山行日 1982年9月15日
メンバー (L)高木、播磨、川森、井上、牧野、岩崎、岩井、広井、岡部
土合駅の長い階段を登ったのは4年前の秋、その前年に一ノ倉沢で亡くなった知人の祥月命日に友人に連れられ白毛門から笠ヶ岳、朝日岳へと追悼の意味を込めて歩いたのがこの駅との出逢いでした。
足弱な私は山慣れた友人に付いて行くのがやっとで下ばかり向いて歩いたことが思い出されます。
その時も、そして今も岩を攀じることなど実感として受け止めることのできない私に傍らの友人が、白毛門の頂上から谷川岳東面、湯檜曽川の谷を隔てて一ノ倉沢を中心に広がる峻険な岩峰群を指して、一つ一つルートを教えてくれるのをまるで一枚の風景画を重ねるようにぼんやり見ていたことを思い出します。
さて、9月14日の10時過ぎの上野駅に残業の疲れをザックに一緒に詰めて駆けつけると、長岡行きは既に入線していて、皆さんを見つけながらホームを歩いていると田原さんが見つけてくださり、程なく発車間際に乗車することができた。
山に行ける期待と、ここしばらくの疲れとで神経が張りつめているのか、まどろむこともできずに土合下車、これで歩くことができるのかと懸念されたが2時間ほど仮眠することになり、これが幸いしたのかそれほど堪えずに歩くことができた。
5時20分過ぎ、ようやく明るみ始めた頃、欠伸混じりに目を擦りながら歩き出す。
6時25分、一本取る、マチガ沢の東南稜を登る予定の方達はまだ順番待ちだそうである。西黒尾根を登っている間も霧がかかり山頂は見えない。そうかと思うと、たちまち晴れて素晴らしい展望が開ける。稜線に出ると風が冷たくなり慌ててヤッケを出す。10時30分、第3回目の交信をしたら東南稜の皆さんはようやく取付き始めたとのことで、この寒さでは待っているのも大変だろうと思う。やはり好きでなければできないことでしょうが、衝立に行った知人のパーティはどうしているだろう。
山頂というのは見えてからが長く感じることで最後の急登は何か足どりも重く、足の短さを嘆く。10時50分、谷川岳山頂、秋の空は高くその蒼さの中に浮かぶ白い雲と黄葉とが大気の中に溶け込んで、見事なコントラストを見せている。山頂からの眺望も素晴らしく、高木さんがガスが晴れると、あれが武尊山、苗場、皇海、巻機山....と説明して下さるのだが、教えていただくその傍から忘れてしまうのはただ単に物覚えの悪いせいだけかどうか・・・・。
14時過ぎ、岩を登攀してきた皆さんも一息ついたようで天神平に向けて山頂を後にする。前を歩く人のザックに秋の陽が眩しく映えて山旅の終わりを告げているようでした。
明日からの仕事の中で、また次の山行のことを考えていこう。私の中で山は生活の潤滑油となってくれているようだ。長い尾根道を歩く時、人間の一生を見るようである。緩やかな道、なだらかな起伏もあり、急な登りもあり、登山は私の生活に根ざしつつあるものと、しかし何処まで付き合えるかマイペースで歩いてみよう。
振り返ると歩いてきた長い径が暮れかかる秋陽の中に霞んで見えた。その時ふと故郷の水光る湖を見下ろす、小さな山を心に描き、”故郷は遠きにありて思うもの”。しかし、また故郷の風に勝るものなし、という感じを持って山を下りました。