トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ240号目次

雲取山・山行記
杉野 真二

山行日 1980年2月9日~10日
メンバー (L)杉野、浅野、鈴木(一)

 塩見岳へ行くはずの例会山行が雲取山に変更されてルームで大笑いされたけどこの三人の中年は勇躍2月8日の夜、池袋を出発した。一人は足立区のドラエモンこと鈴木利一氏、一人はど根性ガエルのイメージで人気集中の浅野敏郎し、残る私は練馬の極楽トンボ。山行日が丸一日土曜日を費やすとあって人数が集まらずこの三人の中年のみとなった。西武電車の中は通勤帰りの客ばかりの疲れた雰囲気の中で元気なのはこの三人ばかり。西武秩父の駅で仮眠する。翌日2月29日(土)。何と素晴らしいことかロープウェイになんぞに乗ったりして労せず三峯神社まであっという間に到着(この山岳会、登りにロープウェイなんぞを使うところが実にニクイ)。三峯神社の拝殿の前で当会の繁栄を願って柏手を打つ。そして鈴木氏も浅野氏も朝のキジ撃ちに失敗したのを気に病みながら一路霧藻ヶ峰へと急ぐ、中年男が三人尾根筋を絡みながらタラタラと歩く。話すことはあられもない下卑た話しばかり。恐ろしくて目が眩むばかりのことを大声で平気で喚きながら歩いて行く、男だけが三人、世間の目から切り離されるとこうも落ちるのかと嘆かわしいくらいである。私はと言えばやっとそれに何とか相槌を打つのが精一杯のところ。その会話の一部を紹介していいのかどうか迷ってしまうのであるが例えば、「彼女に接近するにはだな....雪洞を掘って....それから....」「懸垂下降している彼女を上からひょいと覗いたら....が丸見えになっていて」また、「あの温泉の間仕切りの鏡がマジックミラーだったら、もっと流行るだろうな」etc....とただもう呆れ返るばかりです。ルームでは神妙な顔で取り澄ましたこの中年達。本性を現せば実にこの通りなのです。こんなことを書くと二人より石が飛んで来るので少し書き改めます。専らこの二人がこの様なことを全て言った訳ではなくほんの少し私も言いました。
 やがて霧藻に着きました。ここは見晴らしがよく、「おう、あれが目指す雲取山かいな、あと1時間とちょっとくらいだな」と見当違いの山、それも地図で見ると破風山らしきものを指して、あのドラエモンがほざいています。ここでしばし休憩。
 霧藻を発って小さなコブのアップダウンを繰り返しているうちに凍ってツルツルの所が続いてきました。ここで浅野氏曰く「軟弱かも知れませんがアイゼンを付けませんか」と実に謙虚な佐野氏らしいお言葉に二人は感心しながらアイゼンを付けることにしました。前白岩、白岩岳も調子良く飛ばして早く避難小屋に着こうとひたすら急ぎました。冬山と言えどもとても暖かく汗がタラタラ出ます。しかし、雲取山頂間近になるとドラエモン氏は興奮抑えきれずにひょこひょこ山頂へ猿のように駆け上がって行きます。そして少し上から、また例によって何か喚きます。頂上はあそこだもう直ぐだとか何やら言っている様子です。私なんか今のペースを守るだけで精一杯で返事するのもかったるく、「あー」とか「う」とか適当に声を出してあしらっておきました。
 そしてやっと避難小屋に着きました。小屋は思ったより混んでおらず、また後から来た人達もマナーが良い人ばかりで楽しい山小屋でした。夕食を食べながら、またバカ話をしばし。そして鈴木氏の32才の誕生日および浅野氏が近く結婚されるのを祝ってビールで乾杯をしました。その夜は大変冷え込みました(当たり前のことでしょうが)。
 10日の朝も無事晴れて眩しいくらいの雪道を下ります。七ッ石山のピークを踏んで少し下ればもうバスや電車の走る下界です。前日よりせっかく稼いだ高度をさながら駆けるように下りました。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ240号目次