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一の越より剣岳
野口 孝司

山行日 1981年8月1日~3日
メンバー (L)野口、鈴木(竹)

 実は今回の山行については鈴木竹さんと同行したのですが、彼は三峰会員の中村氏ファミリーと一緒に爺岳に登る予定だったのを、俺と一緒に行かないならばO.Bを除名するとか何とか言って強引に口説いて同行願った訳である。
 7月31日、新宿発22時30分の列車のワッペンは11号車なので松本止まりであるが座っていけるので竹さんと乗車する。
 3時45分松本着、ここで乗り換えのため下車したが最寄りの車両は混雑しているので指定席車に割り込むと、突然、あのー三峰のという声が掛かったのでよく見ると小林健ちゃんがジョギング仲間だという他の3名と席に座っていた。ヤァーヤァーという訳で聞けばコースは大体同じでキロは阿曽原から黒部を下っていくとのことで、では途中まで一緒で行きましょうとバス、ケーブルと乗り継いで室堂着が8時30分。腹ごしらえと仕度などで出発が9時30分。
 今年は残雪が多く、一般客と登山客に混じってスキーヤーが大分目につく。一の越まで何度も残雪を踏みしめ喘ぎ喘ぎ登っていくが祓堂の所で大休止(最初からこんな調子では先が思いやられる。やはり歳のせいかな)。一の越着11時。
 人混みの中から竹さんに声を掛けられる、聞けば小林君一行は先に行ったとのこと、まあいいや、二人合わせて122歳、ロートル組はのんびり行こうや、日暮れまでに今夜の宿の剣御前小屋に着けばいいのだからとここでまた大休止。
 雄山への登りは一般客が多く混雑している、以前6月に来た時は雷鳥が見られたが、この人出では雷鳥もびっくらこいて寄りつかないだろう。ヘリコプターから見ればアリの行列と間違えられるくらいの人の波である。
 雄山神社に参拝の後、縦走路に出れば今までの混雑と打って変わった静けさでやっと山屋の気分になる。腹も大分空いてきたので昼食と思うが適当な場所もなくもう少しもう少しと思ううちに大汝休憩所まで来てしまった。しかし、疲れと水分を多くとったので食欲は全くなし(昼食にと用意したパンは竹さんに食べられ、その代りにと出されたパサパサの握り飯では全然喉に通らない、こんなことでは疲れが増すばかりと知っていてもやっぱり駄目)。小休止したのみで歩き出す。午後も大分過ぎたが天気は快晴、歩みは牛歩で遅々として進まず。この調子では駄目だから、剣御前小屋を止めて内蔵助山荘泊りとするか、その方が朝のシャッターチャンスは多いよと言えば、竹さんは彼なりに結構疲れていたとみえてすぐにOK。
 内蔵助山荘に着いたのは4時近かった、思ったより混んでいるのでシーズンなので仕方がないと思ったのがとんだ勘違い、剣御前小屋が火災で全焼したのでこちらに登山客が流れてくるとの話であった。そう言えば縦走中、剣岳方面で山火事にしては小さいし、焚き火にしては大きな煙が上がっていたが余り気にも止めなかったが、さあこれからが大変、7畳の部屋に21人寝てくれとのこと、どうやってもはみ出すので相談の上、押し入れに二人、廊下に三人寝てもらったがとんだハプニングであった。
 8月2日、朝の御来光はいつでも神々しい、雲海の彼方、後立山の上空が茜色に染まってくる。遠く富士山、槍ヶ岳、奥穂高岳、笠ヶ岳、後方は加賀の白山と視界は素晴らしい。朝食の後チンタラ道中の出発である。別山は剣岳のカメラアングルとして絶好の場所である。剣岳から八ツ峰、雲海の彼方の後立山と思いのままシャッターを切っていた。「今日はこのまま下山して温泉に浸かってビールで乾杯するか」と思っていると、竹さんが剣岳へ行くので出発だと言う。いやいやしながらリュックを背に歩き出す。
 剣御前小屋は感心するほどよく焼けたものである。未だ余燻の煙が上がっていたが聞けば漏電が原因とのことである。警察官が数人現場検証していた。
 剣御前尾根を越えて剣山荘着11時。リュックを預け昼食もそこそこに出かけようとすると小林君一行とパッタリ、聞けば剣岳を往復してきたとのこと、ではお元気でと別れの挨拶の後、先ず一服剣を目指して登り始める。時間的に遅いので下山者が多い。一服剣で一服し前剣へ向けて急登する。ガスが出てはまた消える。竹さんがこのガスでは仕方ないので前剣まで行って引き返すかと声を掛ける。そのつもりで前剣まで行くとガスがすっかり消えて頂上がよく見える。では避難小屋まで行ってみるかとまた歩き出す。下山者が頂上はもう一息ですよと声を掛けて通り過ぎる。竹さんどうするか、どうするかって、どうするか、と互いに牽制する。「内心は引き返したいのと違うか」お前どうする行く気があるなら行くぞ、では行くかと小屋の裏手より鎖場に挑む。カニの横ばい、梯子、また鎖と次々に越えて頂上到着が15時30分。お互いグジュグジュ言い合いながら、年寄りの意地?で、とうとう剣岳に来てしまった(単独行だったらおそらく途中で引き返していたろう、それほど私は疲れていた)。
 北アルプスの南の重鎮を穂高とすれば、北の俊英は剱岳ではないだろうか。日本アルプスの高峰にはそれぞれの風格があるけれど、一つの尖端を頂点として胸のすくような金字塔を作っているのはこの剣岳ではあるまいか。
 コーヒー一杯と記念撮影をして早々下山にかかる。ガスのため薄暗くなってきた頃山荘に帰り着く。
 8月3日、今日も天気は快晴、本日は下山のみなのでゆっくりして出発する。剣御前小屋の焼け跡はすっかり片付いていた。町営とはいえシーズン中の火災で大きな損害であろう。お悔やみ申し上げたい。
 帰路は雷鳥沢を下るつもりでいたが時間が早いので室堂乗越へ廻り、雷鳥山荘に着いたのが11時、温泉にのびのび浸かってビールで乾杯、コースとしては一般向きで大したことはないのだがお互いの無事を祈った次第である。


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