トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ244号目次

夏山第二合宿 会津朝日岳、丸山岳
勝部 辰朗

山行日 1981年8月21日~24日
メンバー (L)川田、植村、勝部

 山登りは苦しい思いをすればするほど、その終わった後の興奮は長い。合宿を終えて1週間以上経った今でも、体の中で増幅された高まりが今も残っている。ザック擦れの痛み、岩にぶつけた打ち身、ヤブでの擦り傷、虫に刺された跡も思いきり遊んだ証、男の勲章だ。
 台風15合が近づいている中、川田さんをリーダーに植村君と私は小幽沢へ入っていった。沢は難しい所はなかったがザックの重さにバランスを崩されて随分手こずった。沢の途中で大音響。音の正体は我々の20mほど先で雪渓が崩れた音だった。もう少し早く行っていれば巻き込まれるところで、冷や汗の出る思いだった。その先でも雪渓のトンネルを潜り終えた後、ズズッと軋む音、ゾッとする。
 小餅葉沢に入る予定が水量とケルンのようなものに惑わされ予定より90度左の沢を詰めてしまい、縦走路へ出るまで長いヤブを強いられた。荷の重さに加えヤブが不慣れなため、遂に泣きが入ってしまった。全く情けない。川田さんがスイスイヤブをすり抜けていく後を植村君に助けられて付いていきながら、「何の因果でこんな思いをせんといかんのじゃ、これが終わったら絶対山など止めてやる。誰がやるか!」と考えていた。
 縦走路に取付き、ここに荷を置いて朝日岳へピストンをした後、丸山岳方面へ幕営地を求め疲れた体に鞭打って進んだ。
 2日目、丸山岳稜線の途中でとうとう雨になった。梵天の頭より幕営地の池を目指し、ヤブの中を下ったが雨とガスで彷徨する。すぐに着けると思っていた池に悪戦苦闘の末、ずぶ濡れになってやっとこさ到着する。考えてみれば、あの視界の利かない天候でヤブの中をよく着けたものだと改めて川田さんの力量に感心した。
 虻に目を刺された、お岩さんのような顔になる。僕も災難だがテントの中、ローソクの灯りに浮かぶこの顔を見なければならなかった二人はなお災難だったことだろう。
 風雨はいよいよ激しくなり、3日目は昼まで停滞....ふて寝をして過ごした。
 ラジオは濡れてしまったので役に立たず台風情報は入らなかったが、かえってそれが僕に落ち着きを与えてくれた。しかし、リーダーの川田さんの心中は切実だったと思う。実は台風はここを直撃していたのでした。雨が上がり元へ引き返しにかかったが依然としてガスが巻きいつ縦走路に着けるか分からず、思い切って西実沢へ下って下っていくことになった。川田さんの一つの賭けともいうべき作戦で結果的に大正解だった。増水した沢を遅れまいと必死に付いていく。
 4日目の朝、久々の太陽の光を見た時は正直嬉しかった。沢は川幅を増し流れは速い。何十回と渡渉を繰り返し、またかなり高い所まで水の流れの跡を見て増水の凄さを感じつつ下っていった。
 車の置いてある所に着いた時、地元の人に「もし、今日までに降りてこなかったら捜索願を出そうと思っていた」と言われて三人苦笑いをしましたが、心配をかけたことを深くお詫び申し上げました。
 また帰りのガソリンスタンドで見た新聞の記事で台風被害を見て、植村君と顔を見合わせて思わずゾーとしてしまいました。
 ヤブコギ、重荷、渡渉、高巻きなど今回は数え切れないほどの勉強をしました。そして、湯ノ花温泉で汗を流したときはもう初日の辛さは忘れてしまっていた。

〈コースタイム〉
第1日 小幽沢出合 → 小餅葉沢出合(4時間) → 1520mの小ピーク(1時間40分) → 鋸刃1610m縦走路上(2時間30分) → 会津朝日岳(1時間) → 縦走路上1451mピーク(1時間30分)
第2日 丸山岳(3時間30分) → 梵天(3時間) → 1617m池(2時間30分)
第3日 西実沢出合(1時間) → 西実沢1100m(1時間45分)
第4日 東実沢出合(1時間10分) → 広河原沢出合(4時間) → 小幽沢出合(1時間30分)

トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ244号目次