれで良いのか少し考える面もあったが、それは次の機会の参考にしよう。何せ都会の山岳会の宿命のような問題です。一つ一つ例会山行や合宿を会員全員で検討して煮詰めて計画するなんてのは、完全に納得できる状態で運ぶことはできないだろう。しかし、最低限度の会の方針を反映させることを忘れることのないようにと思いますね。参加者もただたんに正月に八ヶ岳に行っただけではなく、合宿ならではの楽しい一面も、また参考になる登山技術指導も(そんなのあった?)ためになります。

第二冬山合宿 八ヶ岳 その3
播磨 忠志

 サブリーダーとして参加させていただきましたが、SLとして何もせず皆さんにおんぶにだっこで大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。このコースは8年ぐらい前に川田、鈴木、山本、私の4人で来たことがあり、また4人が今回の合宿に揃って参加できたのは当時を思い出して大変懐かしく、冬山合宿といっても前記の4名ぐらいしか参加はありませんでした。今回十数名が参加してこの合宿を行えたということ、また第一合宿の槍ヶ岳、第二合宿の八ヶ岳とグレードの差はあれ合わせて二十余名が冬山へ入山しているという事実は当会も盛んになったなと、八ヶ岳の稜線の冷たい風に吹かれながら感じました。
 今回第二合宿に参加した新人も先輩を乗り越えて、来年はまた一段上の冬山へアタックしてもらいたいと思います。
 今回は無事冬山合宿を終了しましたが、今年みたいな好天は冬山では大変に珍しいことなので、これに傲らず冬山技術を切磋琢磨してより高度なより安全な冬山登山を続けて下さい。


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