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北アルプス縦走
麻生 光子

山行日 1980年8月1日~4日
メンバー (L)島田、麻生、相沢

 槍ヶ岳~北穂高~奥穂高~涸沢
 私の一番の憧れだった涸沢、穂高。何と言っても名称がいい。横尾、徳沢、屏風岩聞いただけでワクワクする。是非一度は行かなくちゃと思っていたところだった。その槍、穂高、涸沢と縦走を終えて帰宅した数日間はさしたる感激も湧かないまま坦々と働いていた。そしてこの山行記録を書きながら思い出すのは夕闇の中に聳える吊尾根と涸沢に灯るテントの灯。
 8月1日(1日目)
 新宿発の夜行列車は人また人の混雑。食堂車が仮眠の場所になるなんて初体験。上高地に着いた朝は薄曇り。この時から11時間に及ぶ長い一日が始まる。少々ひねくれ者の私には清すぎる梓川を左手に徳沢園、横尾山荘を経て槍沢に入る。今日の行程は時間がかかることを覚悟しながらも紫外線の強い夏の太陽から肌を守ることも忘れずに化粧などしていたりするものだから、ついつい休憩時間も長くなる。目的地殺生ヒュッテに着いた時は16時を回ろうとしていた。安眠できる場所をと探すがほとんど他のパーティの領地になっている。槍ヶ岳を目の前にしても疲労のためか感激も薄い。おまけのポツポツ降る雨。始まったばかりの山行を不安にさせる。
 8月2日(2日目)
 3時30分起床。周りのテントもそこそこに起き出している。雨は止んだものの槍の頭が見えない曇り空。無理して食べた相沢さんが吐いてしまった。彼女の根性は私を驚かせる。「無理して食べない方がいい」なんてとても言えず心配しながらも黙るしかない。5時10分、槍を目指して出発。既にラッシュアワー。頂上なんてゆっくりしている暇もなく記念写真もそこそこに下山する。ピストンだからさほど大変でもない。これからが大変なのだ。大キレットが待ち構えているはず。岩尾根を足元を見ながらひたすら登る。四方に目を投げるとガスに囲まれた山並みが映る。初めて登った八ヶ岳の雲海を思い出したがあれほど素晴らしくない。南岳付近で道行く人に大キレットは?と聞くと「もう終わりじゃないの?」と無責任な答えに「あらもう、終わったの大したことなかったね」などと喜びながら昼ご飯を食べて一休み。何と、何と北穂高直近にして物凄いキレットがあるではないか、不覚。島田さんうまい具合にこなしていく。時々相沢さんの不安な声が聞える。14時北穂小屋着、今日の幕営地である。天幕を使う人は少なく幕場はゆっくりしている。北アルプスは幅広い年代の人達が楽しみに来るのか設備が整っている。明日のお昼の弁当まで準備してくれるのだから驚きだ。食べ物を選ばない私もさすがジフィーズだけは食べられず、おかずだけで腹を満たす。時間もあるので天気図の実施訓練をした。何を隠そう全く初めての試み。知ったような顔しても書くなんてことは一度もなかった怠け者は結局本番でボロ丸出し。19時就寝。
 8月3日(3日目)
 今日、相沢さんは下山する。また次の山行が控えている。島田さんと奥穂を目指す。槍をバックに記念写真を撮り、北穂小屋に水を買いにいった。ここでこの小屋の若年寄りと少々争いごとをした。水をなかなか売ってくれない。終いには「今の若い人はお金で何でも片付けようとしている」と言う。「それでは売ってもらえないのか」と言うと、いくらでも売ると言うのだから矛盾している。もっとも彼なりに他のことが言いたかったのかも知れない。涸沢岳を越えて穂高山荘には2時間で着いた。奥穂をピストン。右手にギザギザのジャンダルムが聳えるがさすがジャンダルムを通る人は少ない。左手には前穂とそれを結ぶ吊尾根。何故か吊尾根に心が惹かれる。せめて半分まで足を踏み入れたいと心が騒ぐが予定外のため断念する。後は最後の幕営地、涸沢に下山。憧れの涸沢団地だ。もうどんなに人が多くても一向に気にならない。ただ楽しいだけだ。ビールを飲んで、リンゴを食べて、島田さんの手料理を食べて夕暮れまで遊ぶ。テントの灯りがついて赤、青、黄と鮮やかで賑やかだ。そして奥穂、吊尾根、前穂が浮き彫りにされる。嫌味のないいい岩だ。吊尾根に惹かれる気持ちは昼よりももっともっと強い。隣のテントから歌が聞こえ、夜更けまで賑やかだった。またいつか来よう。今度は吊尾根に。島田さんの労に感謝しながら深い眠りについた。


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