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冬山合宿・中央アルプス その1 A隊
安田 章

山行日 1982年3月20日~22日
メンバー (L)田原、植村、広瀬、勝部、安田

 宝剣岳の頂上に立つことはできなかった。
 私達の行動を阻んだ悪天候は2日間続いた。終日風が吹き厚いガスに覆われて幕場に停滞を余儀なくされた。
 狭いテントの中で一日を過ごさねばならないのはとても辛い。皆んなとの話に気を紛らわしていても空虚な感じは拭えない。何故なら私は山に来ているのだから。
 しかし、この停滞は山について考える良い機会でもあった。田原さんから聞かされる数々の山の話。ある時は大声で笑い、ある時は真剣な気持ちになる。
 そんな話の合間にラジオのニュースが入る、遭難だ。八ヶ岳にて雪崩で10人以上の人が犠牲になった。そしてその後を追うようにシーバーでの交信で後発隊が雪崩に遭い、怪我人が出て装備なども失ったという知らせを受けた。幸い大事にはならなかったが私達の仲間までもと考えるとショックは大きかった。これは下山してから判ったことだが、同じ日の午後にも千畳敷で雪崩で三人が亡くなったとのことだった。
 リーダーの責任、隊員の経験不足、無理な行動。私は山の遭難を今までそんなふうに考えてきた。でもそれは山をやらない人の第三者的立場の人の意見だということに気がついた。それらの意見がまるっきり間違いだとは言わない。しかし、そんな表面的な見方だけでは済まされない何かがあると思うのだ、自然は偉大だ。だが、決して不可解なものではない。雪崩に遭った状況を事細かに分析してみれば原因を探り出すことは出来ないことじゃない。そこには必然性がある筈だから。
 毎年毎年繰り返される雪崩による遭難。今の私にはそれが何を意味するのか解らない。ただ登山というものの基本をもっとよく考え、学んでゆかねばならないと思うのである。山を失いたくないと願うから。
 ロープウェイが営業を23日で停止するというので、予定を一日繰り上げて22日に下山することになった。その日、天候は回復した。昨日までの真っ白な世界から一転して青空が広がり、宝剣岳はその近寄りがたい姿を現した。陽光を受ける東側と反対に影の西側が鋭く切れ落ちて頂上へのルートは険しい雪稜になっていた。しかし私達は下山した。千畳敷は明るく静かだった。雪崩の跡が目をひいた。


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