トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ244号目次

夏の合宿 荒沢岳~平ヶ岳~尾瀬ヶ原
高木 利守

山行日 1981年7月25日~29日
メンバー (L)山本、鈴木(嶽)、麻生、川又、安田、植村、高木

 本当は今回の合宿にはあまり参加したくなかった。花咲き、遠く波打った3000m山稜の快適な縦走を希望していた私は、何でこんなヤブコギは必定、水も乏しい特殊なルートを真夏に選んだのか疑問と怒りを感じた。
 しかし、以前より憧れていた平ヶ岳へ行く絶好の機会だし、なんとなく探検的な面白さもありそうなので思い直して参加したのだ。
 小出駅を出たバスは蛇行を繰り返しながら銀山平へと向かった。車窓からは越後駒ヶ岳が残雪をミカン色に輝かせながら大きくせり上がってきた。満席の車内は夜行の疲れか眠っている人が多く静かだった。
 銀山平より少し手前に三渓荘という小屋があって、そこが荒沢岳登山口となっている。小屋番らしい中年の男が丁度立っていて一行を見ながら「荷物が少し重そうだ」などと小声でつぶやくのを聞いて多少不安になった。山本さんから「高木トップをやれ」と言われたので私は緊張しながら細々とした急坂をゆっくり登り始めた。「これからいったいどんな危険や苦しみが待ち構えているのだろうか」
 道は前嵓という岩峰が尾根を遮る辺りから峻嶮を極め、鎖場の連続で場所によっては300mくらい続く鎖もあり、緊張と疲労で相当しんどかった。昼頃に待望の稜線に出たが森林限界を完全に抜け出さないので高度感は乏しい。岩場の稜線を少し登ると荒沢岳のピークであった。赤とんぼの舞う山頂からは曇りガラスを通して山を見るように遠望は利かなかった。麻生さんが少し疲れたようで横になっていた。大休止の後、幕営予定地の灰ノ又山手前の暗部へと向かったが、背丈を超す笹のために見通しが利かない。稜線を外さないように踏み跡を拾っていけばよい。予定時間をかなりオーバーして急に笹の切れた幕営地へと全員無事到着した。すぐ前に雪渓があって、少し下ると豊富な水が流れていた。
 2日目も晴天に恵まれ、会津駒や燧岳が遠く望まれた。朝露のため全員カッパを着て笹をかき分け兎岳方面へ出発した。灰ノ又山、巻倉山と通過するにつれて笹が切れ切れとなって快適な湿原状の草原から中ノ岳や、大水上山、そしてはるか遠方に平ヶ岳の夢見るように平らな姿が望まれた。少し疲れの出る頃、兎岳の山頂直下の草原に着いたが、ここは実に素晴らしい所で道のすぐ脇には残雪からの清水が溢れ出て花の咲き乱れる天国のような所だ。皆めいめいに寝転んだり、おいしいものを食べたり、花を探したりで実に楽しい1時間だった。元気になった一行は大水上山から増々か細い平ヶ岳へと続く道へ入った。明るい稜線上の道は意外とハッキリしていたが、暗い稜線の暗部に入ると急に道が消えたりして注意して探さなければならなかった。時々私が道を間違えて、皆で道を探し出したりしながら2日目の幕営予定地の藤原山山頂へ着いたが、残雪もない密ヤブの中なので前進を続けると、小藤原山手前の暗部近くに雪渓があったので多少ヤブがあったがここが幕場と決まった。川又君と二人で雪渓の相当下まで水を探したが見つからないので雪を溶かして水を作った。
 3日目は曇りで、一行は相変わらず細々とした道をガサガサと音をたてて進んだ。剣ヶ倉山の登りは相当な急登できつかったが、これを越えれば平ヶ岳だと思うと一歩一歩に気合が入る。剣ヶ倉山頂からは眼前に草原の山腹に残雪を散りばめた平ヶ岳が立ちはだかっていた。振り返れば荒沢岳の三角形のピークが遥か遠くに浮かんでいる。  平ヶ岳直下の快適な草原には残雪から冷たい水が流れ出ていて、ここで四つん這いになって飲んだ水の美味さは忘れられない。行く先、水場が未定なのでここで水筒を満タンにしていよいよ平ヶ岳への最後の登りだ。苦しみの後には喜びあり。最後の笹ヤブをかき分けるとゴルフ場へ紛れ込んだかと思うような見渡す限りの草原へ飛び出した。皆もう嬉しくて何処を見ても笑顔だらけだ。もう先頭もラストもなく、皆めいめい好き勝手に歩き出した。傾斜が少しずつ緩やかになって遠くに山頂を示す板が見えだした。しかし、これほど広い草原を持つ山頂は初めてだ。リーダーの山本さんの慈悲で大休止となる。皆々、ポーズをとって写真を撮ったり行動食を食べたりして喜びを分かち合った。実際に参加した人でないと、あの鎖やヤブや暑さや急登の苦しみを経ての山頂での愉快な気分は判らないと思う。三角点を探したら笹の少しかたまった陰気な場所にひっそりあった。この頃からガスがひどくなってきた。草原を白沢山目指して下り始めて20分くらい進むと残雪があって踏み跡がないので不安になった。ガスのために見通しが利かないので確信が持てないのだ。地図と磁石で皆と相談してルートを確認し前進した。道は草原の快適な道と笹ヤブとが交互に出てきた。心配していた雨がやはり降り出した。雨具を着て前進したが雨脚が強くなりだしヤブも多いので大木の近くで様子を見たが止みそうもなくここが3日目の幕営地と急に決定された。
 4日目は前日前進できなかった分を取返すため10時間以上は歩かなければならないのだ。天気は快晴でこれが今回の合宿のポイントになった。雨や霧で見通しの利かない中では、振り返ってみてこの日のコースは行動不能だったろう。道はヤブの中で切れ切れとなって、白沢山手前のコルからは殆どなくなってしまったのだ。白沢山を下った所から完全な道なきヤブをガサガサ進んでいると後の安田くんが「何かいる!」と言うので20mくらい斜め前を見るとヤブが大音をたてて動いている。「熊」とその時私の頭をかすめた。しかし、よく見ると若い男の二人のパーティで緑のハチマキを締めてヤブと奮闘していたのだ。どちらへと聞かれたので山本さんが尾瀬へ抜けると答えると「大変ですよ」という返事が薄笑いと共に返ってきたのでひどく不安になった。大白沢山の登りに入る頃から道は完全に不明になって自分ではどうにも手におえないので鈴木さん(通称モンチャン)にトップを代わっていただいた。さすがベテランで方向を決めると一気に進んで行く。ヤブこぎにはこういう決断が必要なのだろう。根曲がり竹が顔や足にバチバチと当たり痛いが皆も必死で頑張っているのだ。この日、鈴木さんが確実なルートを速いピッチで前進していただいたので、どれほど時間が短縮されたことだろう。大白沢山へはススヶ峰方面に入ってしまわないように気を付けながら登っていった。大白沢山頂に着いた時はルートが正しかったので実にほっとした。景鶴山は右に左に見え隠れして改めてヤブ山の難しさを思い知らされた。景鶴山を目指して進んでも稜線が細かく蛇行しているので違った枝尾根にでも入ったのではと不安になる。カッパ山から景鶴山の間は特に稜線が広いためどの方向に進んでいるのか全く分からず、川又君がこの時、実に「見事な発見」をした。というのは進行方向と全く反対側に景鶴山の姿を発見したのだ。皆、鈴木さんを信頼しきって無心に歩いていただけにこの発見は貴重だった。ルートを長時間、間違って歩いていたら心身ともに大変な苦痛を強いられたろう。ルートを訂正して景鶴山に近づく頃は3時を既に回っていた。景鶴山は近くで見ると陰気な暗い感じの山で好きになれなかった。岩だらけの急登を過ぎると平らになって山頂かと思ったがダラダラと意外に長く頂上に着いた時はクタクタになっていた。期待していた尾瀬ヶ原の展望もガスのため全く見えなかった。与作岳を通って東電小屋へ出る予定だったが、ルートも不明だし時間もないので景鶴山から尾瀬へ出る旧道を探して下山することになった。このルートも道がハッキリせず苦労したが尾根の急坂を尻もちをつきながら下って行った。辺りは既に薄暗くなっていて時間切れが近づいていた。急斜面ではテントも張れない。だしぬけに急斜面が平らな笹原になって細い道がずっと続いていた。6時を過ぎていたが「水」を求めて歩けるだけ歩いたのだ。ほとんど真っ暗になる頃、小川のほとりに出た時は皆で歓声を上げた。丁度テントが2張張れるスペースもあった。蚊に体中刺されたが顔を洗い、思い切り水を飲んだ。この日、朝4時半出発で夕方7時過ぎまで歩いたのだ。酒がほとんどなくて残念だったが、無事に帰れそうだという安心感と疲労とでぐっすり眠れた。
 翌朝は快晴となって細々とした道を尾瀬ヶ原へと進むと多人数の話し声が耳に入り出した。「もう近いな」と思った。
 ヨッピ橋へひょっこり飛び出した。夏休みなので、中学生などがぞろぞろ歩いていた。「こんにちは」とひっきりなしに声を掛けられる。山本さんは黒い顔が増々黒くなって、ヒマラヤのシェルパのような笑顔をしていた。特筆されるべきことは山本さん、ズック靴でこのルートを歩き通したことである。麻生さんも女一人で色々と大変だったと思うがパーティに女性一人いるいないでは雰囲気が全然違ってくるものなのだ。男だけのパーティより明るくソフトな感じになる。新人の安田君、上村君も愚痴一つこぼさず山男らしかったと思う。川又君も軽量ながら重荷に耐えて頑張ったし、「景鶴山背後に発見」のファインプレーも光る。鈴木さんのヤブ山でのルート発見の力にも心底恐れ入った。
 全員の力で成し遂げた今回の夏山合宿は参加者に終生忘れられぬ「夏」を与えてくれた。今となっては、あの両腕に被さる笹をかき分けて歩いた自分が懐かしく思えてくる。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ244号目次