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荒海山~七ヶ岳
相沢 真知子

山行日 1980年6月28日~29日
メンバー (L)野田、鈴木(一)、相沢

 呆れ返るほどのトンボの群舞だ。靄がかかって展望はあまり良くない。6畳ほどの広さの荒海山のピークには先客が二人。初老の夫婦が仲睦まじくお茶を飲んでいる。肩の力を抜いてポケッとしている。こんな時が一番好きだ。しんどい登りはいつも何でまた来ちまったんだろうと後悔、後悔。そうしてまた懲りもせずに出かけてくる。一瞬顔を出した明日の七ヶ岳が一瞬のうちに白いベールで覆われた。
 往路を下る。しっとりとしたクッションを楽しみながら樹々の間に見え隠れする峰々に目をやる。会津の山は何処を向いても深い緑、また緑。手の届く藪でウグイスが鳴き、雉が足元をよぎる。梅雨の合間の一時の休息。充分潤った道を踏み分ければ山全体の呼吸が聞こえる。空の幸運が嬉しい。
 尾根から沢への分岐で休憩。これからの下りを思うとうんざりする。先程、伏流から尾根に出るまでの急登の辛かったこと。「さて、行きますか」降りてみるとさほどでなくホッとする。沢を下った後は荒海川沿いの長い長い林道をスタスタ歩く。これがまたたっぷりとあるのだ、どうも遅れがち。一日の終り近くにスタミナ切れになるのはいつものパターンなのだけれど。
 4時、会津滝の原駅に到着。朝、預けておいたザックを整理。期待していたタクシーがないとのこと、青ざめる。駅員さんが熱いお茶を入れて下さった、ありがたく頂く。
 綺麗に舗装された道を羽塩に向かってテクテク歩く。野田さん、鈴木さん、私と、ついたり離れたりしながら車の音がする度に振り返るが乗せてくれそうな車は現れない、切ない思い。七ヶ岳の登山口向かって6時まで歩こうということで頑張る。もう自分の足でなくなった。遂に二人の姿が見えなくなる。6時近く、林道脇の林の中に天幕を張る。疲れた。9時就寝。
 2日目、5時少し前に出発。登山口からは心地よい道が続く。ぐっすり寝た後、なかなか快調である。避難小屋で水を補給。久し振りに美味しい水。なにせ昨夜のは水田脇の怪しげな代物だったから。
 沢を絡んでいた道から平滑沢に入る。文字通り滑らかで綺麗な沢で気持ちが良いこと。やがて伏流の急登となり、しんどいやらお腹が空くやら....。何かよこせとお腹が騒ぐ。尾根取付き点で一本。このチャンスは逃せないとセッセと詰め込む。余裕のある方は傘などを拾っておられた。
 岩に木の根が絡む急登が続く。きつい。上を行く野田さんの靴の裏を恨めしく見上げる。足元の可憐な花に見とれる振りをして息をついては鈴木さんに促される。やっぱりバレてしまうのかしら。1時間足らずで稜線に。思いがけぬアルペン的な風景に今までの登りが嘘のよう。これだから堪らないんだ。ピークには7時50分着。地図を広げ何だかんだと一騒ぎ、とにかく人のいない我らが山だ。記念撮影をした後、残る六つのピークを目指して北に向かう、「あれっ、昨日の二人だ」鈴木さんが伸び上がって声を上げる。隣のピークにでも見えるのかと思っていると、直に姿が現れる。相当お年を召しておられるのに足取りも軽やかで汗一つ見せず清々しい。
 お気をつけて、とすれ違う。
 「素敵な二人ですね」「いいなぁ」「....」「あんな風に年をとれたらいいですね」しばし、鈴木さんと”いい年をとるには”など考察する。「いい年をとって、30年くらいしてまた登りませんか」「うーん」「....」この....は野田さん。30年後、今日お世話になったお返しに手など引いて差し上げて....。なんてことには天地がひっくり返ってもならないだろう。野田さんは30年経っても、ひょっとして40年経っても、さながらコンドルのようにしなやかに野山を飛び回っておられるに相違ない。それにしても、さてこの足は何処を歩いていることだろう。
 七つの頂上と二つのコブを越えた後はひたすら下り。季節の移り変わりが確実に体感されるたっぷりの道のりを心豊かに歩いた山行であった。


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