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西鎌尾根
野口 孝司

山行日 1979年8月1日~4日
メンバー 野口(単独)

 8月1日、晴れ後曇り
 5時前に大町着、葛温泉行きのバスは定員で出発、車内は若人ばかりで老人は誰もいない。終点の葛温泉で下車、東京電力にリュックを預け保安帽を着用し工事専用道路を一路高瀬ダム上部の東沢出合までテクテク歩く、1時間あまりで到着、荷物を受け取り堰堤を渡り隧道を通り抜け濁沢の滝を見ながら吊橋を渡り、いよいよ北アルプス三大急登の一つブナ坂尾根の登りにかかる。
 取り付き点の少し上部に最後の水場があり、ここで遅い朝食を摂り二つの水筒を満タンにし出発する、始めから急登である。梯子を登り、木の根に掴まり、岩につまずき、喘ぎ喘ぎ歩くが夜行列車の寝不足と重いリュックでは還暦を過ぎた老人にはきついアルバイトである。休憩時間も次第に多くなり、二等三角点(1,208m)に着いたのが13時も過ぎていた。ここで昼食を摂り大休止、休むと睡魔が襲ってくる。身体はガタガタである、しかし単独行のため誰も助けてくれる人はいない。気を取り直して重いリュックを背に歩き始めるが急登は依然として続く、(いい年をして重い荷物を担いで汗水垂らして、何を好き好んでこんな苦労をするんだ、俺は馬鹿だなアー)と愚痴をこぼしながらようやく烏帽子小屋に到着、16時もう何もする元気もなくウィスキーとビールで乾杯、すぐ横になる。
 8月2日、曇り後晴れ
 6時に出発、天気は良くない、僅かに東方の大凪山、餓鬼岳が見えるくらいである。天気が良ければ素晴らしい眺めなのだが残念である。パンを噛りつつ三ッ岳へと向かう、ガスが出てきて風も強くなってきた。大分寒い、野口五郎岳に着いたのが10時、遅い朝食の支度をするが寒いのでセーターとチョッキとヤッケを着るが震えが止まらない。吐く息が白い、おそらく4℃ぐらいの気温ではないかと思われる。他の登山者と夏の北アルプスでこんなに寒いのは初めてだと語り合う。早々に出発、五郎池を右手に見て水晶岳に向かうが昨日の疲れで牛歩より遅い。午後になりガスが次第にあがってきて北鎌のコルと独標が見えて、最後に槍の穂先も見えてきたので大休止。
 子連れの雷鳥も近くにいたのでシャッターを切るのに忙しい。今日はこの分では三俣までは無理と決め込んで水晶小屋泊りに予定を変更したので、ウナギの缶詰を開け先ずは一杯とウィスキーを飲んだのは良いが最後の登りで苦しいこと、小屋到着16時30分。
 8月3日、曇り後小雨
 燕岳の右手に富士山がくっきりと見える。関東方面は良い天気のようだ、だがどうもこちらは黒い雲が多い。今日は双六小屋までと決めてその後は天気の具合を見て笠ヶ岳か槍ヶ岳かどちらのコースを取るかその時に決めることにして出発する。
 鷲羽岳には登らず岩苔乗越より黒部源流の道に入り、途中で朝食を済ませ三俣山荘に着いたのが10時。途中雨があり天気予報はどうも良くないので予定を変更して下山と決め、伊藤新道への道を取る。しかし、下りとは言えコースは長い、赤沢出合まで3時間、小雨の中遅い昼食を摂り湯俣川に架かる吊橋を渡る。この吊橋は5本あり、下流の湯俣山荘の前に立て札があり、「千天出合付近は熊が出るので注意のこと。伊藤新道はコースが荒れている、また吊橋は最近不安定なので十分注意のこと、不能の場合は竹村新道を利用のこと」と書いてあったが全くその通りで、踏板は腐っているし、メインワイヤーからの支線は落ちているしでスリル満点の吊橋であり、渡ってからのザレ場は崩壊のままで踏み跡が不明であったりで苦労の多い下降路であった。是非、三俣山荘の所にも注意札が欲しいものである。湯俣着17時30分、清嵐荘に1泊、久し振りの温泉に浸かり身も心も疲れを癒やす。
 8月4日、曇り後雨
 7時に出発、雨雲が低く垂れ込めていて途中から雨が降り出す。昨日、双六小屋に泊まっていればコースを変更して、おそらく雨の中を新穂高温泉への下山道をしょぼしょぼと歩いているに違いないと思うと危険ではあったが伊藤新道を選んだことは良かったと思いながら歩く。10時高瀬ダム着、12時葛温泉着、12時30分のバスに乗車、帰途のついた。
 北アルプスは毎年歩いているが荷物を軽くするためいつも食事付きの泊りできたが、朝食が早いので食べられず、今回は自炊道具一式持参の山行にしたので荷物が重くなり苦労した。来年はこの点を考えて楽しく歩きたいものである。


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