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冬山合宿第二 駒ヶ岳(早川尾根~甲斐駒ヶ岳)
川田 昭一

山行日 1979年12月30日~1980年1月1日
メンバー (L)川田、百田、鈴木(一)

 雲海の中から重々しく浮かび上がった太陽、そのまま昇らず雲の絨毯で敷き詰められた坂道を転がりながら仙水の谷が呑み込んでしまった火の玉、やがて眩しく照らすことも忘れた太陽、シラベの樹林帯が現れ駒津峰へと続く急登が一息つく所、ここから見る太陽はほんのひと時だがそんなカラクリを見せてくれた。
 それも束の間、思い違いは一時で消えてしまった。それでも一番に高い雲の波頭と太陽の間は広がるばかり、木々が投げる影が濃さを増して白黒の差がはっきりしてくる頃、仙丈カールも化粧を落として変わり映えのしない元のカールに戻っていた。
 ノッタリノッタリと焦らず高度を稼ぎ駒津峰と駒ヶ岳を繋ぐ痩せ尾根に入った。伊那側から吹き上げる寒さを含んだ風は痩せ尾根を乗っ越して甲斐側に吹き下ろしている。
 大きな吹き出しが小さな吹き出しを間に入れて風抜け道めがけて迷わず吹き上がってくる。唸り声をあげたその風に容赦なく刺される我々。
 当てがいありげな唸り鳴を一際大きくあげた風は次の当て物を狙って甲斐の谷に吹き降りていく。
 風のために偏屈に曲げられたダケカンバの幹や枝にだろうか?ずうっと下だって仙水のゴロ石にだろうか。
 ゴロ石の隙間に入り込んだ風は柔らかい羽の中に落ち込んで温められ、その部屋に収まってしまった。戦意消失....。
 四十雀は冬の寒さから身を守るため群れをなして生活する鳥で、昼は群れて飛び交い厳しく冷えた夜は木の穴やゴロ石の間にかたまって寒さを防ぐという鳥類でも進んだほうの鳥です。
 体温をただ無駄に逃さずその熱を上手に皆んなで利用し合うなんて見上げたもんです。
 相変わらず鞍部を吹き抜ける風花を乗せた風は唸っている。
 その途中にある格好の窪み、余裕さえ与えてくれない駒ヶ岳への最後の急登、ここはその手前にある窪みで冬期の登山者達を迎えて暖かさを提供してくれているオアシスだ。
 窪みはもう他のパーティまで入れる広さを持たない、ただ通過して行くだけで、我々は背を寄せ合い陽溜まりの中でカステラを口に放り込んだ。しっとりした湿りが口の中で広がる。
 見上げる方向に駒ヶ岳が聳えている。やはり谷から吹き上げる寒風によってだろうか?雪煙をあげて。

冬山合宿第二 冬山入門・甲斐駒ヶ岳
相沢 真知子

山行日 1979年12月30日~1980年1月1日
メンバー (L)稲田、播磨、山本、江村(皦)、田原、小林、杉野、広瀬、島田、相沢

 元旦、80年代の幕開けだ。2時起床。江村氏の声に目覚める。グーテン・モルゲン!頭の中でカチャカチャと翻訳する。眠くもないのに寝ろと言われ、夜はこれからだという頃に無理矢理起こされる。学生時代の合宿以来だ。あっという間に床が畳まれ、ダイニングキッチンに。今朝はお雑煮。身動きできないのをいいことにじっと座って待つ。
 初めて潜り込んだテントの中の空間的に圧縮された人間関係。真ん中にある火を囲んで座っているだけで個々の人間が滲み出てくるよう。刺激的である。こういうのは大好きだ。食事がとても美味しい、最初の晩は豚汁。尤も島田さんが作ってくださるのをお椀を抱えて待つだけだからとりわけです。あちこちのテントから歌が聞こえる。口々から流れるのがみんな大好きな歌ばかり。竹田の子守唄、なごり雪、夢の中へ....。それらを口ずさんだ頃のそれぞれの状況に思いを馳せつつ。もしかしたら播磨さん、同じジェネレーションに属する方なのかしら、一瞬ドキンとしたことでした(我が会長さん、播磨氏はしきりとロートルであることを口にされますが、なかなかどうしてお歳と地位に似つかわしからぬ、一番大きな荷物を軽々と担いて来られました)。そして2日目の昨晩は縦走組の川田、鈴木、百田氏と1日遅れて入山した田原、江村、小林氏が加わり、この上もなく賑やかなこと。今回の食料を担当して下さったのは江村氏。心優しい方で皆の好みに合わせ、昨夜はビーフシチュー。自分は大嫌いなのに。え?クリームシチューと間違えたんですか。食事が進まなかったせいかアルコールが進み過ぎたせいか、さすがの山の子も肝心の山では調子悪そう。酒ととびきり贅沢な肴と止まることないお喋り。冷たい空気を吸いに外へ這い出る。あちらこちらにぼうっと明るいテント。中でも一際大きい三峰のテント。どう言ったらいいんでしょうねこれは、小降りになったみぞれの中一時眺めていた。
 お雑煮を美味しくいただき出発準備にかかる。心配された空も今は沢山の星。せっかくの登山日和なのに都合で帰らねばならぬ昨日のリーダーの稲田氏、鈴木氏、杉野氏。残念、テントの片付けなどお願いして暗い夜道の出発を見送られる。稲田氏は私達が持っていくことなっていたザイルまでしっかり畳んでしまい込んで下さったそうです。枕に使うだけ使った挙句にずっと後になって判ったことですが。
 広瀬氏を先頭に川沿いの細道を登る。短い丸木橋をいくつか渡る。これが堪らぬ恐怖。懐電の光が頼りない。前後の人の灯りを盗みとる。後ろから女性が一人、御免なすってとばかり我々を追い越してあっという間に見えなくなる。酷く歩き辛い川原が続く。空がぼうっと白くなってきた。暗い雲海の見える所で休憩。お餅を三つ食べたのにやけにお腹が空く。島田さんも食欲旺盛の様子。昨夜寝る前に島田さんが何やら煎じて皆んなにふるまって下さった。あれは何に効くのでしょうかね。やけに肌がつやつやするような気がしましたが、皆さんいかがでした。
 雲海を下に登りながら御来光はまだかまだかと数分毎に後ろを振り返る。遥か向こうにいきなりポッカリと富士山が首を出している。麓で見ると絵のようで実在感がないし、懐に入ってしまえばただ広くてこちらの存在感がなくなってしまいあまり好ましくないけれど、こうやって雲の上から孤高の姿を突き出しているのは、やはりさすがと思わせる。
 ”富士は雄大で美しい。だけどこのように容易に人を懐深く招き入れる山は私は好きではない。....私が魅せられるのは人が踏み入るのを拒む険しい山だ。”Hの目を思い浮かべる。半年前、HR合宿で五合目付近から登った時の感想文の中に見つけた言葉が、空っぽの私の中にすっぽりと入り込んだ。忘れかけていたものを突きつけられた気がした。山は一つの偶像にすぎない。何でもいいのだ。
 すっかり明るくなっているのにまだ顔を出さない。じらせた挙句ようやく出てきた。歩みを止めてしばし見入る。昨日の仙丈岳もピンクに染まっている。
 急な足場が一段。よっこらしょと心の中で掛け声かけて(時間もかけて)攀じ登る。「相沢さん、足もう5センチ欲しいね」と下から田原さん。フン、足なんてあればいいのです。田原氏は頭の先から足の先までユニークです。サンタクロースみたいな赤のニッカズボンに緑のダウンベスト。茶の格子のジャケットに帽子は....はて?普通だったらめちゃくちゃになろうというところ、この方にかかると不思議と調和するのです。バックが山だからでしょう、キット。
 初めてつけたアイゼンで仙丈を降りてきました、私とアイゼンとの間の信頼関係はかなりのものである。2度程回転レシーブをやってしまったのは長い足がもつれたためで、アイゼンのせいではない。先輩諸氏がフラットに置けば絶対に滑ることはないとおっしゃるのがその通りで、すっかり安心している。小林氏、「そうそう、フラットに置けばいいんだよ、フラットに」「ところで、フラットってどういう意味なんだろう、そうっと?」平らに。「成る程、そうか」帰りの電車の中ではお腹をかかえて笑い通しでした。三峰は本当にユニークな人間の集まりと思う。杉野氏、パイプなんぞをふかすのです。あの若さで。パイプ?何処かで聞いたことが....。『岩つばめ』に蝶とパイプとかいうとぼけた文(失礼)を載せた人がいた。三峰で楽しみなのは数冊読ませていただいた『岩つばめ』の筆者が次々と目の前に表れることだ。あの方が網を片手に野原にのっそりと立つ姿は様になるような気がします。人に聞かせるでなく、ぶつぶつとおっしゃる言葉が存在するだけで十分なのに、更々に面白くてなるべく耳に入れないように務める。力が抜けてしまうから。でもポイントを外さぬあのおとぼけ、実はなかなか鋭いのでは、それとも心底とぼけた方なのかよく分かりません。前を行くヨッちゃんこと山本氏は何だか何処かで逢った顔。そう、ジュサブローなのです。あの人形師の、雰囲気、風貌ともにうり二つ。はたまた仕立屋銀次とか。沢山の形容詞のつく方です。今回は”風邪ひき男”でお気の毒でしたね。
 甲斐駒の岩稜帯にさしかかる。つい先程までこれを越えた向こうに甲斐駒が聳えていると思い込んでいた。わっ、こんなに近くにあるなんて。近づいてみるとこれはとても”越えて....”などという代物ではないことが実感される。
 リーダーの川田氏からアイゼンバンドを締め直すよう注意がある。リーダーはあのように優しげな顔をしておられるのに、どうしてどうしてクールなのです。「ザイル出して、ない?まあ何とかなるだろう」ドキリ。ああ、私の命綱が。斜面をトラバースしつつ右眼下に落ちる谷を見れば踏み外したら最後だということ、私にだって分かる。こうなったら自分の足に頼るしかない。頑張れ。斜面の途中でトップの広瀬氏が手間取っていると、後ろから急げ急げと声がかかる。まあ、落ち着いて、落ち着いて。
 難所を通り抜け雪の疎らな花崗岩のザラザラした岩稜帯を這いつくばって登る。今朝、我々を追い越していったあの女性が頭の上で声をかける。遥か向こうの岩の上にちょこんと腰を下ろして一休みしている。どういう人なのでしょう。先輩諸氏は口笛を吹かんばかりにザックザックと先へ行く。見ると頂上は直ぐそこではないか。皆んな先に着いて腰を下ろしている。わっ、遂に来た、と思いきや歩き始める、ん?何と左上に更に岩が続いているではないですか。更に険しく。がっくりして後に続く。いつか観た『山の第三の男』に出てきたような岩を攀じ登って遂に山頂!、違いました。左上に更に続きます。どうやら高度障害が始まった様子。でも3度目の正直。話に聞いた社が今度はしっかり見えました。これ以上高い所はありません!(実感としてこのセリフ、拝借しました)本当に嬉しい。雲海上のパノラマ。こんな光景をかつて想像したことがあったろうか。
 「定着ならB.Cで留守番をしているという手もあるし」などと人をバカにする友がいることもあり、しっかりと証拠写真を撮る。昨日登った仙丈岳を背にパチリ。今度登りたいと思っている北岳を背にパチリ。社の前では全員でパチリ。これでよし。まいったか。ククク。「相沢ん、友達に自慢していいよ、よく登ったよ」と播磨さん。ハイ。
 「いえ、いえ、怖いのはこれからよ」と島田さん。嫌な予感。島田さんの言葉はいつも真実味がある。喉が渇き後のことを気にしつつやたらと水を求める。
 田原氏をトップに下山開始。歩き方をまねる。がに股でザクザックと。実に快適。先程の斜面にさしかかる。ここでリーダーのクールなお言葉。「間を空けて、被害を最小限にしよう」ん?しっかりと自分に言い聞かせる。自分で守るしかない。この若さで、こんな所で死ぬ訳にいかないよ。逆境に強い私。突き放されたほうがしゃんとなれるのです。谷側をみないように。平均台だってマットと思えば何ということはないんだと。渡り終わってホッ。もう大丈夫。後ろの島田さん、「相沢さん、アイゼンワークしっかりしてるわよ」この方はストレートにズバッと何でもおっしゃるから、こちらの自信のない時に何か言われるととても堪える。朝、荷をなるべく少なくしようと、懐電持っていくのよそうかしらとつぶやくと、「懐電は必携よ、明るいうちに帰れるとは限らないでしょ」ハイ。「替え電池持ってきた?」イイエ。「常識よ」ハイ。案の定、出掛けから私の光は虚ろだった。飾りのない言葉は一つ一つ納得できるし文句の言いようがない。だから褒められたりすると”きっと本当なんだ”なんて、嬉しくなってしまう。
 アイゼンを外して森林帯に入ると島田さん、小林さん等は矢のように駆け下りて行ってたちまち見えなくなる。広瀬さんの後を足跡そっくりなぞって下る。20日前、痛い足を引きずり半泣きになって下山した川苔山。怖さでつんのめりながら降りた初めての冬山、平標。疲れ切った身体でただ黙々と山を降りることが楽しいと初めて思った。「何か得になることでもあるの?」母は呆れる。何もありませんよ。ただ歩きに来たんですよ。妙義山の鎖場で這いつくばっている写真を見て、「豚もおだてりゃ木に登る」などと冷たく言い放った弟は新宿まで送ってくれた。不憫にでも思ったのかしらん。空っぽの身体に空っぽの思考、炬燵でミカンを嫌になるほど食べたい。広瀬さんの足ばかり見ている。取り留めのない言葉を交わす。周りの木が綺麗。たぬきそばもいいな。今日はまだ元旦。後ろの川田氏、江村氏、播磨氏の会話。会話。
 あちこちで皆、楽しそうに手など繋いで歩いている。山に登るのにどうして手なんか繋ぐのか私には分からない。山は独りで歯を食いしばって登ればいい....。でも私にもし、気を許した何でも話し合える友が一人いたら、私もまた手を繋いで登るかもしれない。Hよ。混沌の季節の中でもがくがいい、苦しくても逃げ出すな。いつかきっと本当の目指すべき山が見えてくる。つまらぬ山には向かうな。私もその姿勢に学ぼうと思う。貴方の言葉が私をあそこまで追い上げたよ。さて、これから何処に向かおうか。
 忘れがたい山行に導いて下さった先輩諸氏、心よりありがとうございました。

冬山合宿第二 冬山合宿第二に参加して
広瀬 昭男

 入会して初めての冬山合宿は楽しくかつ今後の活動への良きステップともなりました。
 まだ明けやらぬ戸台へ着きゆっくりと朝食を摂る。母親弁当を山で食べるのは久し振り、更にキスリングを背負うのも数年振りで、果たして無事に北沢峠まで辿り着けるのかと一瞬頭の中を不安がかすめました。
 歩き出して数時間後、案の定皆と遅れだし焦れば焦るほど前の人との間は広がるばかり、汗は目の中へ滝のごとく、風邪と冷気による鼻汁はすするほどに出が良くなり足元への注意力は散漫で滑ってコケて這々の体でしたが小休止の後ペースを落としてもらいその後は順調に進みました。
 山での体調はどちらかというと焼玉エンジンと同じですぐに調子が出ません。また下山の頃は焼き付きを起こしているのか、また不調になったりでいつがベストなのか分かりません。そうですね天幕内で一杯やる頃でしょう。
 北沢峠へは何とか着き、天幕地を全員で探す。そして雪踏み。この雪が柔らかく踏んでも踏んでも固まらず適当な硬さで「コーポ三峰」を設営する。
 播磨さんと山本さんが交替で背負ってきてくれたあのカマ天は他の天幕を威圧するかのように威風堂々として我々を暖かく過ごさせてくれました。
 12月31日、いよいよ本番。仙丈は登ったことがないので楽しみであった。出発する頃の天候は良かったが、途中から下り出し小仙丈付近での縦走パーティとの交信の時は頂上も見えず、先行パーティが微かに色とりどりに小さく見えるのみでした。交信の内容から縦走パーティは栗沢の頭辺りまで来ているという。無事に行動しているのを知り、一同仲間への安堵と共に我がパーティのファイトが燃えてくる。しかし、ガスト雪とで辺りは何も見えず空も地も真っ白だ。心の中で太陽を待ち望んでも一向に出てこない。あの晴れた日の山襞が織りなす光と影とでできる明暗のコントラストがあってこそ山が活きるのであると思う。閉鎖されたこのような山の中にあっても、やはり志を同じくする者がいてくれることは枡酒に添える塩のごとく、味を引き立てる薬味のように、仲間は山行を引き立てる要因になっていると思う。
 3,000メートルの高峰は仙丈が2度目であり冬山としては初めてでした。にも関わらず頂上を踏んだ感激は少しも湧かず、冬山ではこのような天候が当然なのだと一人納得したりして下山に移る。
 小仙丈への途中、痩せ尾根も無事通過しその後は夏よりも早く下山できたように思う。
 ベースキャンプには既に縦走・後続のメンバーも揃っておりいつもの喧騒な会話が飛び交う。
 今晩は大晦日である。山で年を越せるとは何と感涙にむせぶことであろう。後生大事に運び上げたバクダン屋さんの花火を打ち上げれば最高だったのではなかろうか。
 1980年の初日の出は乙女の恥じらいを思わせるかのように雲海の中からの幕開けでありました。昨日頂きを踏んだ仙丈は雪の帽子を被ってそれが朝日に燃えてピンクに染まっている。日本で第2の高峰北岳も親分の座を狙っているのか、子分を従えて聳え立っている。
 甲斐駒の登路はトラバースルートを取るとのこと。過去に雪崩で遭難者も出たこともあると聞かされ、臆病な自分は斜面への恐れも加わって足はなかなか前へ出ず、気は焦るばかりなり。やはり長年の経験が活かされるのか諸先輩方の余裕のある会話が聞こえてくる。良きアドバイスのもとに全員頂上へ辿り着く。360度の大展望だ。岩陰にて仙丈を眺めながら大キジを撃つ、何と気分の良いことか。今年は良いことがありそうである。
 下山も無事にでき、北沢峠で飲んだビールが乾いた咽を十分に潤してくれた。あまりの旨さに頭痛がしたりして....。
 戸台へ向かう途中、河原で何遍も滑って転んだが背後に聳える峰々は笑いもせず見守ってくれていた。
 山室鉱泉も合宿の最後を飾るにはとても良いところでした。料理も酒も旨く、他どの人も親切で料金が安いときている。今日の下山路の辛かったことも忘れて飲み食べる自分であった。
 今回の合宿を省みてみると数多くの反省点があり、謙虚に反省しております。冒頭にも述べましたようにこの合宿での経験を次へのステップとして活かしていきたいと思っております。
 皆さんありがとうございました。


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