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「木曽駒ヶ岳」 中央アルプス縦走断念記
岡部 整子

山行日 1980年11月1日~3日
メンバー (L)広瀬、川又、岡部

 「明日どうしようか、1日早いが千畳敷からロープウェイで下るか」
 1泊目、西駒山荘での会話である。私達は木曽駒ヶ岳から宝剣岳を越えて空木岳までの縦走という計画をもって入山した。しかし、予想外の雪とともにアイゼン、ピッケルなしの装備ではこの山行内容を検討する必要がでてきました。
 11月1日から3日までの日程で私達三人、リーダーの広瀬氏、若手の川又君、そして私岡部は新宿を夜行で発った。スムーズに座席を確保できた私達はひとしきり話に興じ、睡眠をとるべく目を閉じた。うとうとして目覚めると隣りに座っていたはずの川又君が犠牲的精神をもって新聞紙に体をのせて床上の人となっていた。
 5時、伊那駅に降り立つ。冷えた空気が鉄の硬さで迫ってくる。駅の待合室にて朝食を摂るが、食欲がわかない広瀬氏は何も口にしなかった。6時25分、タクシーで伊那を発ち登山口である桂小場に20分後着く。何と、寒風の朝の静けさの中で散り際の桜のように雪がちらついている。水筒に水を満たし7時出発、上空は青空でまずまずの天気だった。
 取付きの登山道は傾斜もゆるく、またしっかり整備されている。晩秋の雑木林を歩いていくと不自然に左手に急降下している道に出た。一瞬、3人共道を間違えたのかと不安になる。というのもこのコースは私達にとっては未知であったためだ。けれど改めて見ると先行の他パーティの踏み跡がある”良かった”。最初1、2回の小休憩では薄っすらだった雪も今では20cmくらいになっていた。一方通行に吹く風は右の耳だけ冷たくしていく。出発してから3時間後の10時、大樽小屋に着く、小屋下の水場は既に凍っていた。お茶を沸かし昼食。吐く息も白くヤッケ、スパッツを類を身に着け10時半出発、「胸突き八丁坂」の道標を見て気を引き締める。
 私のペースはトロトロ亀のよう、調子が悪いという川又君の方が私より速いペースで登って行く。約2時間にてこの坂より開放され将棋頭に続く尾根の鞍部で休憩。2時45分、二人に励まされ将棋頭に着く、エビの尻尾が付き風もある。御岳をバックに思う存分記念撮影、予定の中岳幕場を取り止めすぐ下の西駒山荘に駆け下る。山荘の板張りにテントを張り終え、雪取りに外へ行った二人を見送った私はひどく疲れをその時感じていた。
 山荘を7時出発、トップの広瀬氏が山荘横で4万5千円入りの封筒を拾う。表書きの文字と内容により昨日より私達と前後して登っていたパーティだろうと目星をつける。勘が当たり宝剣山荘にて具合の悪いメンバーを千畳敷まで降ろし、今しがた戻ってきた彼らの一人に渡すことができた。
 濃ヶ池への道を左に分けガスる中、馬の背の稜線を駒に向けて登る。もう着いてもいい頃だと思うのだがその都度に裏切られ、またお腹の方も空いてきた。分岐より1時間30分、神社が祀られている山頂に着く。展望は全然利かない。雪の中で登頂を喜び記念写真を済ませ、寒いこともあって中岳小屋に向けて駆け下る。小屋は鍵がかかっており軒下にて軽く食べる。10時過ぎ小屋を後に中岳の巻道を急ぐ、左手を見上げると薄暗い中に白く塗り固められた杉の木のように雪が付いてそそり立っている。エビの尻尾も昨日と比べ大きい。慎重にトップの広瀬氏が歩を進める。意外にも早く宝剣山荘が現れた。宝剣へのアタックは装備不足のため中止しロープウェイにて下山。駒ヶ根高原にて幕営。
 空いた3日目は霧ヶ峰に足を伸ばし山行ならず観光を満喫し帰京したのだった。


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