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夏山合宿第二 虻と藪と水晶の山
川田 昭一

山行日 1979年8月18日~20日
メンバー (L)川田、江村(真)、須貝、島田、林田

 アブ(虻)、ヤブ(藪)、カワキ(渇)に悩まされっぱなしの山行で終わった今年の夏山第二合宿。それはそれは散々な目に遭いました。最初の試練はメルガ股沢に降りた時から始まったのです(会津白戸川の支流)。
 咽のカワキが収まったのと引き換えにアブ(虻)の攻撃に遭いました。見境もなく攻撃をかけてくるアブ連(アブの連合軍=毛色の異なるアブが2~3種類混じった混成部隊)、私のような皮下脂肪の少ない露出した不味い肌にも肉薄してくるアブ達の物凄いこと、トップを切っている須貝君が気の毒だ。なんせ動けば動くほど数が増してくる始末、とりわけアブ連のメスの肉薄は物凄い(血を吸うのは蚊と同じく虻もメスだそうで、代を絶やさないために持っている自然のカラクリだろうか?)、年令の若さに見合った上等な皮下脂肪を蓄えた彼、須貝君はあまり攻められ過ぎ熱の出る始末。「アブかな?山漆にかぶれたのかなあー、この発熱は?」
 メルガ股を下だって洗戸沢の広い川原を歩く頃(午後4時頃)が最高。両手で払い除けてもとても間に合わず木の葉を団扇代わりに使ってアブ払いをしながら上流へ進む。
 やはり先頭を行く須貝君に群がるアブが一番多くトップ引きは分が悪い、ここで私と交代する。先頭は誰がやっても同じように猛烈なアブの数に参ってしまい、須貝君と同じように木の葉を使ってのアブ払い、アブの少ない所へ早く移動したいと思う、焚き火の煙で作られた部屋に早く入りたい、そんな気持ちが早足となり流れに逆らって川を登る。
 やがて川幅が狭まる辺りから数が目に見えて減ってきた。
 明るく開けた川原、そんな場所で豪勢な焚き火をと願っていたが、その場所はアブの遊び場でありネグラでもある。我々はアブに広い川原を譲り狭い川原での焚き火で我慢ということになった。
 洗戸沢のテント場より岩幽の出合まで途中、悪い所もなく2ピッチで楽に来られた。
 出合より左から落ちるイワナの多い沢を詰めること4時間弱で高倉山と1493mのコルに這い出た。
 ブナの巨木が生い茂り丈の低い笹が一面に生えた所だ。歩き易い尾根の斜面が高倉山のピークまで続いている。
 「この分だと日の落ちる前に朝日岳のピークだ、何しろ直線で3.5km、途中の起伏は150mそこそこ楽勝だヨォー」こんな話を交わしながら、また頭の中ではこんなことも考えていたのだ。豪勢な焚き火の炎で炙ったイワナの塩焼きを頬張りながら山の話に熱が入る....。
 「岩幽で一匹目の岩魚を釣り上げた時の江村さんの嬉しそうな表情を見て聞いてみたの、そんなに岩魚釣りって奥が深いものがあるの?」
 「そりゃー嬉しいよ、今でも覚えているよ、ハッキリと手に伝わる引きの感じ、それに自分で作った仕掛けで釣り上げた岩魚だから余計に」
 「小さい頃、裏のヤブ山に登って熱を出したことがあってネ、オレヤブ山に弱いんだよ、多分その時も漆だと思うヨ、オレ向きの山ってやはり北とか南アルプスの山かなー、風通しのよい山そんな山がイイナー」
 「須貝君、私と同じに若いし体力も十分岩も雪もヤブと何でもこなせると思うヨ。むしろ熱が出なくなるよう少しずつアブとヤブに慣らしていくのヨ、オールラウンドの山行ができるでしょうに」
 「オレと一つしか年が違わないけど島田さんもいいこと言うね」
 「水晶の多い山だったネエー、あまり質は良くないということだけど、水晶だか石英だか見分けがつかなかったヨ林田さん、帰ったら博物館の陳列ケースを覗いて水晶の原石(純粋)を拝んでみるかナー」
 「そうネエー見てくるといいわネエー本物を、以前観光地のウィンドウショッピング最中に見たことあるわ、それで少し見分けがつけたのよ、あの水晶は細工の価値はないけれど塊として飾っておく分ネエー残念だけど、透明なのないかしらアー」
 やがて高倉山のピークへ立って唖然とした。予想もしなかった密ヤブ、豪雪に耐えて耐え抜いたハンノキ、ツゲ、オオバカメの木、石楠花等が起伏の少ない稜線にびっしりとへばりついているのが目に写ったからだ。
 更におまけがついてくる。朝日岳にせり上がって行く稜線が鋸歯状になってアップダウンを繰り返している。
 第二の試練、藪との戦いは高倉山からの下りから始まったのです。物凄い藪漕ぎが!!
 身を没しても尚、おつりがくる背の高い密ヤブで下る方向が取りにくい。おまけは更についた、前線接近によるガスだ。下る方向を正確につかむのが難しい、内心不安だ、なるべく表情に出さないように務める。心持ちか皆んなの表情も薄陰りだ。互いに三峰のコールで気を紛らす。
 ムチがモートーコールを跳ね返すように飛んでくる。顔といわず腕といわず、その痛いこと痛いこと。弦に足を取られもんどり打ってヤブの中へ落ち込む。しかし、痛い痛いとそればかりに構ってはいられない。すぐ身を起こしルートを外さぬよう外さぬよう心のハンドルを操らねばならない。
 時間のかかること、約500mの緩く下る道のりを2時間も費やし平坦なヤブ地帯に入った。ヤブがなければ幕営地がいたる所に取れそうな稜線、ついていないです全く。
 鉈で切り開き4畳半の広さを幕営地とした。
 生木ばかりで枯木、枯れ枝がなし、それに場所も狭く豪勢な焚き火はお預け、頭の中で描いていた岩魚の塩焼きは遂に幻で終わってしまった。
 夜半からの雷混じりの雨はヤボではなかった。我々に味方してくれ、出発する頃は雨が止みガスまで払ってくれたお陰で相変わらずのヤブ道を朝日岳、手前のジャンクションピーク1506mまでのルートを外さないで進むことができた。
 ヤブこぎも2日目になると皆慣れてきて昨日ほど倒れたりムチでぶたれたりすることも少なく、進み方もスムーズだ。昨日の張り詰めた気が嘘のよう、語り声、笑い声が出る余裕だ。
 それでも起伏の少ない稜線、幕場から直線にして1.5kmの道のりだったが4時間はかかってしまった。
 腹一杯に物を詰めいよいよこのジャンクションピークから朝日岳まで700mばかりの岩稜帯にアタック開始。起伏の多い岩稜帯のコブが4つほど聳え、各々のコブの両側はスラブ状になって削ぎ落とされたそれは遥か下に見える樹林帯まで続いている。
 ボロボロに風化した岩肌にしがみつくように生えている五葉松、厳しい自然のためか成長しているのは稀だ。石楠花も同じで大きく育ったものはなく歩き易い所も出てきた。しかし、それも長くは続かずボロボロのナイフリッジが待っている。
 須貝君がザイル工作を確実にして安心して通過できる。4つ目の頭へ這い上がるとどこの山にでもある頂上標識の立杭が小さく確認でき、嬉しさを隠しきれない表情が皆んなの顔に出ている。
 4つ目のコブと朝日岳のピークの間にもう一つある小さなコルを通過して朝日岳のピークに立った時は誰からともなく手が伸びて固い握手が交わされた。
 頂上から高速ハイウェイに乗った我々は只見の白沢部落に下る道に入った。
 例え雨が降ってもガスっても予定通り道を稼げるから楽だよ。嘘みたいだ、1時間もしないで叶の高手だ。プラスもう1時間で水が飲めるぞ!!」こんな語らいをしながら「水だ!!水だ!!」と叫びながら下る。その速いこと、速いこと。
 途中でアブ連が待ち伏せしているのも知らずに。

〈コースタイム〉
8月18日 奥只見ダム(5:00) → 只見川(5:30~6:00) → 大熊峠(9:30) → メルガ股沢(10:50) → 大滝(12:45) → 二俣(15:00) → 洗戸沢(16:30)(泊り)
8月19日 幕営地(6:20) → 芦安沢(7:20) → 岩幽(9:00) → 稜線(14:45) → 高倉山中間点(17:00)(泊り)
8月20日 幕営地(6:45) → 1566m(8:05) → ジャンクションピーク(9:40) → コル(11:00) → 朝日岳(12:45) → 三吉の水場(15:30) → 林道(16:40)

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