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春山合宿 その1 谷川岳芝倉沢
高木 利守
山行日 1980年5月3日~5日
メンバー (L)川田、稲田、江村(真)、江村(皦)、播磨、山本、田原、広瀬、伊藤、相沢、村山、北島、岡部、小柴、川又、麻生、田代、赤沼、高木

 「早く着かないかな」超満員の長岡行きの列車の中で考えたことはその他に何もない。正直な話、暑さと人いきれと寝不足も手伝って戻しそうになった時もあったのだ。この生地獄から開放されたのは3時頃だったろうか、トンネル内の土合駅から一行は天国へ行きそうな長い階段と反響する靴音とともに登って行った。
 今回の合宿は私には何もかもが新鮮に感じられた。谷川岳へ来るのも今回が初めて、山岳会の合宿というものに参加するのも初めてだ。芝倉沢へ来る途中、朝日を浴びて厳然とそそりたつ一ノ倉沢の圧倒的な印象は生涯忘れぬだろう。芝倉沢での初日は主に雪上訓練だが、面白かったのは滑落停止の訓練で一瞬怯むような斜面から滑り下りながらピッケルを打ち込んで停止させるというものだが、そのスリル感と雪と遊ぶ涼味が何とも言えない。しかし、学んだことはスピードが乗るとピッケルを打ち込んでも止められないということだ。凍った斜面では絶対に止まらないだろう。
 2日目も快晴で荷を背負って沢を詰めて行った。稜線まで手が届きそうなのだがなかなか着かない。背後には白毛門や至仏山が白く青空に浮かび出ている。一ノ倉岳へ出たのが昼頃で平標や仙ノ倉山、そして猫の形をした谷川岳が眼前に飛び込んできた。風もなく全く穏やかな晴天だ。テントも楽に張れたし稜線の訓練も楽だった。「何だ、谷川といってもチョロイね」と思ったりしたが夕方になって何となく空が白けてきた。夜になってキジ撃ちにいくと風が強くなってワーッと戦国時代の合戦の時のような無数の叫び声を聞いて恐ろしくなった。天幕の中で風の音の中に雨音を聞いたのは夜半になってからである。雨の混じる強風の中でのテント撤収は厳しかった。下山予定の西黒尾根は中止となり、視界ゼロのガスの中を茂倉岳から土樽へと下だっていった。山の天気の変化の早さを思い知らされた。
 反省することは天気図の取り方を知らないと絶対にダメであるということ、下山後足より肩や肘などの痛みが多かったことから、冬山を目指すなら上半身も鍛えなければいけないと思いました。

春山合宿 その2
村山 久美子

 必殺満員電車からやっと開放され真夜中の2時過ぎ土合駅に着いた。まるでトンネルの中にいるようなプラとホーム。新田次郎氏の小説に出てくる「天国への階段」っていうのはこれか、長い長い階段を数える余裕もなくただ足を運んでいく。
 2時間ほどで幕営地に到着、私にとって初めてのテント生活が始まる。雪を踏んで地面を平にして、入口の前は雪を深く掘って....教わることの一つ一つに対し頷いてばかりいた。何よりもこの好天に感謝しなくちゃいけないと思った。これから始まることへの期待感と緊張感を抱いてシュラフの中、2時間仮眠する。ポカポカ暖かい夢心地に誰かの声を聞いて飛び起きた。にこやかなお日様の下、汗がポタポタ落ちていく。歩き難い雪道、風が欲しい。曇らないかな、軟弱者め。
 さて、訓練の開始。雪上の登高からトラバース、アイゼンを付けての登高と続く。暑さのせいで疲れてくるが気を緩めたら直ぐに注意が飛んでくる。学生時代を思い出してしまった。キックステップで更に上へと登り滑落停止の練習。私の頭の中は笛の音で180度ひっくり返ることができるかな、ピッケルで身体のどこかを傷つけたりしないだろうか、という不安がちらほらしていた。でも、やるしかない。尻セードで飛び出した。笛が鳴った。あ、俯せになれた。ピッケルを雪に刺す。足を上げなくちゃ。教わったことを身体に伝え終わった時には、私はザイルに止められていた。今度こそはと思ってもピッケルはズズーッと空しく雪をひっかいて滑っていく。雪質のせいばかりじゃないことは十分わかっていながら最後まで思うようにはできなかった。途中、播磨さんと田原氏が帰られた。グリセードで気持ちよさそうに滑って行く。いつか私もできるようになるかしら。
 訓練が終わりテントに帰った時、何故かとてもホッとした。日中、食欲がなかったのがウソのように夕食はとてもよく食べた。しばらくして小林さんが現れた時ちょっと驚いた。でも全てが笑いに結びついてしまう方のご登場に嬉しくなる。明日、すぐ帰ってしまうなんて思ってもみなかった。星がいくつか輝きだした頃、原口さんのお子様が先にご到着。何となく三峰のカラーを浮き出させているものが何かわかってきたように思った。それはとても日本人的なもののような気がして嬉しい気分になる。満天の星を見たかったけれど明日のため原口さん一家のご到着も待たずテントに入った。
 翌日も天気は素晴らしく良い。写真を全員で写しラジオ体操をする。何年ぶりだろう。原口さん一家と小林さんに別れを告げていよいよ稜線へ向けて出発した。しっかり日焼けしそうだ、ゴーグルの中から汗がポトポト落ちてくる。45分間よ早く過ぎてくれ、そればかり思っていた。疲れはしたけどバテそうでもなく、ザックの重さもいつの間にかそれほど苦にならなくなっていた。田代さんのキックステップはとてもありがたかった。あと少しで稜線に出る、そう思った時からの登りがとても長く感じられ、まだまだよと自分を戒めた。やっと稜線に出た。今日はもう歩かなくていいんだと思った途端元気が出てきた感じ、現金な子だなあー。テントを張り一服した後、トラバースして2メートルほどの雪庇を登る。私がなかなか登れず足場を作ろうとしてとにかく雪を崩していると、川田さんが「こうするんだ」といって登って見せて下さった。その通りにやってみると先程までの苦労が信じられないくらい簡単に登ることができた。それからしばらく雪と戯れて皆んな自由に遊んでいた。雪ってやっぱりいいものだなー故郷を思い出したりして。夕食前に反省会が開かれた。話すのがそれほど得意じゃない私は思ったことの半分も言えなかったけれど日を追うごとに三峰が好きになっていく。一人一人の個性も面白く、何と言っても皆んな山が好きだっていうことがとてもいい。当たり前のことがとても嬉しい。合宿の始まる2日ほど前から私の胃と腸はめちゃくちゃになったような状態で、一時は参加するのを止めようかとも思ったぐらいだったけど、今本当に来て良かったと思っている。先輩方のちょっぴり厳しさが覗いたお話を聞いてやる気も出てきたところ。色が白くって夏は小さくなってた私だが今年は山の太陽に焼いてもらう。
 合宿最終日は予想通り雨と風が吹き荒れた。でも、これも経験と思うとへいちゃら、今は先輩方に安心してついて行く。山の良さっていうものは登った人にだけわかる。これから、私だけの最高の気分を沢山掴んでいこうと決める。よろしく。

春山合宿 その3
川又 康司

 満員電車から開放されて土合駅に着いた時は午前3時を過ぎていた。
 連休とあって車内は凄い混みようで眠ることができなかったためか全員眠そうである。自分もその中の一人で今日のこれからの行動を考えると不安である。
 駅でスパッツを付けヘッドライトを頼りに歩き出した。1時間近く歩いた所で朝食、駅を出た時には星が輝いていた空もすっかり明るくなり眠気も取れてきた。
 幕営予定地に到着、すぐにテント設営にかかった。話には聞いていたがカマ天はさすがに大きい。自分が初めて使用したテントは家型テントで防水が全く効かずフライもなく、そのうえ5人用に6人で寝たのであるが雨に降られテント内に上と下から染みてきてシュラフまでビッショリになり、眠ることもできず水浸しのテントの中で朝が来るのを待っていた。
 その時と比べるとカマ天もエスパースもとても頼りになりそうで安心した。テント設営後、少し仮眠を取った後、雪上訓練地へと出発した。
 先ず、稲田さんから説明を受けた後、キックステップ、水平トラバース、斜上トラバースと進んで昼食後、滑落停止を行った。
 斜面を登るにつれ傾斜も増し、それに比例して恐怖心も増してきた。田原さんの模範演技の後、順に斜面を滑り出し停止する練習へと移った。自分の番を待っている間はどうも嫌な気分である。ちょうど予防注射の順番でも待っているかのようだ。
 自分の番がきた。斜面を滑り出す、笛の合図で停止へと移ったがなかなか止まらない。両脇を締めて足を上げてなどと考えることはできてもなかなかできない。どうにか止まった時には体は横を向いていた。しかし、2回、3回と繰り返しているうちに頭で考えながらそのように体も動くようになってきた。
 1日目の工程も無事終わりテントに帰った時には体がだるくて動くことも苦しくなってしまった。
 翌日、目が覚めた時にはよく眠れたことと栄養満点の夕食が良かったのか気分壮快。全員カマ天で朝食の後、稜線を目指して出発した。天気に恵まれ暑くて暑くて半袖で歩きたい気分である。顔は日に焼けてヒリヒリしてきた。
 本日の幕営地は稜線を少し下だった所に決まり、テント設営後2回目の雪上訓練に入った。昨日よりはさすがに思い通り止まることもできたし多少の余裕を持つこともできた。そんな時、今日のリーダーである伊藤さんから「実際に滑り落ちたらこんなふうに止まることはできない、滑り落ちる体勢も違うし雪の質によってはピッケルが刺さらないんだ、だから先ず第一に落ちないことが大事なんだ」と言われ、キックステップなどの基本の重大さを教えられた。
 2日目の雪上訓練も無事終わり、夕食とともに反省会を開き2日目が終わった。
 3日目最後の日は昨日とはがらりと変わって雨、雨具に身を包んで茂倉新道を下って行った。
 初めての雪上訓練であり不安もあったがどうにか3日間が終わった。テントでの生活も楽しく、大変勉強になった合宿でありました。

春山合宿 その4 芝倉沢より谷川岳
赤沼 悦子

 電車は夜の中走り続けている。窓の外は中のギューギュー詰めのラッシュとは無関係に冷たい静寂を保っている。
 連休の前日のためか帰りの遅いサラリーマンと登山客で電車の中は足の踏み場もないほどの混雑である。
〈不安〉
 雪山もテント生活もこの春山合宿でする総てのことが私にとって初めてのことである。胸をときめかせての楽しみより胸をドキドキさせての不安が大きかった。悩みに悩んだ末の参加である。自分以外の全ての人が別の次元の世界の人のような錯覚を起こしてしまう(自分は初心者、多少の迷惑も許してくれるだろうとかなり甘えた考えでの参加である)。
 電車は熊谷を過ぎてもラッシュを解消することはなく登山客を運んでいく。遅れに遅れてどうにか乗り継ぎ、土合駅へと向かう。
 四百数段の階段をまだかまだかと登り詰めて土合駅の地上に出る。何とビックリ、真夜中というのに田舎の駅とは思えないほどの人の群れである。仮眠をとる場所も座る所もないほどである。私達は仮眠も取らずに懐電を照らし芝倉沢へと向かう。私の不安は少しずつ和らぎ合宿生活の軌道に乗りつつあった。
 山の朝明けは早かった。東京はもう桜の季節も終わり初夏の頃を思わせる季節というのに水上、土合周辺は桜が咲きほころび、トンネルを抜けると山々は白銀の世界である。冬の終わりが初夏を思わせる美しい景色である。
 土合駅より1時間余雪道を歩いた所で一休みし朝食を摂る。空腹は感じないが食べないと参ってしまうなどと自分に気をつかう。私達が一休みしている間にも2、3のパーティが通り過ぎて行く。
 再び歩き始める。起伏のない道をたらたらと歩いて行く。湯檜曽川に沿って進んで行くと巡視小屋があり、周辺にはもう幾つかの天幕が張られている。私達は水場の近い所に天幕を張った。ここで9時まで仮眠を取った。目覚めると1日も2日も過ぎたような錯覚に陥った。テントから這い出てビックリ!!目の前になんとも言いようのない一ノ倉の大絶壁がこちらを睨んでいる。まさか、人間があんな所を登るなんて想像もつかない。信じられない気持ちで岩壁を見つめる(岩壁は海だけのものと思っていた)。装備を備え訓練の場所へと歩く。山の斜面のあちらでは雪上訓練をする人の姿が見える。斜面を縫い誰もいないゲレンデへと登る。凄い急斜面である(私には垂直に思えた)。下を見て足のすくむ思いがした。
〈恐怖〉
 登り方、下り方、トラバース、そしてアイゼンを付けての登り方、下り方、そして魔の滑落停止!下を見ただけで足がすくむのに、この急傾斜を滑り落ちるとは....。一人一人順番で落ちていく(自分の順番がくるのが怖い)。皆んな上手にストップできる。私は人一倍重いから加速がついて止まれなくなるのではと不安な気持ちで待ち構えている。落ちる瞬間が怖いだけで後は無我夢中。川田さんの吹く笛の音がかすかに意識の中に入り込む。夢中で体を反転させピッケルを打ち込む。でもすぐには止まってくれずズルズルと下まで落ちていく。でも安心、下では補助ザイルを張って止まらないで落ちてくるのを楽しんでいるかのようにニヤニヤと笑って田原さん、播磨さん、江村さんが待ち構えている。
 どうにか1日の日程をこなしテントへと帰る(途中、播磨さんと田原さん下山)。
 夕食のメニューは豚汁。皆んなの手がかかり美味しかった。しばらく焚き火にあたりテントに入る。中は冷たく濡れている。今日の疲れと明日の起床が3時のため早く休む。自分の所は冷たくないようにシートを敷き、乾いたマットに寝たはずなのにかすかな眠りの中で(寒い)(冷たい)と思いながら虚ろに眠っていた。翌朝見ると何故か濡れた冷たいマットの上に寝ていた。
 パッキングを済ませ朝食の準備にかかる。朝食は力うどんである(山本さんと伊藤さんが鍋の中をかき混ぜ作っている(横では相沢さんと村山さんがしおらしくネギを刻んでいる、なんと女性らしいこと)。外はまだ真っ暗である。
 日の沈みも早かったが朝明けも早い。朝食を済ませるともう周りは明るくなっていた。テントを畳んでいるうちにもう出発の時刻。私は靴ずれと左足の関節の痛みが酷く稜線まで無事歩けるかどうか心配だった。でも歩き出したら歩くことに集中し痛みもどこへやらでどうにか歩調を合わせることができた。稜線までの登頂は遠かった。目の前に見えていながらなかなか着かない。何組かのパーティが私達と同じように稜線を目指して登っている。振り向くと凄い急傾斜。血の引く思いがする。滑ったらピッケルがあっても絶対に止まれないだろうと思い慎重になる。まだかまだかと思ううちにどうにか稜線に辿り着く。風が心地よく感じる。稜線から360度の展望は素晴らしい。来て良かったと満足感に浸る。ここより谷川岳寄りに天幕を張る(稲田さん、岡部さん、私の三人は今日下山)。30分くらい休み、谷川岳~天神平へと下る、一ノ倉岳の目前に肩の小屋が見える。すぐそこのような気持ちでいたがなかなか谷川岳に着かない。また間接が痛み出し、どうにも足が思うようにならない。先頭の岡部さんは軽やかにどんどん行ってしまう。お腹が空き吐き気がしてきた。「岡部さん、休もう」と稲田さんの声にホッとする。オキの耳でやっと一休み。パンを3個も食べた。すぐそこがトマの耳、今回2度目の登頂である(夏の草木も美しかったが白銀の山々も美しい)。
 天神尾根は下り一方の尾根だった。「ワオー」の声に振り向くと長い急斜面を二人の男性がお尻で滑り降りてくる。面白そう、歩くより楽そうと思っていると、稲田さんが「濡れてもよかったら滑ったら」の一言で私と岡部さんは斜面になると歩かずにお尻で滑り降りてきた。
 三人はほとんど口を利かなかったが私の気持ちは愉快だった。天神平に着いたのはいいが、ロープウェイはスキー客でいっぱい、乗るのに1時間も待たされやっと乗れた(電車も混んでいたら悲劇)。でも行いの良い三人のためか?電車は空いていた。
 夢まで見てグッスリ眠っていた。意識の中に「僕達みたいに、いいかげんに仕事をしてきたんではなく、体力を消耗しきって疲れているんだよ」の声に夢うつつに前を見ると若いサラリーマン。何と恥ずかしい。私はよだれを垂らして眠っていたのだ。顔を上げることができずずっと下を向いたまま乗ってきました。


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