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巻機山 その2 後発隊
播磨 忠志

山行日 1982年4月18日
メンバー (L)播磨、江村(真)、江村(皦)、杉野、鈴木(竹)、遊佐、村山、麻生、川又、中村、林、国行

 4月17日、相変わらず通勤客と登山客で満員の夜行長岡行きに乗った我々夜行組8名は早朝3時半過ぎ六日町駅に降りた。途中熊谷辺りより車内も空いてきて全員よく眠れた様子であるがやはり夜行は疲れる。
 駅よりタクシー2台にて清水部落へ。前日夕方先発した江村さん達のいる山荘を探しつつ、そろそろ明るくなりつつある空に助けられて無灯で林道と思しき雪道を上へ歩き始める。今年は雪も少ないとタクシーの運ちゃんは言っていたがやはりまだ4月、清水部落よりすぐ雪道だ。
 15分ほど歩いて目的の山荘を発見、中にいる連中を大声で起こし、皆で小屋の中にて朝食を摂る。朝食後外へ出ると夜はすっかり明けて、目の前に本日登る巻機連峰が天狗岩を従えて登高欲をそそる。
 空は高曇りであるがどうやら雨の心配はなさそうだ。6時半、山荘を後に出発、スキーを持っていく人はそれぞれザックにくくりつけ、最初の急登である井戸の壁を登る。まだ体が急登に慣れていないせいか中々きつい、我々以外にも数パーティがやはりスキーを担いで登って行く。
 朝の低温で雪も締まっていて歩きやすいのがせめてもだ。2ピッチにて尾根上に出る。この頃より空も晴れてきてニセ巻機が間近に迫ってくる。もう後は尾根を忠実に辿って行けばよいのだが、この頃になってリーダーの私がバテてしまい皆に遅れ気味になる。体調は悪くないはずなのであるが気ばかり焦って足が前に出ない、どこか体の具合でも悪いのかな、それともトシのせい。
 六合目の辺りで一泊組と最初のトランシーバー交信を行う。連中はニセ巻機直下で幕営しているとのこと、ここからはそれほど離れていないので一休みの後ここを出発。交信した所より20分ほどで彼らの幕営地へ到着。ここで調子の悪い私と気が進まないと言っていた中村君、鈴木(竹)さんは天幕に残り、他の連中は山頂へ向かう。また前日組も天幕の辺りでスキーの練習をしているということで彼らも残ることとなった。
 太陽がかなり高く昇っても気温が低く風も強いので雪の表面がクラストしておりスキーには最悪の条件である。
 2時間ほどして頂上アッタクの連中が下山してきてニセ巻機から降りてくるのが見える。その中で江村(皦)君がスキーで下る途中、木の枝にスキーを引っ掛けて転倒、そのまま割引沢側へ約300m滑落。幸い軽い怪我で沢よりベースまで登ってきた。ザラメ雪で顔面を擦って血が滲んでいる他は大したことはなさそうだが帽子とサングラスが何処かへ飛んで紛失してしまった。
 この事故に気を取られているうちにもう一つの事故が起こっていたことに誰も気が付かなかった。それは遊佐さんがニセ巻機よりやはりスキーで下山する途中、割引沢とは反対側の米子沢側へ横滑りのまま滑落し幸い雪の窪みに入って止まったが、江村君より怪我が重く背中と腰を強打し、後で判ったことだが背骨の一部が欠けて歩行にも支障をきたすようであった。またこの事故のことを誰も見ていなかった。江村君の事故に気を取られて遊佐さんのことに誰も気づかず、天幕を撤収していよいよ下山しようとして初めて遊佐さんがいないことに気が付き、それ探しに行けと言っている時にスキーを担いで降りてくる遊佐さんを発見、遊佐さんの事故に初めて気が付いた次第だ。
 何はともあれ一応全員が揃ったので少々時間は遅くなったがスキー班と遊佐さんを含めた歩行班に分かれて下山にかかった。
 帰りに朝の山荘で一休みの後、それぞれ自家用車、タクシー、マイクロバスに分かれて帰途についた。
 今回の登山では反省することが多くありました。それは全てリーダーである私の責任でありますが、雪の状態があまり良くなかったのに無理をしてスキーで下だったため滑落事故を起こし、またリーダーである私がしっかりしていなかったためメンバーの掌握が充分できなかったことであります。この失敗をかてとして二度とこのような事故をおこなさいよう努力するつもりです。本当に申し訳ありませんでした。


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