トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ245号目次

春山合宿 ー山は戦場ー
林 俊明

山行日 1982年5月1日~4日
メンバー (L)山本、植村、安田、川又、林、国行、高木

 集合場所は東京であった。周りは山行の人がかなりいる。ふと、キリシタンらが静かに夜カタコンベに集まっている絵が頭に浮かぶ。都会の隠れ山男!!山女!!ナーンテネ。
 横には皆んなのザックが並べられている。伊藤さんに、「なーんだお前、その荷物は!」と言われる。僕の荷物は皆んなよりかなり小さかったのである。顔は済まなそうな表情を浮かべた僕の心は軽くていいという安心感で埋まっていた。しかし翌日、しっかり裏切られました。
 僕らもまた田舎(岐阜)に帰れる大垣行きの汽車は連休前だから帰省客もかなり目立ったが、やはり遊びに出かける人の方が多いだろうか。僕達は山へ遊びのつもりで行くのではないと断言したいが、やっぱり彼らと同様に遊びに行くのだろうな。
 うつらうつらしているうちに金谷に着く。窓からドドドーと降りた僕たちは畑薙第一ダムまで珍しい乗物に乗った。と言っても珍しかったのは僕くらいだったかも知れないがチンチン電車といおうか、遊園地の汽車といおうか、これが公共施設であるとは全くジョークとしか取りようがない。この時もまたうつらうつらしながらふと暗い外を覗いた。「えっ!!うそ!!」なんと暗かったけれど凄い渓谷。絶景!荘厳!周りの人を叩き起こしたい心境である。まるでこの汽車だけが地の底、地獄をすれすれに通って別世界へ行くようだった。是非もう一度、今度は晴れた日に見てみたい。しかし終点、辺りを見渡せば何か山中の工事現場といった感じであった。
 それからかなりバスでダムまで行く。そこで荷物は倍に増えたが1時間の林道は楽勝で通過。そこから吊橋、遠くから短く見えたが渡るとまた長くてたまらない。こんな高い吊橋なんて初めてだったし、渡っている間は下を見てみたいという好奇心と見る度の恐怖感の喧嘩であった。そこから横窪沢小屋までが僕にとって今回の合宿の厳しい修練場となった。下りだろうが登りだろうがそんなこと関係なく苦しい。まさにバテバテであった。一歩登ってフウー、また一歩登ってフー、背負子は確かに担ぎやすいが肩に食い込んで痛い。途中、「ザック交代か」という声に半分すがりたくて、半分いやこれでいいと分かれた。しかしリーダーの一声「ここまで来たんだから最後まで背負わせてやれ!!」。この時もまた別に背負わせてくれなくてもいいよという気持ちと、なかなか解ってらっしゃるという気持ちが争った。こんなこと思っているうちにやっと横窪沢小屋着。この夜は今日一日の安息日というより戦場に殴り込む前日といった方がいい。
 夜が明けた。心配した雨は降ってこない、それ出発。2日目は荷物も減って順調の出だし。ついに頂上まで駆け登ったろという気持ちが湧く。しかし、間もなく雨がシトシト。茶臼小屋に入るやいなや横から下からザーザー。茶臼小屋は隠れ山男で一杯であった。よくもまあこれだけの人数がいるなあと感心するばかり。結局、停滞することになる。僕としては雨が横から叩きつけようが登るというワンゲルにいたせいか全く下山は考えもしなかった。その瞬間、残念、次に安心、残念、安心・・・。結局、翌日下山になる。といっても停滞中、翌日の食糧を食べてしまったようで登るにも登れない。下山しながら一歩降りる度、残念という気持ちが増えていく。
 ダム辺りから車に乗せてもらいながらも夜、土砂降りの中、下界に辿り着いた。その時は温泉、温泉、皆んなの頭にもこれしかなかったような気がする。我々は山行の終わりを告げるかの如く湯の中にドブン、ドブン、ああ爽快。でも何か今回は頂上に行けなかったせいだろう、しっくりこない山行であった。
 翌日、5月4日昼頃に静岡駅前で解散。僕はそこからしっくりこない気分転換にと短い一人旅に出た。といってもヒッチハイクで田舎まで帰ったぐらいだったけれども。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ245号目次