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八ヶ岳集中山行 その1 赤岳沢
岩崎 和人

山行日 1982年10月10日~11日
メンバー (L)川又、岩崎

 今回の八ヶ岳集中は6パーティが赤岳を目指す。僕は川又さんと二人で赤岳沢に入るのである。
 装備は最小限にしたつもりだったけれどもザックはパンパンになって肩に食い込んでる。
 新宿駅、441M列車に乗る登山者達は先に三ツ峠へ行った時ときよりもはるかに多かった。赤岳沢班、南稜班、大同心班の3パーティで、他のパーティは先行していたり、または後発の急行で行くことになっていた。赤岳沢班は小淵沢で下車、天狗尾根班、天女山班と合流し小海線に乗車、天女山班の鈴木竹次郎さん達は甲斐大泉で下車する。
 清里で列車からかなりの人が吐き出され、朝のひんやりした空気の中、半年ぶり(5月に自転車で来ているので)の清里駅に降り立った。6時45分に清里駅を後にする。しばらくは舗装された道路を歩く。本日の夕食の材料である肉のタレのニンニクの臭いがかなり臭う(このタレは僕のオリジナルなのだ)。途中で朝食を取る。
 列車の中で既に見ていたけれども、赤岳頂上付近は新雪が積もったのが朝日に輝いて見える。「こりゃ冷たいぞ」と思いつつ足は赤岳へ近づいて行く。
 川俣川へ行く道から南アルプスを横に見ながら前に立ちはだかるのは権現岳である。所々紅葉の真っ赤なのや黄色が混じってとても綺麗だ。少し行くと川俣川へ行く道と林道とに分かれる所に来る、どちらへ行っても「出合小屋」に行けるのだが川俣川の方から行くことにする。
 大きな石がゴロゴロしている所で歩きづらいが、澄んだ水と紅葉の美しさに苦しさも忘れてしまう。天狗尾根班の人達とふざけながら歩き出合小屋に到着する。11時30分、ここで昼食を取り、僕と川又さんはワラジと地下足袋に履き替える。しかし、僕のワラジの紐が切れてしまった(嫌な予感がしたのだが)。シュリンゲで何とか結び直して出発、天狗尾根班と併行する。
 13時、天狗尾根班と別れるが、この直前に僕は足を滑らせて尻餅をついてパンツまでびしょ濡れになってしまった「ヤバイ」と思ったが後の祭りである。しばらくして事態は最悪となった、紐の切れたワラジが壊れてしまったのだ。地下足袋だけになり、いよいよ核心部に入ってきたというのに僕の顔は引きつっていた。それに10月という気候の中、水温は冷たくせいぜい5秒が限度である。滝など登れるわけがないのだ、おまけに台風の影響もあるのだろう倒木が前をふさぎ思いの他、行動に支障をきたした。
 大滝付近でガスが立ち込め、天候は下り坂のようである。川又リーダーは大滝を巻いた所でビバークすることに決定する。巻道といってもかなり大変な所で浮き石が多く危険である。
 大滝を巻くと広い所に出る。震える手でツェルトを張り中に入った、14時40分のことである。コンロに点火したのでツェルトの中は暖かくなり、急に睡魔が襲ってきたが我慢する。夕食は焼肉定食であり、ニンニクの凄く効いたやつで旨かった。ご飯はコッヘルの蓋がないので小さいやつの蓋を使い、重しにエイト環を用いた。その夜は三度ほど人の声を聞いたが、川又さんは「言うな」と言っていた。目が覚めると0時24分、寒いし冷たいので困った。その後も1じかんぐらいずつ目が覚めた。
 5時30分、起床、天気は良くなかった。朝食の後、ツェルトを撤収。川又さんはルートを真教寺尾根に取ることに変更し、ひたすら尾根へ出るためヤブの中を急登した。途中、獣道もあったが約1時間苦闘の末、真教寺尾根に出ることができほっとする。
 尾根は下山してくる人が多く、鎖場があったり、また浮き石も多く下山者は慎重に下りていたが、落石もあり我々はビビってしまった。
 1時間ほどでキレット側からの合流点に達し、9時53分赤岳頂上に立つ。既に着いているだろうと思っていた天狗尾根班の姿はなく赤岳小屋に向かう。小屋には天狗尾根班の広瀬さん達がおり私らは2番だった。
 ストーブが焚かれていたので濡れた衣類を乾かす。後の班は12時近くまでにほとんど集合し、全員無事な顔を合わすことができた。
 下山ルートは文三郎道から行者小屋、美濃戸山荘、茅野のコースで下山した。総勢22名のパーティでした。
 やはり、沢登りは夏にやるもので秋も深まってくると水温は4℃くらいになり冷たくて困った次第です。


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