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入会当時を振り返って
鈴木 竹次郎

 私が三峰に入会したのは確か、昭和16年の秋か17年の春だと思います。
 当時は今の地下鉄の神谷町駅の傍の広町に住んでいて、近所に横関、小林(安)、金田、戸部等の諸兄と共に町名を取って広町班と名付けて大いに張り切っていました。
 ここで市中の山岳会へ入会を勧められ、余程怖いと思いながらおっかなびっくり、最初に同行したのは丹沢水無川の本流と記憶しております。右岸のヒゴノ沢、新茅ノ沢、戸沢、セドノ沢、左岸のモミソ沢、源次郎沢を見送り本流の第1の5mほどの棚を直登、第2の棚は覚えていません、第3の棚は5mほどの棚が二段に分かれ右岸に取付き一段目は楽に登り二段目はチムニーで登っていた先輩がスリップ、見上げていた私は声も出ず、ビルの屋上を見上げていて下へと首を動かすようでした。どぶんと水しぶきが上がりリュックだけ水面に浮かんでいました。幸いに釜が深く怪我がなくびしょ濡れで這い上がってきました。後はもう足がちぢみ最後の18mあまりの大棚に威圧されたのを思い出します。同行者は小林(安)、藤巻、その他3人で落ちた人の名前は思い出せません。
 また太田代表に煽てられ100kmの行軍に三峰山岳会と書いた幟を持ち、大山の下の蓑毛で泊り、早朝4時に出発、馬鹿正直に三貫目(11kg)の石をリュックに入れ、大山を登り厚木街道を明治神宮外苑の野球場まで行進です。寝たのは向ヶ丘辺りの道場で3時間くらいでした。明くる日の朝10時に着いたことを覚えております。100kmの平坦地を歩くのは随分辛かったですよ。
 この頃、宮坂さんが陸軍上等兵の軍服でルームに現れたのには驚きました。私も赤紙が来た時、日の丸に会員の皆さんに寄せ書きをしてもらい、無事復員してきましたのでその日の丸を長久さんにお返ししました。
 尚、昭和26年か27年ですが岡田君と堀口さんと3人でマチガ沢へ行った時です、堀口さんが多分運動靴だったと思います。足元が悪いので草鞋を履かせ本沢を諦め二の沢へ逃げました。5月の初旬で雪が多く表面はかなりのアイスバーンでした。
 岡田君がラッセルし堀口さんを中に20mのザイルで結び、ピッケルは2本で無茶な沢登りをしたものです。そのせいかトップがスリップして私のピッケルでくい止めましたが、ピッケルを全部雪中に刺しまして危うく命拾いをしました。やっとのことで西黒尾根に出た時はほっとしました。
 一難去ってまた一難、今度こそダメかと思いました。天候も良し快適にグリセードしながら下ってくると岡田君が腐った雪にピッケルを取られて30mほどスリップしてクレバスに落ち込んだが浅かったとみえて這い上がってきた時は3人で喜んだこともありました。堀口さんなどはもう下るにも足が震えて下れず、他のパーティに助けてもらい草鞋で登らせたことをお詫びします。
 そろそろ晩酌が効いてきましたからこれで、皆様何分にも気をつけて。


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