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大源太山
植村 隆二

山行日 1982年6月19日~20日
メンバー (L)植村、広瀬、勝部

 谷川には大源太山と名のつく山が二つある。一つは三国峠寄りにあり、後の一つが今回の越後大源太山である。
 この山は南北の方向から眺めると鋭鋒を立てており、越後マッターホルンと言われているのもうなずけるものだ。
 当初は東面の岩場か西面の沢より入山予定だったがメンバーの都合で一般ルートに変更し、西黒尾根より登り谷川、武能の縦走を経て大源太山の岩場偵察とすることにした。
 西黒尾根を登ると並行してマチガ沢、東尾根、シンセン岩峰を見ることができる。次の機会にマチガ沢を登ることにして今回はゆっくり縦走を楽しむことにしよう。谷川頂上に着く頃に雲行きが怪しくなってきたので先を急ごうとしばらく行くと違わず雷雨となった。山でのカミナリは恐ろしいので肩の小屋に避難することにした。雷鳴1時間で雨も上がったので再度出発する。途中の一ノ倉の岩壁を覗き込むと、ここを登ってくるのは一寸しょぱいんでないかと話しながら我々は縦走路を快適に進んで行く。一ノ倉の避難小屋を過ぎる辺りでまた雷鳴である。時間もそろそろだし幕営地を変更して茂倉岳の小屋で泊まることにした。小屋の中にテントを張って、みんな濡れた衣服を乾かしながらいつもの会食となった。
 翌朝は5時に出発し、武能までに他のパーティに会うかどうかなんて言いながら朝の稜線歩きもまた楽しいものです。武能の頂上からは蓬峠に至るランランコースを一望でき、目指す大源太山も槍をけたてているのが見える。ビール、ビールと言いながら蓬小屋に着いたのに買うか、止めるか迷っていたが結局買わずに先を進んでいると、アー、笹の中には冷たいビールが2本落ちていたのであります。目ざとい昭男ちゃんが「エヘヘ」と取り上げて大源太山で飲むことになった。
 七ッ小屋山の分岐、見晴台を過ぎる辺りからは大源太東面の岩場がはっきりと見えてくる。見晴台からは三ルンゼも良く見え、近づくにつれて草付をミックスしたスラブであるのがわかる。思っていたより悪そうで確保支点にボルトでも打たんといかんかなと感じながら2ヶ所ほどのクサリ場を通って頂上に立った。
 頂上は細長く20mくらいであるが展望は360度。巻機山からの山々や谷川連峰がはるかに見渡せる。もっと良く晴れていたら遠く日光、南会津の山々も見ることができるはずだ。
 ピーク直下のαルンゼが、中央稜を見ればこれもスラブに草付である。高度感もあるし晴れていれば快適なスラブ登攀になることだろう。
 我々は昼食が済んだので降りようかとしていると、頂上にいた越後側から登ってきているパーティに豚汁が余っているので一緒に食べませんかと誘われ、つい食い意地がはっているのでハイハイと何杯もお代わりをしてしまった。おまけにお土産に「チマキ」までもいただいて感激。僕はこれからチマキのファンになったのです。
 さあ、下山路はヤスケ尾根のヤブコギだと降りて行ったのだが地図とは大違いで道は幅広くきれいに整備されている。僕はガクンとなったが、まあ途中でヤブ道へ入ればいいと思っていると又もや雷鳴が轟き一瞬にして豪雨となった。これ幸いとばかりランランコースを旭原に向けて降りて行ったが、ヤブに行かなくて良かったと三人でニッコリ。沢沿いにずっと行くと昭男ちゃんが泳ぎたいと言う。まあもっと下りると河原に出るからと先を急ぐことにする。このルートは昼も過ぎると行き交う人もなく、ちょうどいい所があったので水浴びをすることにした。誰も見ていないということは強いもので恥ずかしいということも忘れるものらしい。
 整子姫が来なかったのを幸いに楽しんだのであります。後は小阪から越後湯沢までバスに乗って行き帰京しました。

〈コースタイム〉
6月19日 西黒尾根取付(7:30) → 谷川岳(11:10) → 一ノ倉岳(14:15) → 茂倉避難小屋(15:00)
6月20日 小屋(5:15) → 茂倉岳(5:30) → 武能岳(6:35) → 蓬峠(7:15) → 七ッ小屋山(8:15) → 大源太山(9:50) → 湯沢

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