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夏山合宿第二・大幽沢より三角山
川田 昭一

山行日 1980年8月22日~24日
メンバー (L)川田、播磨、伊藤、島田、江村(真)、江村(皦)

 夏期の会津只見地方の沢合宿シリーズも袖沢に始まり、北沢、洗戸沢と続けて今回の大幽沢(西の沢)で4回目を迎えた。
 田原氏の6人乗りの自家用車、田原氏にとっては愛車でも我々、伊藤、江村(真)、川田の3人にはどうしても欠陥車、整備不良車としか言いようのないワゴン車を借用して一路福島県の只見町へ安全運転で走る。
 江村兄弟、播磨、伊藤、川田の5人(平均年齢35才)に、まだ20代の半ば島田女史(現在、須貝夫人)一人を入れた計6人のメンバー。車内での話題はもっぱら「イワナが何匹釣れるだろうか?川田さん今回は?」(江村)「高捲きは極力避けて滝という滝は直登するんだ」と熱っぽく語る伊藤君、「丸山岳の草原にはどんな花が咲いているだろうか」花に詳しい江村の弟さん。
 「去年の洗戸沢より上等な水晶が採石できるといいんですがねエー江村さん」(川田)外はまだ雨が降り続いている。それも一降りで。夜明け前に黒谷川の最奥の部落、倉谷にて車中泊をする。
 入山1日目。  これから出かけるという直前になって雨が止んだ。しかし、これが中休みであるいはこの後また降り出すのか?
 さて濁りの黒谷川の水色を眺めて気になる。これ以上の増水がないことを願いながら小幽沢の出合まで車を奥へ移動させ、ここより大幽沢の出合まで30分の林道を黙々と歩く。林道が大きく左にくびれる所に大幽沢が黒谷川の本流に流れ込んでいるのが対岸から見られた。
 林道からは対岸へ付けられた吊橋を渡り、更に大幽沢に沿って付けられた作業道を上流に向かって詰め登った。
 途中、作業道は2回、沢身からそれて尾根に取り付いているが我々はこれを忠実に辿ったが失敗した。
 あくまで沢身から外れぬように遡行したほうがよい。
 やがて東と西に二分している出合、二俣に着く。水量は東からの方がやや多く、西の方は少ない。我々は予定通り水量の少ない西の沢に入る。
 これから先は参考資料が乏しく不安が先に立つ。なるべく高捲きせず「直登、直登をモットー!!」と日頃からよく語っていた伊藤君がトップで谷の奥へ奥へと詰める。かなり速いピッチで我々は進む。
 途中、水晶の巨岩を見つけたりカモシカを発見して、皆んな深く険しい谷に入ったことに満足し酔う。
 今日予定していた泊り場、黒河原沢の出合を通過後、西の沢に入って2度目のゴルジュ帯に入る。
 ここの通過も前と同様一旦高捲いたら両岸とも沢身に下るのに大変な時間と危険が伴うゴルジュ帯で沢身からあまり離れず滝の落口に体の半分まで浸かって悪場を切り抜けたりして進む。流れが直角に曲がり、しばらくはゴーロの中を進むと朝日沢が右から1mの落差をもって流れ込んでいる。
 ここまで来れば西の沢に入って半分は稼いだことになる。
 「この調子だと明日は丸山岳のピークは固いなぁー」こんな語りをしながらテント設営に入った。場所は朝日沢出合にかかる滝の上で、時計は5時半を廻っていた。
 江村兄弟が酒のサカナにと「イワナ」を釣りに出かけるが成果なし。兄さんが入渓した朝日沢では「アタリ」はあったが、弟さんの入った本流では「アタリ」はさっぱりなしとのこと。この一つの証から本流は「イワナ」が育ちにくい程沢が険悪であろうと思われる。
 8時間弱の行動、それも老体にムチを打っての行動はきつく辛かった。酒の酔いも手伝ってか「明日は焦らずゆっくり行こうや、丸山岳のピークは無理だろうから」こんな風に舌の乾かぬうちに語り合う内容が変わった。
 日暮れからの雨は相変わらず降っているし冷え切った体にもう一度寒気が走った。
 入山2日目。
 気になっていた雨は上がっていたので気が滅入らずに済んだ。これで日が照っていたらもっとすっきりするんだが、なかなかそう問屋は卸してくれない。
 テント場から10分も遡行しないうちに本流は直角に曲がって、やがて大きな釜をもった5m~6mの滝が前を塞ぎ、だいぶ手前の左岸に食い込むルンゼを利用して高捲きをする。この滝が引き金となってテント場を6時30分に出て約2時間30分相変わらず難しい滝が続く。
 三角山から派生した尾根が本流に落ち込む所は必ず滝がかかっている。
 伊藤君がトップで精力的に難場を切り抜けてくれるので安心して我々も後に続く。
 何本目の滝だったかはっきり記憶にないが大きな釜をもった落差3.5mの滝を右側から取付き滝上に出たのは伊藤、島田、それに私の順で、事故はその後に起きた。
 滝の右凹角に取付いた播磨さんがその凹角を処理し終わって滝の落口へ向かって左へのトラバース時、右手のバランスを崩してそのまま下へ落下した。
 落ちたままの状態でしばらく動かず、この5分間の沈黙は大変長く感じた。
 怪我の具合では我々だけで搬出できるか、その場合登ってきた沢を下るかそれとも尾根を使うか、それも二重遭難を起こさないで。
 しかし、登る以上に沢を下る方がもっと難しいことを考えると尾根しかない。予め入山前の知識として逃げ道を調べておいたこととを結びつけて頭の中で処理できたのはただそれだけ。やがて長い沈黙は終わった。
 墜落のショックで一時的な健忘症と目が虚ろなことを除いては大きな外傷はなく、自分の力で立って歩ける播磨さんを見て我々一同大いに安心する。
 伊藤君が下に降りてテキパキと救助処置をこなしている。播磨さんにはひとまず安全な場所へ移動してもらい、そこで休憩してもらう。普段見せない伊藤君の底力を見て頭が下がる思いがした。やがて顔の色にも赤味が増して意識もだいぶ回復してくれ改めて嬉しくなる。
 しかし、怪我の後遺症のことを考えると一刻も早く三角山の縦走路に出なくてはと次への脱出行動に移った。
 高度差約450mの三角山への(所要時間3時間半)ヤブ漕ぎに始まり縦走路へ出てから会津朝日岳直下の避難小屋までの延々と7時間もの道のりが播磨さんにとっては一番辛い時間ではなかったでしょうか。本当にご苦労様でした。
 避難小屋では焚き火で暖を取り、丸山岳のピークまでは行けなかったものの「不幸中の幸い」で無事終わったことを祝って残り多いアルコールを空きっ腹に流し込む。やがて大いびきの合唱が始まった。焚き火の周りには伊藤、江村(皦)の両君の宴が続いていた。明日は下山のみが待っているだけだ。

〈コースタイム〉
8月22日 黒谷川林道(小幽沢出合)(9:05) → 大幽沢出合(9:30) → 大幽沢二俣(12:20) → 西の沢F3(14:20) → 最初のゴルジュ(14:30) → 2回目のゴルジュ(16:00) → 黒河原沢(16:10) → 朝日沢出合(17:30)(泊)
8月23日 テント場(6:20) → 1060m地点(9:00~10:00) → 三角山ピーク(13:25) → 朝日岳ピーク(16:30) → 避難小屋(17:00)(泊)
8月24日 小屋(8:10) → 三吉の水場(9:55) → 白沢林道の登山口(10:55)

夏山合宿第二・私の反省
播磨 忠志

 3年前袖沢の支流の北沢を遡行し初めて丸山岳の山頂に立って南会津の山の良さを感じ、また前年の袖沢御神楽沢の遡行と併せて知った南会津の沢の良さを感じ、丸山岳の山頂から見た大幽沢の詰めの様子を見ていつかはこの沢を辿ってこの山頂に立ちたいと思った。しかし、川田君の入手した文献には大幽沢右俣は大変厳しいと書いてあったのでそれなりの覚悟はしていたのであるが。
 今年の夏は不順な天候が続き、私ぐらいの年令の者はそれでなくても山へ入る日数が少なくなっているのに出鼻をくじかれてなかなか山へ登る気が起こらないものだ。そうこうしている間に夏も終わりに近くなり急遽今回の夏合宿に入ることとなった。
 しかし、それまでのサボりが祟って体力の準備も精神力の準備もないままぶっつけ本番で参加したものだから、大幽沢右俣は厳しいとは覚悟していたものの、初日からアゴの出しっぱなしで下・中流域のゴルジュの通過には伊藤君に大変世話になり、また急に参加したための打ち合わせ不足によるガソリンバーナーを車の中に忘れる等の不手際をしでかし参加した皆様に大変迷惑をおかけしました。その上の第2日目の私の滝からの転落によりそれ以後の合宿の日程を全て狂わせてしまい、私自身反省すると同時に大変申し訳なく思っています。
 しかし、今回の山行に参加して予想に違わぬ大幽沢の原始性とスケールの大きさ、そして南会津の沢の良さ、山の良さに接してやはりこの合宿に参加して良かったと思うほうが大きく、リーダーの川田君や私の失敗にもかかわらず今回の山行を楽しいものにしてくれた山の仲間に心から感謝を申し上げます。
 おそらくこの山行は今までの登山の中でも強烈に印象に残ることでしょう。


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