トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ246号目次

焼山
桑名 信幸

山行日 1982年10月24日
メンバー (L)鈴木(竹)、宮坂、野口、小堤、堀田、藤居、渡辺(す)、桑名、他2名

 早くも三峰に入って1年たとうとしている。その間に結構色々な山へ入って、色々勉強し、皆との交流ができた。日光白根山の時も原稿を書きましたが、長続きのできる山行をしたいと思います。
 例によって新宿駅の国電から小田急への接続のところに7時に集合。このタイプの山行は去年の忘年山行で湘南二子山に続いての先輩の人達と一緒の山行で私にとっては縁のある山行となった。
 小田急で町田まで行き、横浜線に乗り換えて橋本まで行き、橋本からタクシー2台に分乗して焼山登山口で下車。ここで生ビール3リットル缶や豚汁の材料を若干買い入れて出発する。天気は曇りだが暑くもなし寒くもなし、ちょうどいい気候だ。メンバーは先輩の人達と藤居さんの旦那様と野口さんの会社の人と若手のすみ子ちゃんと私の10名である。尚、前日から丹沢の主脈縦走をしてくる若手の片岡君、岩崎君が焼山で合流することになっている。
 初対面の人もいれば随分な馴染みとなった人もいる。登るにつれて薄日が差してくる。紅葉は台風と塩害のためか今年は良くないとのことであったが、やはり鮮やかな色と整った形に欠け、今ひとつ物足りなかった。道は東海道自然遊歩道整備計画に入っていたためかよく整備されていたが、帰路の台風によるガレ場の崩壊がなければ非常に歩きやすい道である。所々に休憩場所があり、ハイキングするのにちょうど良いのではないでしょうか。リンドウ等草花も多く見られ植物図鑑を持ってこれなかったことが惜しまれました。
 土曜日の夜行で登山し、塔ヶ岳にビバークしていた縦走班の片岡、岩崎両君と時刻通りにトランシーバーで交信をとるのだが、最初のうちは電波が山の陰に遮られて交信できず、やっとできたのは焼山の頂上に着いてからでした。我々の方が先に山頂に到着し交信で聞いてみると、前日の夜遅くまで飲んでしまい出発が遅れたとのことで、今から急いで歩いても30分くらいかかるとのことである。
 我々が焼山に着いたのは12時30分頃で、先ず豚汁とヤキソバの準備にかかる。出来上がる間、藤居さん持参の山菜料理などでビール、酒、ウィスキーで先ず乾杯する。
 料理が出来上がる頃に宮坂さん、鈴木(竹)さんが到着する。改めて宴会が始まったが量が多くて食べ切れない。そうだ縦走組の二人に残しておかなければいけないと、残った材料を入れて火にかける。
 櫓の上で更新していた鈴木さんがようやく連絡が取れ、後30分かかるとのことで、それならば途中で一緒になるから豚汁は蓋をして持っていけば食べられると準備しているところへ息せき切って2名が到着した。さすがに若さあふれる二人に体力の衰えを感じる私にとっては羨ましい限りだ。
 帰りの道は途中で道が切れていて所々ひやっとするヶ所もあり、橋が壊れていたりして冷や汗ものでしたが無事通過することができた(縦走路から烏尾への下山路の分岐に通行できないとの注意があった)。
 自分が60才になって山へ行って植物を眺めたり写真を撮ったりして余裕を持って生活ができるだろうか。毎日毎日の仕事に追われている私にとって理想なのですが、30年後に岩つばめを読んで、笑ってこの文章を読めるとよいのですが、そうなって欲しいものです。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ246号目次