トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ246号目次

北鎌尾根
麻生 光子

山行日 1982年8月10日~12日
メンバー (L)江村(真)、中村、麻生

 今年は、立秋だというのにまだ梅雨は明け切らず、台風10号の被害も甚だしく中央線が動くかどうか懸念しながらも山行計画は進められた。リーダーになるはずの田原氏は急に仕事が忙しくなり同行できなくなった。8月9日、桑名、江村(皦)、田原氏の見送りを受け中村氏と二人夜行に乗る。信濃大町駅では明朝、江村(真)氏が待っているはずだ。
 8月10日、晴後雨。信濃大町駅では江村氏がタクシーを確保し待っていてくれた。七倉山荘まで約20分。ここで朝食、装備の分担、台風10号による登山道の破壊具合を調べる。七倉山荘前に降りる数少ない中、驚くことに一人で北鎌を行くという女性がいる。羨ましいことに結婚もしているそうな。七倉沢を渡って山ノ神トンネルを抜け1時間ほどで高瀬ダムに着く。空は高く暑いほどの太陽に恵まれ、「今日はお天気だ」と嬉しくなる。台風のため流木の浮かぶ濁水したダムを右手に林道は続く。烏帽子岳、野口五郎岳と遠望も利き、気分はまさしく絶好調。ダムから2時間半も歩くと林道終点。高瀬川沿いに湯俣山荘を目指す。今日の幕場は北鎌沢にできるだけ近く設営したいと江村氏。そうしたら明日は楽ができると私は心の中でニンマリ。湯俣山荘まで踏み込まれた足場の良い樹林帯で11時40分には着いた。天気も良いし高瀬川の水音がとても心地よい。深い眠りに引きずり込まれるのをやっとの思いで我慢する。昼食も済ませて12時30分、いよいよ出発。水俣川沿いに千天出合を目指し、川原を歩いたり、ちょっと油断するとズッコケそうになりながら足場の悪い草付きを登ったり、増水した川縁を針金一本頼りに渡ったりでなかなか難所。それでも江村氏の勘の良さでスムーズに一歩づつ進む。千丈沢小屋跡には14時40分に着く。千天出合を過ぎ対岸に渡る吊橋を探してながら歩いていると、うっかりすると見逃してしまいそうな所に3本のワイヤーが残っていた。立ち枯れのような木にくくりつけられたワイヤーを江村氏が一歩進むたびに今にも折れてしまいそうにユラユラ揺れる。吊橋を渡り終える頃より空は曇りだし、とうとう雨になってしまった。天上沢を3分の1くらい進んだ所で今日の幕場とする、16時50分になっていた。装備の殆どを背負っていた中村氏は満足な夕食が楽しみと、ここまで頑張ってくれたのだが残念ながら私の食糧計画は最小限にしてあったので貧しいものだった。雨は19時頃に止み、蚊に刺されながらもささやかな酒宴。江村、中村氏とこんなにゆっくり静かに話せるのは三峰山岳会入会以来初めてのことだ。
 8月11日、晴後霧雨。3時半起床予定なのに、「星が出ている、月が出ている」と3時頃から嬉しそうな中村氏は安眠妨害をする。それではと、のそのそ起床にかかり朝食を済ませ北鎌沢目指し、5時30分には出発する。1時間ほどで北鎌沢に出る。沢沿いだから夏の暑い太陽は程よく広葉樹林に遮られ歩きやすい、水も冷たいけどきれいだ、水というものは適当に流れている時は何故か人の心を安心させ優しくするものだ。感心することに水の色はクレヨンの水色と同じだったりして一人内心喜びながら歩く。北鎌沢からは槍が見える。15分ほど眺めていよいよ右俣へと入る。一人幕を張っていた男性がいて、「そんなに時間はかからないでしょう」と言っていたが、我々はコルに出るまで3時間かかった。この右俣はほんとにずるい。今にも手の届きそうな所にコルが見えていても、登れど、登れどちっともコルに届かないのだから。「もうちょっとでしょ」と私、「そうでもないよ」と江村氏、冷静そのもの。中村氏は荷が重いからこの急登はかなりきつそう。9時35分、コル着。赤茶けた硫黄尾根が長々と続いているのを見て一瞬ドキリとする。その向こう側には三俣山荘に続く稜線が並び遠望良好。これからは両サイドが切れ落ちた岩場だけの北鎌尾根を槍目指して進む。右俣にはトリカブトなど花も咲いていたが北鎌尾根に咲いていた花はあったのかと思うほど淋しかった、せいぜい這松くらいのものだったような気がする。トレースは割合にハッキリしているものの、トラバースしたり岩がグサグサに砕けやすかったり浮き石だったりで、直ぐに足を取られてしまう。真ん中を歩いている私は江村氏より、「もう少し離れて、ここは気をつけて」と何度も同じ注意を受ける。かなり猛進型の私は時々、自分の周囲、立場が見えなくなることがあるからその度にハッとする。少し歩きやすそうな所をトップで歩いていたりするとすぐ進行方向を見失い胃がキリキリ痛くなる。10時55分、2733m地点。もうガスがかかって硫黄尾根も三俣山荘も常念岳もガスの中。時々ガスの合間から独標が見える。13時、独標の巻き終わり。この辺りが最も大変だった。霧雨が降ったり視界はガスに覆われ足場も悪い。右側が真っ直ぐ切れ落ち、腹這いになっても岩と岩に挟まれザックが引っかかる。自分の横幅くらいしかない所を潜り抜ける時は「あれ」と思ってしまう。ここで落ちたら仕方がないけれど、できれば槍に登ってあの賑やかな横尾山荘まで行って、と帰り道が頭の中を横切る。どうやらまだこの世に未練があるらしい。それにしても、冬の北鎌尾根を行く人達はどんな思いでここを過ぎていったのだろうか。17時15分、そろそろ辺りは暗くなってきた。北鎌平辺りで幕にしようかと話しながら歩いていると、過ぎた左側に「少し、あそこが平だね」と江村氏。そのまま登っていくが、どうやら槍ヶ岳の登りを詰めているらしい。槍らしき黒いシルエットが目前に迫っている。七倉山荘で行き会ったらしき女性とここで初めて再会する。彼女は今日中に槍ヶ岳に立つという。我々は槍直下辺りに手頃な幕場があり、二日目の幕営地にする。今日はお酒もなく気の毒。槍も途中ガスに囲まれ、ほんのちょっとチャンスを狙ってシャッターを押すくらいしかできなかったなー。それでも明日は槍の頂上だ、緊張ずくめの行程は終わった、と思うのだが落ち着かない。中村さんも疲れたのか食事が食べられない。結局その夜は三人とも眠れずじまいに夜が明けた。
 8月12日、4時頃よりチラチラとライトが槍の頂上に見える。きっと御来光を見る見るために早々に登ってきたのだろう。あと少し歩くだけの槍を目指して出発。今日は朝からガスがかかっているが、この高さまで来るともう雲の絨毯になる。常念岳の頂上が何となく物知り顔で鎮座した姿を眺めながら、私はまだまだ欲張りだなーと思う。また行きたい山が一つ増えた。6時10分、槍頂上、三人で握手を交わす。2~3年のうちに計画がなければ一人で来ようと思っていた北鎌だったという江村氏。山を始めて8年、それ以来の憧れの北鎌だったという中村氏。冬ルートだとばかり思って、ただただ恐怖感しか持っていなかった私。それぞれの思いで北鎌尾根は終わった。頂上はもう表銀座の賑わいで親子連れや若者達の憩いの場である。白馬、立山、笠ヶ岳が雲の上から遠く遥かに見える。肩の小屋に降りてビールでカンパイ。第二合宿に参加する江村氏とはここで別れ、8時に中村氏と二人で槍沢を下る。またいつかこんなステキな山行ができますことを願って。そして後続第2陣の北鎌制覇を祈って。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ246号目次