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その1 九州の山、キノコ採り
稲田 竹志

 僕と山とのきっかけは父とのきのこ採りにあるようです。椎茸、しめじ、時には松茸も、また地方特有のきのこなども採りに父に随分連れて行ってもらったことも小学生の頃の成長期の記憶として断片的に覚えているに過ぎません。きのこ採りの鉄則として毎年きのこの生える場所を絶対に他人に教えないのがその道の常です。きのこをいっぱい採ってきて人に聞かれても父は、「アッチの方で採った」とか「コッチの方で」とか、子供心にもおかしかった記憶なのです。自分の縄張りでしょうか、同好のパートナーには田代さんとかテングさんがいましたが、やはり大量に採れる穴場は喋りません。

その2 ムギちゃんの背中

 中学1年の夏のテニス部の合宿のこと、近くの小岱山という山での練習中(多分マラソン)に笹を切り払った切り株で足を踏み抜き、あまりの痛さにしゃがみ込んでしまい仲間とはぐれてしまったのでした。と言うより、自分のやせ我慢もあって助けを呼ぶより自分で歩いて帰ろうと思ったけど動けなくなってしまったのです。暫くして仲間達の探す声が聞こえましたが僕は応答しませんでした。本当の理由は3年生の部長と新人の1年生の対立があって馬鹿にされるのが嫌で意地を張った訳です。3年生にはこのバカ部長とムギちゃんこと麦野さんの二人しかいなく、バカ部長は僕の隣の家のヤツでした。ムギちゃんはめったに喋らないけどとっても優しい尊敬する人でした。結果的には後日新人がバカ部長を吊し上げて集団でクラブを辞めてしまったのです。それが元でクラブ遍歴が始まったのです。数え切れないほどクラブを渡り歩き、柔道部などは在籍1週間、僕は散々投げ飛ばされ、投げられて空中を飛びながら考えました。「柔道ってのは体力ではなく技だって言うけれど、そりゃ嘘だ」って。話を戻しますと僕を探していた仲間達の声が聞こえなくなり、足から血は出てくるし痛さと不安で心細くなって座っていると背後の草むらをかき分けて探しに来たのはムギちゃんでした。ハンカチで止血して背負われて、いやおんぶされての方がピッタリで下山しました。そしてタップリと皆の前で馬鹿にされたのでした。

その3 僕の飯盒何処へいった

 田代とも子ちゃんなる何度目かの初恋の人がおりまして、中学3年の卒業記念にキャンプに行くことになったのです。監視役の担任の先生付きでしたが楽しいことには違いありません。テント他登山用具一式背負っての山登り、何とグレードアップしたことか、場所はまた小岱山です。頂上は一度も行ったことないのです。テントは市役所で借りて、山の道具は従兄から借りての山行でした。この時の感想は重荷を背負うってのはこんなに辛いものかと初めての体験で目の前が真っ暗になっても休むなと言われて歩いておりました。もうダメだ俺はノビると思っていたら隣を歩いていた出目ちゃんがひっくり返ってしまったのです、ぶったまげてしまった。頂上にはどうにか辿り着きとても楽しい初山行でありました。夜の度胸試しと称して隣のピークまでのピストンの帰りにとも子ちゃんをビックリさせてやろうと思い、吊尾根で足元の草むらに隠れていたら自分が谷に落ちてしまった。「そのキズどうしたの?」
 皆んなで楽しい夕食を作り、歌を歌ったり先生の話を夢中に聞いたりともかくとても楽しく過ごし、朝になり片付けていると飯盒が一つ足りないのです。焚き火のためどの飯盒も真っ黒で見分けがつかず、「これ俺の」「これアタシの」とさっさと皆が飯盒をリュックにしまい、最後のうすのろの僕は飯盒がない。従兄から借り物の飯盒が。そんなことがあって10年ほど経って僕が三峰で山登りをしており、今度は従兄の弟が山の道具を借りに来たのです。彼は何故か僕のコッヘルをなくしてきた。
 以上古すぎる話でございますが僕の思い出のお話です。


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