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思い出の山 その1
播磨 忠志

 高校3年の時、小学校のクラス仲間と共に夏休みを利用して尾瀬に行った。今から20年近く前の話だが交通の便は今と大差なかったと思う。富士見下でバスを降り、例のダラダラした道を富士見峠に向かって登った。峠より少し登った所にアヤメ平という所があった。現在は大分荒らされてしまっているが当時はまだそれほどでもなく、高層湿原の池塘に青い空と原を隔てて聳えている燧ヶ岳がきれいに映し出されているのを見て大変感激したことを今でも昨日のように思い出される。またその日の夕方、山の鼻の小屋から見た夕霧に包まれた尾瀬ヶ原も大変印象深く、こんな美しい場所がこの世界に存在したのかと思うばかり、今でも良い思い出となっているが、しかし後年三峰に入会してから行った尾瀬はあまりにも荒らされているのでがっかりした。それ以後、春の尾瀬には入ったが夏の尾瀬には一度も行っていない。
 私はブヨには子供の頃より大変弱かった。田舎へ行ってブヨに刺されると大きく腫れ、すぐ化膿したものであった。今から12、3年前当会で夏山合宿を飯豊山で行うこととなった。私もその頃、家の仕事に就いていたのだがなかなか休みがもらえず、やっとのことで3日間の休暇をもらい勇躍その合宿に参加した。その年はあまり天候には恵まれず日中もほとんど太陽の顔を拝むことができず、従ってブヨに昼間からまとわりつかれていた。それなりに注意はしたつもりだったのだが不覚にも初日に両目の上のオデコに一発ずつ攻撃を受けてしまった。その時はそれ程感じなかったのであるが、翌日になってそれがかなり腫れてきた。時が経つに連れてそれは増々酷くなり両目の瞼が腫れて目が半開きのような状態になった。合宿に行った仲間達は「怪人ブヨ男」なんて呼び、後に写真を見ると成る程と頷けるものであった。
 皆んなより1日早く山を下り途中で自動車のバックミラーを見て驚いた。この顔が我が顔であるかと思うばかりに両目の上が腫れて本当に怪人ブヨ男になってしまっていた。汽車の中や町中をその顔で歩き回ったのであるから今から考えると我ながら冷や汗ものであった。また、病後初めてテントを担いで山らしい山へ行ったのも飯豊山で、その時は前回と反して連日の好天でブヨにも悩まされず夏山を満喫した。こうした気分を味わうのも健康であればこそとその時つくづく感じた。その意味でも飯豊山は思い出に残る山の一つである。
 3年前に川田君に連れて行ってもらった御神楽沢も印象に残る山行の一つであろう。あまり一般に知られていないルートを気の合った仲間と共に辿るのはなかなか楽しいものである。とかく夏山というと人のお尻ばかり見ながら山頂に至るような山行が多いものであるが、この御神楽沢については全くその心配はなく岩魚を釣りながらの山行は昔は全てこのような山登りであったに違いないと思わせるに充分な山行であった。天気にも恵まれ大いに自然の良さを満喫でき日本的登山の原点をそこに見たような気がした。
 乏しい山行の思い出の中から三つばかりピックアップしてみたが、それぞれの山行の一つ一つに貴重な思い出や感激があり甲乙はつけがたいものである。


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