トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ242号目次

薬師岳・剣岳
高木 利守

山行日 1980年8月8日~10日
メンバー 高木(単独)

 私が初めて薬師岳を見たのは5年前の6月、室堂から美女平へ向かうバスの中からだった。ガスガイドが「左手に見えます山が名峰薬師岳でございます」というので振り向くと青黒いずんぐりした形の山で双耳を持つ山頂近くは白く輝いていた。当時は山登りをしていなかったので、美しい山だが私には遠い、無縁の風景にすぎないと思っていた。
 山登りを始めるようになってからもしばしば「あの薬師岳へ登りたい」という思いが頭から離れなかった。私はよく徒然に「登りたい山の一覧」を書くのだが常にこの山をトップに挙げた。青春末期の焦りなのだろうか、もういたたまれなくなり行くことにした。キスリングに荷物を詰め込みながら、今回ほどの異常な興奮と喜びを感じたことはかつてなかった。
 有峰の登山口に着く頃は霧が酷くてガッカリしたが樹林帯の急登を過ぎる頃から大分明るくなって登山道も驚くほど広くなだらかになった。何という花か知らないが黄色く咲き乱れた所で休んでいたら霧が急に消えて眼前に夢にまで見た薬師岳が黄緑色の優美な稜線を描いて浮かび出た。あまり突然だったので感動というよりも衝撃を感じた。山頂近くは白く見えたが、後日判るのだがこれは雪ではなく岩と土との色で這松の青さとのコントラストが強いので輝いて見えるのだ。
 太郎兵衛平に着いたのが2時頃でここから雲ノ平や黒部五郎岳を生まれて初めて見ることができた。その日は薬師平に買いたてのテントを張り早目に横になったが、夏の日は長く7時過ぎまで明るかった。疲れているのだがなかなか寝つかれず外へ出ると目眩がするほどの星空だった。
 3時頃テントを出て山頂を目指したが意外と他の登山者と全く会わなかった。始めは沢筋の嫌な道だったが遭難碑を過ぎると気持ち良い尾根道になった。その頃には東の空も赤くなり始めて山頂付近を黒く浮かばせていた。山頂にはもう随分人がいるらしい。赤い空に黒くシルエットに見える待望の稜線に出た時、ちょうど日の出で幻灯機で照らし出すように黒い山々が緑に、赤に、オレンジ色に輝き出した。山頂に着いて驚いたのは多数の登山者に見えた姿は実はケルンであった。祠の近くに二人の登山者がいただけだった。足下の巨大なカールの向こうに赤牛岳や水晶岳、遠くに槍ヶ岳や穂高連峰、左の方向には鹿島槍、剣、立山。後ろを向けば有明湖が細長く見える。意外だったのは多分、山頂に立つと感動で胸が熱くなると思ったのが、実際は何か空虚であった。
 予定通り、その日は太郎兵衛平から同じ有峰へ下り、立山からケーブルとバスに乗り継いで室堂の雷鳥沢にテントを設営した。翌日は剣岳へピストンで、少しきついかもしれない。
 2時半頃テントを出て暗闇の川原を懐電で照らしつつ登山口を探したがうっかり見落として大分時間をロスした。電光形の急登で剱御前小屋の前に着く頃はバテバテになったが眼前には黒いスペードを思わせる剣岳がドッシリと構えていた。その姿は何か不吉な予感を私に与えてゾッとした。踏み出す一歩は「決意」そのものだった。と言うのは少し大げさか。歩けば歩くほど巨大な姿が近づいてきて比例して道も険しくなってきた。剣沢に張られているテントが赤玉のように小さく見える。一般コースとしてはどうかなと思うほど危ない所もかなりあったように思う。ガレと岩場をミックスして急登にした感じだ。遠く先を見ると赤や青の人影が岩に貼り付いてなかなか動かない。前剣を剣岳と間違えてガッカリした。同じような形をしていて暫くの間本剣が前剣に隠れて見えなくなるためだ。
 山頂に着くと残念ながらガスの中だったが何とか無事にこれたという満足感と、もう登りから開放されるのが何よりも嬉しかった。雷鳥沢に戻る頃は大分暗くなってしまった。予定ではこの日に室堂から大町方面へ下る予定だったがダメだった。予備日の明日は帰るだけだ。
 次の朝は快晴で、前日、剣御前小屋に泊って立山三山を縦走して帰った方が良かったのではないかと思った。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ242号目次