トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ248号目次

笛吹川東沢-死の滑落
片岡 幸彦

山行日 1983年2月6日
メンバー (L)勝部(辰)、伊藤、川森、広瀬、片岡、増田、牧野、勝部(久)

 昭和58年2月6日、この日は私の生涯の中で最もショッキングな出来事の一つになったであろう出来事が起った。
 東沢奥乙女の滝F1は、かなりの人数の人が登っていたため、氷の山ができるほど氷片が山積みにされていた。久美子さんに言わせれば"こんな所登っても面白くない"とのこと。氷は初めての私にとっては、そんなことはお構いなしにセッセと登っていた。
 しかし、出発前に植村さんが僕に「乙女の滝F1なんていうのは、ピッケル一本で登れるんだよ」と決していつもそうしろとは言わない、あの独特のしゃべり方で話しかけてくる言葉が耳について離れなかったため、ピッケル一本のみが私の腕にからまっていた。風邪気味の身体を引きずってきたため、二本しか登っていないのに息が切れる。取付きで休んでいると、上からまさしく転げ落ちるように降りてくる人がいた。その人は私の前に来るといきなり、「上で滑落事故が起きたんですけど、どこへ行けば救助の連絡がつくのでしょうか!」、その時刻11時。
 それから2時間半後、ようやく運ばれてきた怪我人を見たら、頭は7~8cmほどパックリ割れ、右足大腿部骨折および胸部肋骨が骨折し、骨が肺にまで突き刺さり内部出血。そのため呼吸困難となり、その目は生きた人の目ではなかった。
 予め用意してあった木の担架にツェルトを敷き、怪我人を寝かせる。そして寒くならないようにヤッケ、羽毛服等を乗せ、ツェルトをかけ息ができるよう顔だけ出すようにする。その後は運ぶ時に落ちたりずれたりしないように、シュリンゲ、カラビナ等を使い、ザイルを左右交互に連続Z形にして止める。三峰からは川森、増田、片岡の三名が出動して、12~13名で運ぶことになった。
 怪我人は"苦しい、息をさせてくださいよ、後何分くらいですか"と、今にも消え入りそうな声で痛切に訴えている。
 伊藤さんや植村さんは「うちの会員でなくて良かった」と言っていたが、より厳しい登山を実践していく以上、明日は我が身である。それだけに、それらをできるだけ回避するための訓練や注意が必要になってくるのである。
 それまでに山の遭難や滑落死を他人事のように思っていた私は、自分のものとして考える人間になったことは事実である。
 4時10分前、ようやく救助隊到着。山岳救助隊というイメージからわりあい華やかなものと連想していたが、そのいでたちは道路工事の現場監督が冬に着ているようなものを連想していただければよい。足ごしらえは長靴にザイルを巻きつけて滑り止めとする。年の頃は80才前後といったところ。我々が三人でやっと担いだところを、二人で交代なしに、また休みなしに1時間半の道程を下まで担ぎ続けたのである。こういう人達の地味な努力のおかげで我々が安心して山に登れるのだと痛感した。
 我々が東沢山荘に着いたのは6時頃。見も心も疲れ果てていた。後日、ルームで播磨さんから、滑落事故を起こした人は亡くなったと知らされましたが、亡くなった人の冥福を祈るばかりです。
 他山の石とせず、我々も一層引き締めていこうではありませんか。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ248号目次