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残雪の尾根・会津の山旅 近くて遠い駒ヶ岳
井上 洋子

山行日 1983年5月1日~5日
メンバー 井上(洋)

 4月30日(土)
 上野駅、最終の沼田駅停車に乗り遅れ、0時過ぎの臨時急行を利用し高崎駅にて夜を明かすことになった。プレリュードから絵に描いたようなドジな山行となった。
 5月1日(日)、曇り後雨
 2時4分、高崎駅着、6時過ぎの始発まで4時間余りホームのベンチで過ごすことになった。年配の助役さんが娘ほどの年令の私をさかんに心配して、何かあったらすぐ公安室に駆け込むように言って下さった。一人だとは言えず始発に乗る同行者を待っていると思わず嘘をついてしまう。
 6時12分発、大前行きを新前橋で水上行きの始発に乗り換え、7時過ぎ今にも泣き出しそうな沼田駅に降りた。どんよりした空を見上げ、晴れ女の私としてはいささか面白くない、今日は鳩待峠から小至仏、至仏山を回って山ノ鼻に幕営の予定である。
 沼田駅を富士見行きのバスが出る頃は偽りの晴か、空はいくらか明るんできた。戸倉でバスを乗り換え、鳩待峠下車。身支度を整え歩き始めるが、雪は思ったよりは少なく歩きやすい。しかし、両肩には今まで背負ったことのない23キロの重みが食い込んでいる。早くも挫折か。
 今回は全く私事を理由に半ば強引に単独行の許可をもらった手前"温泉山行に切り替えました"なんて報告はできるわけがない。
 それにつけても、入山前夜、勝部さん宅に連絡を入れると"個人山行の原稿を書くように"と条件をつけられる。以来、帰京の途につくまで常に岩つばめに追いかけられる山行となった。
 霧の少しかかる中、至仏を経て山ノ鼻へと向う、早いところはもう雪を割って水芭蕉やリュウキンカが咲き出している。
 天候を懸念して今日は無理せず、山ノ鼻に天幕を張ることにした。
 寝不足も手伝ってか少しまどろんだらしい、半ば略奪するように借りてきた弟の大切なエスパースをたたく雨音で目が覚めると5時に近い、夕食もそこそこにまた眠る。6時。
 5月2日(月)、雨後曇り午後晴れ
 5時起床、ラジオに耳を傾けながら初めて天気図なるものを引いてみるが、これがなかなか難しい。空は一向に機嫌を直してくれぬようだ。仕方なく出発を遅らせる。
7時出発するが天候の回復する兆しはない。小雨の降る中、緩やかなスロープに残雪を戴いた至仏を背に歩き出す。
 県北の山里、丹沢山塊や道志の山々の内ふところに生まれ、相模川の流れを見て育った私には、東京の人混みを逃れて、ひととき山に遊べることが子供のように嬉しい。
 湿原を渡る風は五月の色、岳は次第に春へと化粧を変えてゆく。
 それにしてもこのザックの重さ、これでは尾瀬までボッカに来たようなものである。以後、朝目覚めると先ず考えることは"今日はザックが少し軽くなっているといいな"ということだった。
 天候を危んで今日は、軟弱に小屋泊りを決め込んだ。これが見事な誤算で、正午過ぎには天候が回復してしまうのだった。山の天気を読むにはまだまだ勉強が足りないようである。呑気におそ立ちしたのが少々悔やまれるが、今更燧を越えて今日中に御池に下ることは出来そうにない。今回は無理をすることが目的ではないため、三条ノ滝を見学して今夜は温泉小屋泊りにする。明日登る、燧の男性的なスロープを望みつつ早い夕餉の支度にかかる。
 5月3日(火)、快晴
 4時50分起床。"晴れた"、晴れ女の面目躍如たるところである。燧への道は緩やかな登りに始まり、1時間も歩くと残雪も次第に増し急登に思いのほか時間をとられる。途中出遭った耳の不自由な青年の赤いザックが見えなくなって随分経つ、五体満足の私がここでバテたら恥ずかしい。かすかなトレースに又かすかなトレースをつけて行く。重荷に耐えひたすら下を向いて歩く、そんな縦走のイメージが私は好きだ。
 突然賑やかな歓声と共に森林限界を抜けた。視界が開けるこの瞬間が私はたまらなく好きだ。縦走の醍醐味である。
 大学のワンゲル部員とおぼしき十数人の一団が現れ、急勾配の斜面をピッケル一本操ってグリセードの練習を始めた。ほとんどの人がお尻で滑っていく中でリーダー格らしき2、3人が見事に決めていくのを見て、私の不安定な確保も忘れて思わず見とれてしまう。この斜面を登りつめたら私もザックを置いてやってみようと彼らのつけてくれたトレースを辿り、上に着いたがあまりの急勾配に足がすくんで止めてしまった。
 燧ガ岳、柴安くらの眺望は申し分なく思わず腰を落ち着けてしまう。でもこの日、この山域は雪崩注意報が出されていたのだった。そもそも、これからがまた、ドジ山行の続きである。これより御池へ下るまでに、大小3回の滑落を演じたのだった。
 先ず俎ぐらの直下で15mほどのを1回、後から来たメガネのお兄さんが"腰を落とさずキックステップだよ"と先に行って手本を見せて下さるが、言うは易し・・・である。
 次が30mくらい。これは全くの偶然で止めることができた。最後は極めつけのドジで、約100mぐらいで、ウェストベルトが飛んだザックは途中から彼方へと流れていった。反転しながら思い切りピッケルを雪面に刺して・・・"止った、私も捨てたものじゃない"などとつぶやいたが、荷物に振られながら私の未熟な技術で止まるはずがない。立木に左足をとられて止まったに過ぎなかった。
 だいぶ先を下っていた雪焼けしたくだんのお兄さんなどパートナー氏に言わせると、青くなって確保に走って下さったそうである。雪の中に埋まってフレームの先だけキラキラしていたメガネをやっと見つけ、足を引きずりながら下っていった私に、ザックを渡してくれながら見事な滑りっぷりで壮観だったと、しっかり言われてしまった。御池まで腐った雪に足をとられ、完全に雪にもて遊ばれつつ下っていった次第です。
 左足も痛む、明日は東京に帰ろうと一度は考えたものの、桧枝岐の民宿で岩風呂に浸かり、色鮮やかな山菜と川魚料理を前にしたら、明日、滝沢登山口からなら私にも駒に登れそうな気がして、翌日、駒ヶ岳を目指したのがまた、ドジ山行のフィナーレへと続くのだった。しかし、その夜は音もなく夢路へと落ちていった。
 5月4日(水)、快晴
 5時少し前に起床して滝沢橋から登山口へ左足をかばいつつ、旧道を登り始めた(本人はあくまで登っていたつもりである)。思い込みとは実に恐ろしい。
 左足は少し痛むが、ゆっくり歩いても正午前には充分駒ヶ岳の頂を踏めるはずだった。ところが、行けども行けども稜線は見えない。登山口を歩き始めたのは7時前である。いくら私のスローペースでも、もう水場に出てもいい頃である。しかし、正午を過ぎても、2時、3時を回ってももの凄いヤブが延々と続くばかり。どうやら尾根筋を一本間違えたらしい。
 午後4時、覚悟を決めてビバークの用意をする。とても幕営できるスペースはなく、残雪が比較的ゆるやかな斜面をつくっている位置に、夜間のことと乏しい知識で立木に自己流の確保を試みて、右手でピッケルを支えてシュラフに潜り込む。
 その夜は驚くほど暖かかった。山中で天幕もなしに生まれて初めて迎える夜であった。ありったけの着替えを着込み、少々の不安の中で一夜を過ごした。何度か目が覚めた折、流れ星を見た。あくまで暖かい春の夜は満天のきらめくばかりの星で飾られていた。

閑話休題
振り仰ぐ 朝陽の中に 駒の嶺が
愁いをこめて うしろ髪ひく

憧れは 遠き日の夢 駒ヶ岳
五年(いつとせ)重ねて 頂を踏む

北の山 残りの雪を しとねとし
ひと夜の夢を 星に結ばん

 5月5日(木)、快晴
 4時前から目が覚めている。やっと少し緊張感がほぐれる。恐ろしいまでの静寂が去り、星が一つ、また一つ消えて、紺青の空が明るくなるのがもどかしく、シュラフを抜け出す。一杯の紅茶とわずかな行動食を口にすると無事朝を迎えられたことを感謝しつつ、歩き出す。振り返ると12時間ほどの時を過ごした。木立越しに朝陽が山の端を染めつつ昇っていく、その朝の輝きほど素敵な陽の光を見たことはなかった。
 一人の時は常に自分で判断を下さなければならない。結果として、それが間違いであっても、それを背負っていくのも自分であることを改めて痛感した一夜だった。
 天候に恵まれたから良かったものの、この山域で5月の雨にたたられたら悲惨なだけでは済まなかっただろう。
 帰京後、知人に尋ねたところ、私は大津岐峠の稜線下に派生する一本のヤブ尾根に迷い込んだものらしい。
 稜線はまだ1m以上の残雪で埋められ、所々雪崩の跡がある。
 正午前、三度目にして憧れの駒ヶ岳の頂を踏んで、その眺望を一人占めして、大津岐峠よりキリンテのバス停に下る。
 途中林道にて故郷ではとうに盛りを過ぎたフキノトウとタラノ芽を見つけ、ザックを放り出して、しばし山菜採りに興じる。
 会津バスを田島で乗り継いで鬼怒川温泉へ、バスの窓外から会津の山里の遅き春の訪れを楽しむこともなく眠り込んでいた。
 結果として私のとった行動は止むを得なかったと思うが、そこに行くまでに過程で道を間違えたらしいと気づいた時点で引き返す勇気が必要ではなかったかと・・・反省させられる多くの材料を残した山行だった。
 ノスタルジア。その夜、帰宅するとフキノトウとタラノ芽を賞味しつつ、白と紺青の見事なコントラスト。辻まことの画の世界そのままの北の山に遠き思いを馳せるのだった。

付記
地図 5万図、桧枝岐、燧ケ岳、藤原、追貝
    エアリアマップ 昭文社「尾瀬」
交通費(昭和58年4月現在)
上野~沼田(急行、普通乗車券) 2,620
沼田~戸倉(東武バス) 1,500
戸倉~鳩待峠(関越観光会員制バス) 600
御池~桧枝岐(会津バス) 450
キリンテ~会津田島(会津バス) 1,800
鬼怒川~会津田島(会津バス) 1,600
鬼怒川~浅草(東武快速) 1,060
(特急料金のみ) 900
(快速料金) 400


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