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鳳凰三山
中村 順

山行日 1981年11月28日~29日
メンバー (L)中村、広瀬、安田、植村、勝部

 冬山の初心者コースとして鳳凰三山を選び、僕がリーダーとなって女の子を誘ったのに皆に振られ結局、広瀬、植村、安田、勝部という三峰最強の(最悪の?)メンバーで登ることになった。
 11月27日の台風崩れの雨の中、新宿に集まって最終の鈍行で行く。ところが予想を裏切って穴山では満天の星である。御座石鉱泉で一休みさせられた後(マイクロバスを頼んだら自動的にこうなって、これで一人2000円である)、朝日に輝く燕頭山を見上げながら急登に入る。残念ながら途中からガスで展望もなく、かつ積雪も多くひたすら登るだけであった。燕頭山からは同じく樹林帯の中だがダラダラと尾根道を行き、途中2ヶ所ガレ場があって新雪が被っていてチョッと心配しながら渡る。この辺りからガスも晴れてきて八ヶ岳、地蔵岳のオベリスク、富士山と次々に青空の中に見えるたびに感激の声を上げる。一本とる時のワインがこれまたよろしい。
 新しい小屋が幾つか集まった鳳凰小屋に着いた頃は快晴である。スープとパンを食べながら検討して、13時でまだ早いので地蔵岳をピストンして、明日は観音岳直登とする。今日は地蔵岳から早く帰って酒でも飲もうとピッケルのみで登って行く。樹林帯の上までは積雪はかなりあるものの踏み跡もしっかりしていて難なく登る。ここから上は新雪の急斜面で風も強く踏み跡も消えている。トラバースして尾根へ出るのは雪崩を心配して中止し、木の疎らな所をオベリスクへと直登することにする。
 ところが、オベリスク直下の銘板を埋め込んだ辺りから上は急斜面の崩れ易い花崗岩で風に飛ばされ雪が浅く付いていてピッケルは刺さらないしホールドも少ない。植村君がトップで何とか岩を乗り越えていく。後の三人は結局諦めてトラバースルートへといってしまう。下ることもままならず、かなり厳しい所を登っていくといつの間にか植村君も見えなくなる。「モートー」と言っても返事もなく風の音ばかりである。何とか踏み跡らしきものを見つけてオベリスクの肩へとトラバース気味に登っていくが新雪の急斜面でどうかすると体全体がズズッと下へ滑る。腹ばいになって何とか止め、ホールドのない所を時間もどんどん経っていくのに少しずつ登る。やっとの思いで強風で雪がナイフリッジのような尾根を雪を掻き分けて顔を出すと甲斐駒がもう夕日を浴びて雄大な山景を見せていた。
 オベリスクで無事皆と再会して八ヶ岳から富士山まで夕日に輝く山々を見ながら、今度はトラバースルートを飛ぶように下っていった。そしてテントの中でシャンパンで乾杯し、ワイン、甘酒、日本酒、ウィスキーと沢山あり、水炊きに舌鼓を打ち楽しい夜を過ごした。
 翌日はまたもや雲一つない快晴で、こんなに天気がいいのはこれからの山行でもまずないのではなぁろうか。「皆でリーダーに感謝の歌を」としゃべりながら今日は観音岳へと直登ルートで行く。ここもかなりの急登でどんどん高度を稼いでいく。尾根近くになってきて風も強くラッセルも深い所では腰近くまで埋まってしまう。トップを交替しながら登っていって尾根に突き上げた所で真正面に北岳のバットレスが真っ白な姿を見せる。ラッセルの苦しさも忘れてしばし眺める。「見合いの写真を」と騒ぎながらお互いの写真を撮り合う。そして強い風の中を観音岳へと登る。頂上からの眺めは何て書いたらいいのだろうか、北は白馬三山から後立山へと北アルプス、中央アルプス、南アルプス、富士山、奥秩父と真っ白な山々が深くそして青い空の下、くっきりと浮かび上がっている。ここで風の当たらない所で休んでいると春山のように暖かい。
 景色をすっかり堪能してから薬師岳、砂払岳と一部夏道をラッセル気味にいき、そこから樹林帯へと入り長い長い下りを飛ばしていく。「温泉だ、オフロだ」と苺平から杖立峠、夜叉神峠へともうマラソンである。ここで一日中見えていた北岳とも別れてマイクロバスで芦安鉱泉に出て、今回の十分満足な山行の汗を流し、風呂上がりの一杯も忙しくバスで甲府へ出て帰りました。
 ガイドブックの冬山入門コースというのは少し怪しく、あれで天候が崩れたらかなりハードではないかと考えますが、ここは一緒に登ってくれたメンバーに感謝したいと思います。

〈コースタイム〉
11月28日 御座石鉱泉(6:30) → 燕頭山(10:20) → 鳳凰小屋(12:45) → 地蔵岳ピストン(登り2時間、下り30分)
11月29日 鳳凰小屋(6:45) → 観音岳(9:10) → 薬師岳(10:30) → 苺平(12:10) → 杖立峠(13:10) → 夜叉神峠(14:00)

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