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日光白根山
勝部 辰朗

山行日 1981年6月20日~21日
メンバー (L)広瀬、安田、植村、勝部

 日光白根の計画が広瀬さんから発表された時、「そろそろやろうと思っていた時だけに渡り船だ」と心の中でつぶやいた。実をいうと丁度1年前、単独で登ったが山頂で濃いガスに巻かれ下山道を見い出せず、山頂付近を1時間半近くさまよい歩いた。しかも、元来た道を引き返そうとしたがそれすら一瞬見失って随分情けない思いをしたことがあった。あの下山路はどこだったのか、絶対もう一度登って確かめずにはおくものかと思っていた。
 計画は、湯元ー奥白根ー金精峠ー念仏平避難小屋(泊)-奥鬼怒温泉郷でした。
 6月19日、上野19時43分発、宇都宮乗換、国鉄日光駅22時32分着。日光駅の改札は駅員がいなかった。駅待合室はガスっていて冷え込み吐く息が白く、またガスに巻かれるんじゃないかと嫌な予感を抱きながら23時30分シュラフに潜り込んだ。
 6月20日、東武日光駅へ行ってみたが始発のバスに乗り遅れてしまった。初っ端から少々ズッコケ気味で皆苦笑いをした。
 6時45分乗車、湯元着8時14分。8時35分歩き始め、スキー場のリフトに沿ったなだらかな斜面を登って行ったが体が慣れず大分きつかった。こんなことでは先が思いやられると思ったが、リフトの終点より急登に入りハアハアと喘ぎながら一汗二汗かいているうちに絶好調になってきた。
 しかし、広瀬さんは体調が悪くきつそうだ。トップの僕が自分のペースだけ考えて歩いたため余計調子を狂わせてしまい、悪いことをしてしまった。
 今まで単独行の心細さから目的地に少しでも早く着いておこうとする速歩きの習性が身についているように思われる。仲間の体調を考えない自分勝手さを反省し、これから歩調を合わせて歩くように心掛けなければいけないと思った。
 10時40分、天狗平でやっと長い辛い急登が終わった。ここら辺りより残雪を踏む所がちらほらと現れ始めた。
 前白根11時20分、奥白根山13時10分。山頂は薄いガスがかかり展望は利かず非常に残念だった。
 問題の下山路は今来た方向より右手に少し下り、少し登ってまた赤く酸化した岩道を下って行く道だった。
 分かってみると去年散々苦労したことが、あほらしいやらばかばかしいやら。去年は山頂へ出る少し前を左へと踏み跡を追って行ったため迷っていたのでした。あのまま下って行ったらとんでもない方向へ行くところで今考えるとゾッとし、ガスの恐ろしさを改めて痛感した。
 少し下ってから山頂が晴れた。悔しいなー。弥陀ヶ池、菅沼、丸沼が目の前に現れ、ホッと心が和むような景色が広がった。弥陀ヶ池13時55分。晴れ間が時々覗き静かな水面や樹々をところどころ照らし、一寸ロマンチックな気分になる。
 こんな所でテントを張り、彼女と恋を語るのに最適なところのようだが、よく考えてみたら僕には彼女はいなかったのだ。
 五色山14時45分。ここからの下りを間違えて30分程度ロスした。金精峠17時25分。温泉ヶ岳への登りを見上げれば、その急登のあまりの素晴らしさに登って行く気がみるみる失せてしまった。
 時間的に、また体力的に予定の念仏平までは無理なため、ここより菅沼へ下る。菅沼18時10分。菅沼のバンガローを借りることになった。バンガローを使ったなどとみっともないので「会の人達には絶対内緒にしておこう」と固い男の約束を交わしたのでありました。山に行って畳の上で布団にくるまって眠れるというのは、幸せと言おうか何と言おうか複雑な心境でした。
 明日は温泉に浸かるだけ、大いに飲んだことは言うまでもない。
 6月21日、菅沼9時30分のバスで湯元着9時51分。今回の山行の大目標であった「温泉に入ってビールを飲もう」にアタックを開始した(ご休憩2時間千円)。湯上りのビールの味は格別、要求貫徹、有言実行、極楽浄土、ハッピーハッピーなのです。
 旅館を後にして戦場ヶ原を散歩し滝上バス停よりバスで東武日光駅へ。
 この2日間、あまりパッとしない天気だったが心配した雨に降られず助かった。また、計画通りにはいかず少々ズッコケ気味になったが、僕としては宿題が一つ片付いたし、場所こそ違え温泉に入ってビールを飲むという当初の目的は十分達したし、いうことはありませんでした。今回の計画を立てた広瀬さんに感謝をします。


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