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冬の上高地 日記より その1
江村 真一

 12月27日(晴れ、雪、大雪)
 昼に車で出発、塩尻着16時30分、予定では大町に着く時刻だ。8、9年前の正月、栂池からの帰りにこんなことがあった。富士見峠への登りからアイスバーンの雪道と事故の渋滞ですっかり時間を取られてしまった。
 今日中にスキー2台を大町の七倉荘へ届けて塩尻の家へ戻らなければならない。一休みの後、大町へ向けて出発する。
 夜の雪に覆われた田舎の街道は静まり返っている。ライトに浮かび上がる光景は樹も家も畑も綿帽子を被ったようでなかなかきれいだ。しかし、心は焦る。
 七倉荘着21時。
 「たまに来たのにどうして泊まらないのか」
 「こんなに遅くなって塩尻まで帰るの?」
と盛んに泊っていくように若夫婦が勧めてくれる。そうこうしているうちにおばあちゃんまで出てきて盛んに言う。雪道を走り続けて嫌気のさしていた折でもあり心は動く。「明日は上高地にどうしても入りたいので」と丁重に辞退して立ち去る。
 雪はどんどん降っている。いや落ちてくる。雪のため周囲の景色はほとんど見えない。ただ路らしき所を探してゆっくり走るのみであった。塩尻着23時30分。
 12月28日(大雪)
 沢渡着8時、腹ごしらえと荷造りをして9時出発、雪は相変わらず降っている。トンネル工事の車がかなりゲートを入って行くが一般車はストップ。冬山合宿は昨年、一昨年と新穂高から槍、奥穂へ入った。沢渡から冬の入山は7年前の蝶ヶ岳以来だ。入山の1~2時間は特にある種の緊張感と期待感で心が引き締まる思いだ。そして、この時期のこの付近の記憶が蘇る。
 坂巻温泉付近になると雪崩が道を塞いでいる箇所が出てきた。今までにないことだ。いよいよ重荷が肩に食い込んでくる。懐電も出さずに釜トンネルへ突入する。前後に人気はない。2、3度側壁にぶつかりそうになったが無事に脱出。そしてその直後の雪崩の巣、いつ通っても嫌らしい所だ。
 大正池は淡彩画のように薄っすらとしてあまり存在感がない。雪の降る中をただただ黙々と田代橋へと歩く。
 13時30分、田代橋着。
 10日ぐらいは滞在の予定なので丁寧に天幕を張る。腰までの雪を整地して入口の穴を掘って....、雪と汗にまみれての作業になった。
 11月に荷上げした物を取りに木村小屋へ出かける。「天気良くなるといいな、頑張って絵描け」と励ましてくれる「吹雪いてきたら早く来い」お礼も受け取らずに嬉しいことを言ってくれる。
 荷上げの品は一斗缶3個。担ぎ上げた物もかなり多く狭いテントの中は混雑。半月ぐらいの食料および酒類は十分であった。
 夕方梓川へ出てみる。水量はやや少ないが滔々と流れている。温泉ホテルも清水屋も雪に霞んで冬の眠りについている。
 あの立派な田代橋に雪が積もり大きなカマボコ型になっている、渡るのが怖いほどである。まだ時期が早いのかテントは橋を挟んで合計3張しかない。もう2、3日すれば賑やかになることだろう。
 疲れと酒のためすっかり寝込んでしまった。息苦しい。一瞬どうなっているのかわからず慌ててしまった。雪の重みで天幕が潰れ顔に当たっているのだ。時計は午前0時を指している。入念に除雪、30分間。明朝まで持ってくれればと思いつつ作業する。ほぼ同じ状況にて午前4時、除雪。除く雪を自分の頭より高い所へ投げなければならない。
 29日(大雪)
 7時頃までうとうとと寝ている。外は相変わらず降り続いている。冬山では当然と決めこんで今日はごろ寝と除雪で過ごそうと朝から酒を始める。
 昼過ぎやや小降りになった。寝るのも酒も丁度飽きが来たところだったので西穂への道を偵察に出かける。この大雪なのにあまりにもしっかりルートが付いているのに驚かされた。それもそのはず、田代橋から2、30分登った時、前方に大部隊が座り込んでいるのを発見。トヨタ自工山岳会の約20名の人であった。話によると岳沢~前穂を目指していたが、あまりの雪で危険なためテントを撤収してここへ来たとのこと。
 それから先はひどいラッセル、それでもルートは上へ上へとはっきり延びていた。時間もあるので河童橋へ回ることにして田代橋を左折した。庄吉の小屋まででトレースが終わっている。それから先は全く身動きできず。このまま帰幕では悔しいので帝国ホテル経由で行く。シーズン中の喧騒がうそのよう、スキーを付けたまま中年紳士が唯一人「スキーで上高地を歩きたかった」と。
 収穫なし、のんびり帰る。橋のたもとの便所に不審な二人連れがいる。仲間と待ち合わせたが遂に来なかったとのこと。天幕がないので今晩はトイレビバークだそうだ。
 ラジオは西高東低の冬型を繰り返し、8年とか12年ぶりの大雪で高山線、大糸線が数ヶ所で不通になっていると報じた。
 30日(曇り、小雪)
 目が覚めると昨日までと打って変わって静かだ。そして明るい。心を躍らせてテントから顔を出す。頭上に霞沢岳の三本槍があった。朝食も早々に田代池に出かける。
 山はまだ微笑むところまでいっていないがとにかく雲間に前穂が見えている。そして私の記憶より遥かに高く崇高であった。西穂も割谷山も焼岳も11月中旬に見た姿とは全く違う。特に焼岳の冬姿はいい。幾重にも雪の衣を着けているようだ。奥穂はどういうわけか嫌がって姿を見せない。明日、明後日、その次の日も待って必ずものにしてやるぞ!
 「田代池は冬でも決して凍らない面積のある池だ。早朝は熱い湯の池のように湯気を出して、そして湯気が周囲の立樹に付き霧氷ができる。その霧氷に太陽が当たりキラキラと輝く、バックはまだ日の当たらぬ黒々とした霞沢岳であった。」これは惨めな姿になる前の冬の田代池である。今は田代川になってしまい湯気も出ない。これも自然の摂理と諦めよう。
 昼過ぎ小雪が舞ってきた。
 登山者がぞろぞろ入ってきた。
 帰り道、八右衛門沢に足を踏み入れた。昨年の8月この沢から霞沢岳へ登ったので冬の様子を少しでも知りたかった。しかし、全く受け入れてくれなかった。
 除雪がないとこんなに楽なものか。
 周りにテント村ができた。
 明日はきっと晴れるだろう。


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