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長九郎山
中村 順

山行日 1981年6月15日
メンバー (L)鈴木(嶽)、江村(皦)、中村、播磨、川又、小柴、国行、村山

 東京駅20時23分発の電車で三島経由修善寺へと向かう。途中の駅で村山、小柴さんが加わり例の如くアルコールを飲みながらいつの間にか修善寺の駅に着き、型通り駅のベンチや床にシュラフをひいて潜り込んだ。夜半に目を覚ますと何やら騒がしくかつ水滴が顔に当たる。川又君が一人起きて何か言っているのでシュラフから顔を出してみると驚いたことに猛烈な風雨で吹き抜けの構内はみな濡れている。せっかくの山行をと思いながら寝るのを諦めて早い朝食を摂っていると皆も起き出してきて不満顔に「今日は観光旅行だな」とか「下田の例の寺へ拝観に行こう」などと言い合う。
 しかし、明るくなってきて雨は一応止み、風だけが吹いている状態となり、ともかく行ってみようということになってタクシーで大川端キャンプ場まで入った。着いてみると雨は止んでどうやら登れそうだと道のはっきりしないところの沢沿いに行くと途中沢を石伝いに渡る場所があって、ここが小柴さんの本日の躓きの初めとなった。川の真ん中の石で立ち往生して皆に「跳べ、跳べ」とやられた。
 そこは何とか通過して旧天城峠へと急な登りで高度を上げて、伊豆の山々がなだらかなカーブを見せるようになるとどうやら雨の心配も薄れてくる。良かったなと思っていると突然に橋の所で「キャッ」と声がする。小柴さんが腐った橋の真ん中を踏み抜いたのだ。山の本によく気を付けるようにと書いてあるのだが、目の前で落ちるのは初めて見た。運よく片足だけだったので下の沢には落ちなかったが、この後橋があると皆にからかわれていた。
 約1時間で旧天城峠に出たが樹林帯の中の鬱蒼とした所で伊豆の踊子の感激もなく、朝の出発が遅れた時間を稼ごうとすぐに出発する。ここから滑沢峠を経て諸坪峠までは不思議なくらい水平な道で山の中腹辺りを等高線に沿ってくねくねと行く。しかし、道そのものは整備もされてなくヤブが道を覆っていたり、伊豆地震による土砂崩れの跡が何ヶ所もあってその度に小柴さんを騒がしていた。この途中の間も江村さんと鈴木さんは道のあちこちで専門の植物採集をしてお互いにこれはなんだ、かんだとやっているが、僕は花を見てさえも判らないのに芽や枝、茎だけでやっているのだからさすがである。僕たちに判ったのはワサビ畑へ行ってワサビを採った時である。これは皆真剣にやっていた。その中に太いのが1本採れて、翌日刺身と一緒に食べたが実に美味でうまかった。念のために断わっておくがこのワサビ畑はかなり荒れていて栽培を中止しているものと思われるものである。ドロボーなんて人聞きの悪い。でも皆も採ったワサビをビニール袋に入れて大事そうにザックにしまい込んでいた。
 諸坪峠に着いて林道に出るとそれまで林の中でさほど気づかなかったが激しい風である。天気は青空が見えるくらい良くなったが前に倒れるようにしても風で支えられるくらいである。風の当たらない所で昼食を摂り、林道をしばらく行くと長九郎登山口でようやく水平な道でなく高度を稼ぐようになる。そして伊豆の山の向こうに富士山が見えてくる。風の強いのを証明するかのように富士の上に笠がかかっていた。
 約1時間で長九郎の頂上のすぐ下でシャクナゲの林の中の気持ち良い道へ出る。シャクナゲの花の咲く頃は見事だろう。行きのタクシーの運ちゃんが「今頃行っても何もありませんよ」と言っていたが、そう言えば大川端からここまで6時間、他の登山者を見なかった。きっと今頃登るのは通人なのだろう。それにしては賑やかな人が多くて少々うるさかった。
 長九郎の頂上には鋼鉄製の見晴台があって登ると360度の展望で富士山や西伊豆の海が見えるが、強風で記念写真を撮ると早々と降りてしまった。長かった登山もようやく目的地に着きほっとして下山にかかると木を切り倒した歩き難い所などがあったが難なく通過してススキの一面に茂った斜面を海へと下って行く。夕日を浴びてとても綺麗だったが皆疲れたのか最後の2時間ずっと黙って歩いていた。


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