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夏山第二合宿 奥穂高岳
市川 和子

山行日 1982年8月12日~17日
メンバー (L)伊藤、川田、播磨、須貝、鈴木(竹)、鈴木(嶽)、市川、片岡、山本

 23時発の臨時夜行で新宿を立ち、翌朝4時5分に松本着、2台のタクシーに分乗し上高地を目指す。空が明るくなるにつれて山並が浮かんできた。心配した雨は大丈夫のようだ。
 7時、それぞれに重い荷を背負い涸沢へ向かって出発、さすがに人が多い。軽装でハイキングを楽しむギャルが多いようだ。晴れ上がった空の下、でも樹林の中を歩くので暑さは感じられないが肩に食い込む荷は重く、軽装のギャルが羨ましい。
 1回目の休憩を明神の分岐でとる。オレンジとブドウでホッと一息つく。差し入れを下さった皆さんに感謝する。さあ再び出発だ。徳沢キャンプ場は団地の如くテントが並ぶ。青、黄、赤の色が鮮やかだ。樹林を抜けると暑い。梓川の青々とした流れが涼しげだ。でもゆっくりと楽しむ余裕はない。遅れを取らないように歩け歩け。途中の新村橋で休憩をとり横尾に到着。ここでも一休み。
 ここで梓川の流れと別れて横尾谷沿いの道となる。いよいよ登りだ、と気が重くなる。しばらく行くと屏風岩がそそり立ち思わず身を反らして仰ぎ見る。その威厳に敬意を表し、ここでも休憩となる。そこへ須貝夫妻が登場。やあやあ"先に行っていい場所を取っておいてくれよ"などと言いながら腰を上げて出発となる。
 本谷橋を渡ると登りがきつくなる。長い人の列ができている。後の人に先を譲ってゆっくり登るが、それでもきつい。皆さん、私より重荷でも元気そう、すごい。
 涸沢キャンプ場が見えてからもなかなか着かない。足は重く少しも前に出ない。やっとキャンプ場に辿り着くと、すぐにテント設営が始まる。疲れを見せない皆さんにまたまた頭が下がる。よく動くものだ。さあ、夕食の準備という時になってやっと落ち着く。辺りを見渡し感慨もひとしお、覆いかぶさるように山が迫っている。満足感に浸りつつ寝袋に潜ったが、明日の縦走が心配だ無事に歩けますように・・・・。
 翌日、3時起床、5時半には北穂目指して出発する。既に山頂へと人の列が続く、歩き出して5分もたたないうちに心臓が踊る。
 この先が心配である。後に続く皆さんは余裕たっぷり、会話は弾んでいるのにこの差はなんだ、と嘆きつつ立ち止まると雲の向こうに八ヶ岳が浮かんでいる。登るにつれて南アルプス、富士山、・・・と見えてくる。晴々とした気分になる。
 フーフーと喘ぎつつ諦めと悟りの心境に達する頃には山肌は岩がゴツゴツした岩場に変わっていた。山頂まではそう遠くはなさそうだ。”おい東稜が渋滞しているぞ、見ろよあの人の列””すげえ渋滞だなー””おっ、あれ、あいつらじゃねえか?””そうかも知れないぞ、合図してみろ”となる。”モートー”もちろん北アルプス全体を揺るがす播磨さんの声。これに対し手を振っているのが見える。そして9時30分山頂で合流した。
 ガスに包まれた北穂を後に奥穂までの縦走に入る。岩の重なる上に恐る恐る足を乗せつつ進む、左下に涸沢カールが広がる、目がくらみそうだ。この辺りは涸沢岳だろうか。右側はガスで何も見えない。ホッとして再び涸沢カールを見下ろす。雪渓とガラガラ岩が山肌を埋めている。その下方にテントが並ぶ。恐ろしやと岩にしがみつき登る。ガスで下が見えないことに感謝!
 13時30分、穂高山荘に着いたらもうヘトヘトだ。天気も思わしくない。もう一歩も動きたくない気分だ、しかし、奥穂に挑む。降り出した雨にも負けず岩にへばりつき、梯子にしがみつき、やっとの思いで我が身を持ち上げる。つくづく身体の重さが恨めしい。14時15分に山頂到着。思ったより早く着いたが視界は全くない。よくぞ登ったり体力の限界まで使い果たしたような思いだ。皆さんご迷惑さまでした。


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