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谷川岳春山合宿
牧野 美恵子
山行日 1983年4月29日~5月5日
メンバー 川又、高橋(弘)、牧野、江村(真)、広瀬、川森、中村、熊田、吉岡、桑名、市川、古矢、岩崎、棚網、勝部(辰)、千代田、江村(し)、川田、関谷、伊藤、山本、新山、高橋(正)、宮沢

 4月28日、土合駅に降りたのは私たち三人、江村(兄)、広瀬、牧野だけだった。去年の9月と12月と今回でこの駅に降りたのは3度目であったが、私たち三人だけとはやや拍子抜けの感じがした。待合室には先客が一人いただけであった。
 29日、午前3時頃に後発隊の川又、川森、高橋(弘)氏らと合流。7時に幕営地に向けて出発する。幕営地では好天続きのためか、残雪が非常に少ない。そのためテント設営地を決めるのにちょっと手間取る。結局、虹芝寮と巡視小屋の間の畑の下に設営した。その後雪訓のため芝倉沢S字に向かう。その途中デブリがあちこちに見受けられた。いやな気がした。ちょうどS字の入口近くにさしかかった時、突然右斜め前方にて雪崩が生じた、皆一目散にトラバースする。幸いごく小規模なものであったため、全員無事に逃れることができた。自然界の突発的なエネルギーの大量放出を目のあたりにした私は、足がすくんでしまった。
 雪訓ではマンツーマンで5種類の歩行法、滑落停止、コンテニュアスの場合の確保法などを教えていただいた、どれも難しかったがコンテの確保法以外は、どうやらほぼできるようになった。コンテで絶対確保できたと思われた時でも、それはザイルがピーンと張られる前の段階でのことであり、ザイルが張られた次の瞬間は、いつもピッケルもろとも滑落している私でした。
 4月30日、雨のち午後になって晴れ。
 5時、川又さんより本日停滞と知らされる。このすぐ後シュラフを枕にしてシュラフカバーで寝ていた高橋(弘)さんが、あらためてシュラフにもぐり眠りなおしたとか。
 午前中はテントの中でザイルワークの練習をした。午後はテント場付近で散策をしながら、フキノトウをせっせと集める人、緩斜面でグリセードの真似事をし夢中になっている人、スキーに出掛ける人、とそれぞれ自由時間を楽しみました。
 5月1日、曇り、雲の流れが速い。
 昨晩は星がたくさん見えていたので、今日は間違いなく晴天だと思っていましたが裏切られました。
 川森さんをトップに牧野、高橋(弘)さん、川又さんの四人で茂倉岳と一ノ倉岳を結ぶ稜線を目指して、6時37分BCを出発する。S字までは一昨日と同じ道を行くが、雪がしまっていて歩きやすい。7時25分S字にて一本とる。前途の稜線の辺りが、ガスのため見えたり隠れたりしている。S字を過ぎると傾斜が一段と急となり、風も強くなってきたのでヤッケを着る。稜線直下で一度後ろを振り返ったら、ゾーッとしてもう前進できなくなってしまうのではないかと思われるほど急勾配であった。9時25分稜線に出る。ここで軽く食事をとり、9時40分出発。茂倉岳山頂を通過すると、うって変わり雪が少なくほぼ夏道を歩くことになる。11時05分武能岳着。少し下った所で一本とる。11時20分出発、風が強くザックにスキーを立てて担いでいる高橋さんは歩きにくそう。11時48分蓬峠の避難小屋着。ガスが益々濃くなってきて視界は15m~20mくらいと悪く、踏跡も見当たらないため再び小屋に戻りガスが切れるのを待つ。地図とコンパスにて下降路の再確認をするが少し不安が残る。30分程して川森さんがもう一度踏跡を探しに外に出た。しばらくして「見つかったぞー」の声を聞きホッとする。5分程下った所で高橋さんが本日初のスキーを距離にして50m程楽しまれた。今朝から延々6時間以上もスキーを担いできた後の、アッという間の滑走でした。白樺避難小屋を経て14時55分BC着。BCでは雪訓から帰ってきていたB隊の人達で賑っていた。
 5月2日、曇り。
 今日下山される川森さんを除く、A隊三人とB隊全員とで稜線を目指す。昨日喘ぎながら登ったコースを、なぜまた苦しい思いをしに行くのかと自問する。まあ雪上歩行の技術もまだ未熟だし、場数を踏まなくては技術の修得ができないのだからと、自分を納得させていた。
 昨日より2時間程遅い8時47分にBCを出発する。今日も昨日と同じくらい苦しい。しかし、稜線までのコース概要が判っているので精神的にはだいぶ楽だ。けれども天候があまり思わしくないのと体調が悪い人がいるので、行程の半分近くで引き返すことになる。スキー組の三名を除く全員がアイゼンをつけて下降し始める。一歩踏み出すたびにアイゼンのダンゴを取り除かなければならなかった。これも春山の一つの特徴なのかしら、勾配の増した斜面では後ろ向きになりアイゼンの爪を立てて下降した。私にとっては初めての試みであった。リズミカルにと考えてはいても、体がその通りには動かない。
 BCにだいぶ近い湯檜曽川の河原で昼食をとる。昼食の前に川で手と顔を洗い、ついでに頭までも水に浸けて、少しでも汗臭さを取り除こうと努めたが、あまり効果は上がらなかった。
 予定よりだいぶ早めにBCに戻った。スキーの三人組(川田、江村(弟)、高橋(弘))は早速アルコールを調達しにまた出かけられた。徹底したアルコール好きなんだなと、改めて感じさせられた。A隊とB隊はそれぞれに夕食をとったが私達三人はB隊のお鍋を空にするのを手伝うべくB隊のテントへお邪魔した。二人の旺盛な食欲にはもう驚かされた。
 5月3日、晴れ。
 4時起床、朝食の済んだ頃、この日から入山の一行が到着する。川森さんからの差し入れのバームクーヘンとカステラを古矢さんが届けて下さった。昨日の朝までここに一緒にいた人からの差し入れを見て(距離と時間がもたらしたものなのですけれども)なにか不思議な気がした。
 笠ヶ岳と白毛門に向けて、5時55分BCを出発する。6時55分赤倉沢出合より少し上流にて湯檜曽川渡渉。靴と靴下を脱ぎ次々に川を渡り始める。いよいよ私の番、川に足を入れたとたん、その冷たさに飛び上がる思い、川の半ば程になるともう足が痛くて思うように進めない。雪融け水の渡渉は容易でなかった。川沿いに10分程歩いた後、いきなり急斜面のヤブ漕ぎが始まる。すぐに踏み跡とぶつかるのかしらと思っていたが9時頃までこの急登とヤブ漕ぎが続いた。一昨日は冬装備で芝倉沢をつめ、今日は大倉尾根をヤブ漕ぎをしている。この短期間の合宿のうちに色々と経験させていただいている。踏み跡にぶつかってもそれが途切れ途切れにしかない。スズタケの生い茂っている尾根を笠ヶ岳まで、ただひたすらにヤブ漕ぎに徹した。11時20分くらい笠ヶ岳着。笠から白毛門までは残雪がかなりあり、キックステップで下降する。白毛門までくると去年の12月と比べ雪がだいぶ少なくなっていることに気づいた。12月の白毛門からの下降路では数え切れないほど滑ってしまった。今回は雪があまりないので転んでも、多分数えられる範囲に留まるのではと内心ホッとする。12時40分白毛門出発。途中、松ノ木沢の頭で谷川岳の岩場を見ながら大休止した後は、一気に降りた。新道と旧道の分岐にある売店でみんなが冷えた缶ビールを手にしたのは15時10分頃だった。
 5月4日、晴れ。
 昨日の下りで足が何度も吊りそうになったため本日の谷川岳への山行は辞退させていただいた。今日下山してしまおうかとも考えたが、A隊が残しておいてくれた個人装備の撤収や虹芝寮から拝借しているフライシートの返還などもあったので、明日迄残ることにした。
 谷川岳隊を送り出した後、今日下山される竹次郎さん、宮沢さんと一緒に旧道を歩いて幽ノ沢、一ノ倉沢沢、マチガ沢の沢巡りを楽しんだ。宮沢さんにツイタテ、コップ、南稜などと解説をしていただきながら、あんな所に人が登れるものだなあと感心してしまった。向かい合っているこの岩がまるで、ツンと澄まして平民を寄せ付けない貴婦人のように、そこに佇んでいるように思えた。竹次郎さん、宮沢さんを見送った後、竹さんより差し入れの缶ビールをザックに入れ、一人気ままにBCに戻った。
 5月5日、晴れ。
 朝食後、すぐにテントを撤収し本日の目的地である谷川温泉に急ぐべく下山した。1週間ぶりのお風呂は真に気持ちの良いものであった。最後に1週間の食事のメニューを記しておきます。

 全体的に大変豪華な食事でした。特に4月29日と30日の両日は、とてもバラエティに富み、これが山での食事かしらと思う程でした。食事担当のみなさま、本当にごちそうさまでした。


新山 泰秀

 入会して初めての合宿に参加する。谷川岳と聞いて期待し、また残雪がかなりあるのではないかと思い巡らし芝倉沢BCに向かう。
 しかし例年に比べて積雪量は少ないように思えた。芝倉沢における雪上訓練は全く初めての体験であり、かなり体力を消耗し、皆に迷惑をかけてしまったことを反省している。また湯檜曽川での渡渉は身を切るような冷たさを覚えている。その後の大倉尾根稜線までのヤブコギ、尾根から笠ヶ岳までの道なき道とヤブコギは自分とって非常に良い経験になったと思う。笠ヶ岳山頂での展望はすばらしく良い思い出となった。
 そして芝倉沢から堅炭尾根稜線までの雪上登行の長く辛かったことは忘れられないが、稜線上における展望は格別なものがあった。谷川岳山頂において頭上に観光ヘリコプターが飛び交い異様な感を持った。
 下山途中において「コシアブラ」の群生を見つけ、皆が熱心に摘みとり夕食時に食したことは、この山行においてすばらしい記念となった。水上山荘の露天風呂に入りながら谷川岳を眺めると、今一度登りたい、そういう思いになった。


千代田 美紀

 谷川岳、集合が21時だから家を出るのは20時だ、あと30分もう一度パッキングをし直して、お弁当持って、これで忘れ物はないはず、なんだがいつもの山行の気分とは違う。胸の高鳴りが違うのだ。
 上野駅のホームはやはり登山客、旅行客、スキーヤー、通勤客で混雑している。22時08分発長岡行きはそんな連中とザックでひしめき合っている。それでもなんとか席を確保できた。
 土合駅に着いたのが夜明け前の午前3時。あの改札口までの長い階段のトンネルは、一瞬登山客で埋め尽くされた。さすがゴールデンウィークのことだけはある。
 BCは思ったより快適な場所である。我々の他に7・8個の天幕が張ってある。後発隊の今日の予定は訓練である。雪上歩行、滑落停止、ザイルワーク、コンテニュアス等・・・。早朝というのはやたらと冷える、7時半まで仮眠をとってもいいとの言葉に、セーターを引っ張り出してシュラフに潜り込む。足が冷たいと思いつつ、ウトウト寝入っていた。電車の中で眠れなかった分、いくらか体の調子が良くなっているがやはり眠い。
 今日の訓練のためBCを8時に出発。途中のヤブを過ぎるとほとんど雪渓になってきた。反射の光がまぶしい。訓練場所まで40分くらいらしい。川又さんの後ろについて行くのだが、やたらめっぽうこの人のピッチは速い、20分も歩くともう疲れた。一本とって50分でS字状の場所に着いた。もう他の何組かのパーティは場所を確保している。先ずは雪上歩行、キックステップを教わる。これが簡単に見えても、ところがどっこいうまく出来ないのだ。登りはつま先で、下りはかかとで、姿勢はまっすぐに、と頭では理解できても、すぐ疲れてつま先でステップを踏むなんてなかなか出来ない。その辺をウロウロ登ったり下りたり、横切ったりして歩いてみる。サイドの急斜面を使っての練習になると、これまた下りが出来ない。恐くて足がもつれてしまう。斜度の恐さだけが頭に浮び、キックステップのことなんて、これっぽちも頭に浮んでこないのだ。そして次に練習した滑落停止、緩やかな斜面ではさほど難しくないと思えたのだが、これまたサイドの急斜面ではお手上げの状態になってしまった。滑り始めると止められないのだ、足を折り曲げて顔は斜面スレスレで、脇をしめて、ピッケルを90度につきさす。・・・がどうもこのことが頭に出てこない。身体を滑落させると、そのことだけで私の無知なる頭は一杯になってしまう。何度も練習するしかないよ!って言われても身体はだるくばってくるし、眠くなってくるし、ちょっとも調子がでない。本心は早く休憩にして欲しい、そして午前は約2時間の練習で終わり、もう11時にはお腹がペコペコだ。バケツを掘って我がお尻の場所を確保して、サンドイッチにほおばりついた。
 午後からは山頂まで行く人、下山する人、残って再び練習する人に分かれる。約1時間の休憩後、先ずザイルワークだ。ブーリン、8の字、インクノットとこういうのは覚えるのも早いけれど、忘れるのも早いのが私のくせである。午後からのメインはスタカットとコンテニュアス、練習なので後ろの人が落ちると判っていても、後ろの人から連絡を受けてザイルをピッケルで突き刺すのが間に合わない。「ああ又一人殺してしまった」なんて冗談でごまかしながら練習を続けた。
 14時、訓練終了、さっさと荷物をまとめて40分でBCに帰る、とまたすぐに天気図講習会の始まりである。約1時間で天気図の概要を教わり、疲れを我慢して真剣に天気図を書き込む。天気と風力、風向、気圧だけの天気図を見て勝手に予想する。明日も絶対に晴れ?晴れて欲しい。この日は17時半より食事をとり、19時半にはもう就寝である。
 2日目、今日の予定は芝倉沢をつめて一の倉岳、谷川岳、西黒尾根からBCまでの長丁場だ。5時45分出発。雪渓を行くにあたって昨日の練習が早速役に立つ。昨日はギクシャクしていたステップが、今日はなんとかリズムがとれる。先ず稜線に出るまではひたすら沢をつめる。今日も快晴、休憩での水が美味しい。そして上方には谷川岳と芝倉沢との稜線がはっきりと見渡せる。あんなに遠くに見えるのに後1時間くらいで行くのかしらなんて思いながら、また歩き出す。稜線近くになると勾配が急となり雪はアイスバーンとなる。つめはヤブとなり、これを一気に突破して9時07分稜線に出た。360度の展望に満足し、まずは思い思いに行動食をとる。40分の休憩で出発。ここからは適当なアップダウンで谷川岳の山頂に向かう。途中、岩燕を見かけた、山にも夏の到来かな?と思っていると後ろの方で「あーヤキトリが食べたい、ビールが飲みたいよー」だって・・・。
 11時10分、谷川岳着、記念撮影をして肩の小屋による。ビールは無かったが、雪融けの水場があったので思い切り水を飲みくつろぐ。これで後は下りである。下るというのはお尻で滑っても下りなのだ。少しでも楽をしようと滑って降りていると、後から怒鳴られた。「滑るんじゃない、一歩一歩、歩いて降りろ!!」あっそうだった。今回は訓練でこの山に来ているんだと気分を引き締めて、一歩一歩下る。
 巌剛新道に入った辺りから急坂となり緊張の連続だ。この下りでも昨日の練習が役に立ったことは言うまでもない。やっとの思いでマチガ沢出合、そして林道に出た。下ってから「もし、あそこで滑っていたら、運が悪ければ、どこかの沢に落ちてそのまま流されて凍死だ」なんて言う声を聞いて恐ろしかった。BCまでは道々コシアブラなどの山菜を採りながら、新緑萌える林道は快適だった。夜は山行最後の晩とあって、ありたけの食材とお酒でファイヤーを囲んだ。
 下山日、今日は帰るのみ、朝食後テントの撤収を早々に済ませ、7時30分にBCを出発、約1時間でバス停に到着、すぐタクシーで一路温泉に行くことにする。そして水上山荘の露天風呂を楽しみ、ゆっくりと昼過ぎまでくつろぎ、今回の山行の最後とした。
 今回の合宿を思い返してみるに、一番印象に残ったのは芝倉沢の登りとマチガ沢への下りで、私一人の力ではこなせたものではなかったと思う。この谷川合宿を計画された方、並びに指導してくださった方々に、心から感謝いたします。


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