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日光表連山縦走
古矢 幸江

山行日 1982年11月6日~7日
メンバー (L)安田、広瀬、古矢

 今回の山行は鋭角的な山容の赤薙山から女峰山、そしてコニーデ式のまろやかな山容の小真名子、大真名子、男体山の縦走である。後の三つは独立峰で、歩きがいのあるコースとなりそうである。
 リーダーの安田さん、広瀬さん、私の三人は行けなくなった勝部(辰)さんに見送られて、11月5日、20時10分に浅草を出発した。
 国鉄日光駅でせっかちな私は既に寝袋を広げていたが、早朝ではタクシーがないので予定を変更して今夜のうちに霧降高原まで行くことになった。途中でタクシーの運転手に、こんな時期に日光の山に入るなんて危険ですよ、浮石も多く決して甘い山ではないよ、今頃登る女の人なんて乗せたことがない、などと驚かれた。よほど私が頼りなく見えたのだろう。
 翌朝は6時35分に出発。うらめしいことに三日前まで動いていたリフトの所を登る。リフト終点で朝食をとり、馬の背と呼ばれるなだらかな道を登る。左側には既に今日と明日登る山々が姿を見せる。焼石金剛付近で二人組のパーティに出会った。それ以後、男体山まで全く登山者に会わないとは、その時は思わなかったが。赤薙奥社跡から少し下りになる。わかりにくい道だった。右寄りに道を見つけ進む。もうすぐ水場だからと二人に励まされるがなかなか着かない。ないのかも知れないとあきらめた頃に、一里ヶ曽根の水場に着いた。細い流れからポリタンクを満たすのは時間がかかる。やがて尾根に出ると展望が開けてきた。近くは日光の山々、その奥には尾瀬の山も見えている。広瀬さんと安田さんは、正月合宿で登っているのでなつかしそうだ。まっ青な空と一面に敷き詰められたような雲海の白さの対比が美しい。すばらしい天気である。きっと明日も、と期待したが広瀬さんが、筋雲が出ているので遅くとも二十数時間後までに雨になる、と言う。そして翌日はその通りになってしまったのです。木々の枝にはエビの尻尾と呼ばれる氷が付いていた。空気中の水蒸気が冷たい風によって凍り付いたものだ(これも教えていただいて知ったのです)。
 女峰山の頂上には13時30分に到着、ここからの眺めもすばらしい。安田さんはパチパチと写真を撮りまくっている。台風に飛ばされたのか社が横倒しになっていて痛々しい。細い尾根を慎重に渡り帝釈山から富士見峠へと下った。今日の最後の登り、子真名子山へは標高差300メートル、ほとんどがガレ場の急登で思うように進まない。休み休み登りきると、男体山の向こうに日が落ちようとしている。夕日に向かって並び沈むのを見送った。17時に幕営地を求めて鷹の巣へと下る。真っ暗で倒木だらけの道はわかりにくい。うっそうとした原生林がせまってくる。私がもう一歩も歩けないと思った時、どうやらテントの張れそうな場所が見つかった。17時30分、今日の行動は終わった。夕食は広瀬さんの手料理、チーズフォンデューをご馳走になる。近くには他のテントがなく、まして小屋などはない。深い樹林帯にだかれ、私たちは眠りについた。
 第2日目、4時15分起床、6時30分に出発した。歩き出すと幕営地予定だった鷹の巣が目と鼻の先にある。なんだーここだったのかー。明るい時に見るとおかしくなる程の近さだった。大真名子山へは相変わらず倒木が多いが、ゆるい登りだった。山頂には青銅の像や社が祀られている。昨日登った女峰山がキリッとした姿を見せている。下りは千鳥返しと呼ばれる急斜面を鎖、梯子を伝わって下りた。やがて傾斜が緩やかになってきたところで道がなくなってしまった。安田さんと広瀬さんはルート探しを始めた。私も地図など出してみる。見当をつけて下りると前を横切っている登山道と出合った。志津小屋で昼食をとり10時25分に出発し最後の山、男体山へと向かった。小雨がパラついてきた。印象はとにかく大きい山ということであった。登る人も多いため登山道はわかりやすい。ようようにして山頂に付く頃にはみぞれに変わっていた。後は中禅寺湖目指して下る。途中で勝部さんから戴いたリンゴを、安田さんが最後の1個だとザックから出した途端に貴重なリンゴは落ちていき一同青くなったが、うまく止まってくれ感謝しながら食べた。中禅寺湖は近くに見えているけれど、なかなか近づかない。疲れきった私の足はふんばりがきかず、滑ったり、転んでばかり、悲惨な気持ちで中宮祠へ着いたのが午後3時55分だった。合羽を脱ぐと同時に来たバスに飛び乗り、私たちは日光駅へと向かった。


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