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五十沢川(いかさわがわ)本谷
吉岡 誠

山行日 1983年9月3日~4日
メンバー (L)赤松、吉岡

 当初の計画であった海川西俣を変更し、赤松・吉岡の二人で、巻機山の北面を流れる五十沢川本流へ入るべく、車を六日町より永松発電所へ進めた。発電所より巻機山の牛ヶ岳まで一般登山道があるのでこれを歩き、道が尾根に取り付く四合目(通称下り船)より本流遡行を開始する。この間の登山道も、周囲の圧倒的な大岩壁を見上げ、悪絶としか言いようのない下部、中部ゴルジュ帯を見下ろす一級品の登山道である。
 "下り船"で例の通り地下たび、脚絆の足ごしらえに整え出発。緩やかな流れを行くが長くはたたぬ内に釜に行く手をはばまれる。しかし、得意の平泳ぎで難なく突破。もう全身ズブ濡れである。その後も積極的に水に入り、次々とゴルジュを突破する。この方法が、安全でかつスピーディなのだ。
 我がリーダーの赤松氏の絶妙なルートファインディングで快調に歩を進める。本流の核心部は本谷沢出合いより永松沢出合いの間で最狭部は2~3mのゴルジュが右に左に激しく屈曲し、悪絶そのものだ。
 第一ゴルジュは泳いで突破。第二ゴルジュは、右岸を非常にシビアなヘツリで突破(残置ハーケン1本あり)。腕力、精神力を激しく消耗する。第三ゴルジュは本流最悪で、入口を20mの泳ぎで突破したものの、続く廊下はさらに長く40mほど先で右に屈曲していて、その先の様子がわからない。リーダーの判断で右岸を高巻く。出来るかぎり小さく巻くのが原則だが、行く手をスラブの岩壁や草付きにはばまれ、上へ押し上げられてしまう。体力を激しく消耗する。さらに上より見下ろしたゴルジュの悪絶さに思わずゾッとする。遡行図が詳細不明になっているのも当然である。
 約1時間半の大高巻きで、第三ゴルジュ上に出る。流れは一変して穏やかとなり、ゴルジュ帯唯一のビバーク地、下カケス沢出合いを迎え、上部偵察後ビバーク。
 2日目も、第四ゴルジュ突破からである。しかし、激しく屈曲している中に、ツルツルのスラブ滝をかけているので、左岸を高巻く。ここで、吉岡が草付きでスリップし、10m滑落したが釜の中に落ちてケガはなし、しかし、高巻きでの滑落は本来致命的なミスである。細心の注意が必要だ。反省すべし。
 第五ゴルジュも泳ぎと高巻きで突破し、核心部を終える。永松谷を左岸より迎えると、にわかに滝の連続となる。沢が高度を稼ぎだしたのである。こうなると稜線は近い?はずなのだが、この滝一つ一つにも、高巻きや直登に神経を使うものばかりで、改めて沢の大きさ、厳しさが身にしみた。
 左岸に特徴ある岩峰(一ノ倉のマッターホルン稜とドーム稜のようだ)を足下に見る頃、沢も広大なスラブと草付きに消え、ようやくにして三ッ石山と牛ヶ岳の稜線に到着した。
 しかし、午後2時を過ぎているのに、今後の下山に軽く5時間は要するので、先を急がねばならない。牛ヶ岳まで気の遠くなるほどである。
 1時間半で牛ヶ岳に到着。牛ヶ岳より前述の発電所への道を下る。樹林の中をズッコケながら進む。さらに雷雨のおまけ付きで、四合目で五十沢の本流を渡らねば帰れない僕達に、余計焦りを誘う。でも足が進まない。
 ようやく、四合目に着いた時にはかなりの増水で、前日はヒザ下の渡渉が腰上になっており、あと30分遅れたら、水が引くのを待つしかなかった。その後は道に沿って歩いたが、二人とも空腹と疲労で歩くことも困難な状態に近づいていたようだ。やはり1日に15時間の歩程は非常につらかった。
 今回の山行は、今までの沢登りの考え方を改めさせて余りある山行だった。かつての丹沢や奥多摩などの沢登りとは、全く質の違うものだった。心して取り組むべきだった。また岩登りで経験した困難さとも全く異質のもので、より深みのあるものだった。山登りが、精神力と体力の総合力の勝負だということをいやという程に身にしみた山行だった。

〈コースタイム〉
第1日 駐車場(6:20) → 四合目下り船(8:30) → 上の滝沢(10:00) → 本谷沢(11:10) → 下カケス沢(18:00)(ビバーク)
第2日 B.P(7:00) → 永松沢(10:30) → 稜線(14:00) → 牛ヶ岳(17:00) → 駐車場(21:30)

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