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南アルプス・荒川三山 その1
小柴 芳美

山行日 1980年8月15日~18日
メンバー (L)田代、鈴木(一)、大野、小柴、相沢

 8月14日夜、新宿発23時45分の夜行で私達5人は出発した。
 今回の山行は南アルプス縦走ですが私は本やテレビの少しだけの知識しかなく、どんな山があるのかなどははっきり判らず、私にも登れるかという不安がありました。そんな不安の中で15日の朝、バスに揺られて塩見小屋より三伏峠へ向けて登り出した。しかし、最初の足取りの軽さがだんだんとザックの重みを肩に感じ始めました。
 今までの山行よりもしっかりしろと自分に言いながら登って行き、最初の小休止で鈴木さんが私の歩き方を見てか荷物を少し持つから出しなさいと言われた時は恥ずかしさで一杯でした、どうしてかわからないけれども....。
 途中の丸太のような橋を渡る時でさえ、緊張が歩いているような気分でした。周りの景色を見る余裕がなく一歩一歩確かめるように登ったが小休止の時など「こんな場所まで登ったんですね」と言って、周りを見渡す時が私は好きです。
 しかし、トップの相沢さんとの間が空いてしまい、セカンドの私がトップをやっているような感じになり少しでもトップに近づこうとしているが、なかなか思い通りにいかず三伏峠までの最後のトラバースの時など自分との戦いでした。5時間もかかって三伏峠小屋に着いた時は「あー着いた」と小さい声で言うのがやっとでした。
 キャンプ地までの25分は心も軽くシシウドの花の中を下って行った。
 テントを張り夕食の準備が始まり、田代リーダーの作ってくれた味噌肉野菜煮はとても美味しく、今日の辛さなど何処かへ飛んでいってしまいました。
 15日朝、昨日と同じ曇り空でガスの中の出発でした。烏帽子山頂を過ぎてから雨に降られ、その上雷も鳴り出したので急いでカッパを着て這松の中に入り込みました。
 雷の音が凄いので私はもうこのまま進めなくなるんだろうかと色々考えてリーダーの指示を待っていました。そして引き返すことになったが途中で様子を見ることになり、木の茂みに入り雨を避けていた。それから私達は小河内岳避難小屋へ向けて歩き出し、小屋に着いた時は安心しました。
 1時間40分ほど休み、今日の宿泊地の高山裏露営地へ向かった。小屋は小さく水場まで遠かったが、私の食事番で夕食でもあるので頑張って夕食を作った。しかし、作ったと言ってもボンカレー、サラダなんです、笑わないで下さい、私には大変なことだったんです。
 17日の朝は鈴木さんに色々教えてもらいながら朝食の準備、皆んなに「今日の味噌汁は美味しいよ」と言われた時は知らぬ間に渡しの顔がほころんでいました。
 山での私はまるで弱い子供であり、少しの温かい言葉にも心が動いてしまいます、自身を持てるまで頑張ろう。
 今日は一番大変な登りだと言われ帰りたくなり困ってしまいました、しかし負けてたまるかと思いトラバースにかかりましたが思った通り足はだんだん重くなる一方です。たった10分の休みさえ嬉しくなる。ガレ場前までの時間が長く感じ、またガレ場はすぐ前に頂上があるのになかなか着かず踏足を数えながらファイトという言葉を聞きながら登った時の嬉しさは何とも言えなかった、山頂の名前より登ったんだという気持ちの方が強かった。
 稜線を歩きながら花の色の鮮やかさが目につき私は登ってよかったと思いました。ガスが流されて下界が見えた時は感動しました、今までの何よりも素晴らしい景色だった。そんな中で前岳、悪沢岳、千枚岳と雨の山行だったが千枚岳小屋へ足を運びました。千枚岳小屋では会の川又君と合流することになっていたので皆んな楽しみにしていた。
 その日の夕方に明日も天気が悪いらしいので下山することに決まり、持ってきた食糧を食べ始め楽しい夕食時になる。
 夜、私は星が出て綺麗だったので首が痛くなるまで見上げていたが、やがて今日の疲れを取るように眠りにつきました。
 18日、懐電を使いながらバス停までの下山でしたがその途中、相沢さんの後につきながら滑った回数は7回、最後は5段の梯子から落ちてしまう、かすり傷だったが前に痛めた足が腫れていることに気付き私はびっくりした、コブみたいで気持ちが悪かった。田代さんに手当をしてもらい皆さんに荷物を持ってもらい下山しました。
 静岡で病院へ行ったりしてやっと東京に帰ってきた。
 山行を終えて私は色々と山に入っての知識など教えてもらい辛かったけど楽しい山行になり私にとっては自分を見つめるいい材料になりました。
 たった一つの花にでも感動し何でもない景色を見つめたり、星さえも胸に残る想い出です。
 田代さん、鈴木さん、相沢さん、大野さん色々ありがとうございました。


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