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前穂北尾根でのビバーク
佐藤 朋子

山行日 1983年7月23日~24日
メンバー (L)田原、岩崎、佐藤(朋)

 穂高と言えば山をやる者なら、一度は足を踏み入れる所だ。私も山を始めて5年目にして、ようやく入山の機会を得た。
 7月22日20時、田原さんの所から車で出発。前穂北尾根三峰フェースを攀るためだ。5・6のコルか、奥又白池でビバークして取り付く予定なので、荷物は最小限に減らしている。シュラフカバー、雨具、セーター、食料は行動食のみ。しかし、登攀具やザイルがあるのでザックは15キロ近い。
 23日、0時40分、上高地入口まで行くが既に自家用車規制のゲートが閉まっており、沢渡まで戻る。外はどしゃ降り、明日の快晴を願って寝る。
 5時起床、小雨。5時半発のバスで上高地へ向かう。6時10分着。身支度を整え6時20分出発。明神までの道々、雨で小川のようになっている。梓川は濁流となって荒れ狂っている。我々三人の足はだんだん速くなり、前を行くパーティをすべて追い越してしまう、今にも走り出しそうな勢い。
 明神着7時。軽く食事をとり7時半出発。徳沢園8時通過、8時15分新村橋着、黒部ダムから見た黒部渓谷に似たものを感じる。
 9時出発。奥又白本谷を詰め、松高ルンゼ出合い着10時5分。中畠新道に取り付く、登攀前のウォーミングアップのような急登が続く。途中、傾斜が落ちた所で一本。ニッコウキスゲの涼姿に暑さを忘れる。ザレ場をトラバース気味に登り、空との接点に達する。12時20分天上の楽園、奥又白池が目に飛び込んできた。冬期登攀のためにデポしておく場所という"タカラノ木"の横をすり抜け、ビバークサイトに腰を下ろす。
 予定ではここでビバーク。翌朝はモルゲンロートに輝く東壁と北尾根を眺めることにしていた。そこで薄日が射し、時折青空ものぞくポカポカ陽気に中で昼食をとる。常念岳がどっしりと構えている。雪渓の美味しい水が豊富に流れ、ミヤマキンバイ、イワカガミなどが、人足に踏まれる心配もなく呑気に風になびいている。
 それにしても夜までの時間が長すぎる。明日のアプローチを考え、5・6のコルまで登ることにした。この12時間後、どんな悲惨が運命が待っているかも知らずに・・・・。
 水を補給し13時20分出発、鏡のような前穂東壁に圧倒されながら、奥又白本谷上の急な雪渓を下降気味にトラバースする。雪が堅くキックステップがうまく効かない。腰が引けて体勢が崩れ、スリップしてはピッケルで止める。雪渓登りも息が切れてしまう。一旦、五峰から派生した支稜に出て一息。目を閉じるとそのまま深い眠りに吸い込まれそうだ。ハクサンイチゲの清楚な姿に一瞬疲れを忘れる。
 ヤセ尾根からガレ場を下降、トラバースの後5・6のコルまで最後の登り、脆くていやーな登り。一歩登ると三歩滑り落ちる。15時10分、ほうほうの態でコルに辿り着く。アプローチでこれではとても本番の岩攀りなどできはしない。体力不足、トレーニング不足を反省することしきり。
 コルはさすがに風が強く寒い。すぐ雨具を着込む、涸沢から吹き上げ奥又白へ抜ける風の通り道。涸沢に向かって三人寄りかかれる岩がある。冬期登攀でビバークする人は皆この岩を利用するらしく、ボルトの穴がいくつもある。
 空模様がだんだん悪くなってきた。「今日は涸沢へ下り、翌朝早く登ってこようか。涸沢までの下りは30分ほどだし」といった判断もあったが、今回はもともとツェルトビバークの予定で来たのだから、ということでここで一晩頑張ることにする。
 ツェルトを張り三人で潜り込み、膝を抱えたまますぐに眠り込んでしまった。やはりみんな疲れていたのだなあ。16時30分頃気がつきピッケルとシュリンゲでツェルトを張り直す。相変わらず風が強く、霧が視界を変える。暖を取るため少々の食料をお腹に入れる。18時頃からメタでウドンを一人分ずつ作り順々に腹ごしらえをする。風は強くなる一方、ツェルトはバタバタあおられ、その度にローソクを持ち上げ「風よ鎮まってくれ」と祈る。
 20時頃外に出てみる。見える。月明りの下、奥穂から北穂までの黒々とした稜線が、くっきりと浮かび上がっている。奥穂小屋の明りが暖かく輝いている。岳人たちが今日の疲れを癒しながら、楽しい語らいの中にいるのだ。無性に山小屋が恋しくなる。上空は涸沢から吹き上げる風が渦を巻き、奥穂もすぐに隠れてしまう。「明日は晴れてくれ!」と祈りながらツェルトに入る。
 22時にはセーター、雨具を身につけシュラフカバーに潜り込む。風がツェルトを吹き飛ばそうと襲ってくる。三人とも無言で耐えるうち、眠りに落ちていた。
 ツェルトがバタバタはためく音と雨がバラバラと叩きつける音で目が覚める。ひどい風雨、寒くて寝るどころでない。まだ24日の0時だ。ツェルトはもうびしょ濡れ。床には水が溜まっている。ゴアのシュラフカバーでない田原さん、岩崎さんは全身びしょ濡れ。ゴアの威力は素晴らしい。シュラフカバーはゴアに限る。
 4時、止んでくれとの望みもむなしく、相変わらず風雨と寒さに耐えかねて起き出す。流れる霧に一喜一憂しながら、とうとう涸沢に下ることにする。あるだけのメタを燃やし、冷えきった体を暖める。三峰フェース登攀終了後、前穂山頂で食べるはずだった水ようかんを食べ、ツェルトを撤収。
 6時5分出発、雨の中、急なガレ場から雪渓に降りる。滑る。情けなくなるほど脛に力が入らず腰が引けてしまう。傾斜が落ち涸沢ヒュッテが見えた頃になって、雨は本降りとなってきた。ヒュッテ着6時35分。
 一息入れ7時出発。横尾までの道は増水で本谷橋が崩壊して渡れないため梓川の右岸沿いに行く。途中、屏風岩の雄姿に足を止める。いつか攀れるだろうか。
 8時30分、横尾山荘着。中は登山者でごった返している。9時出発、徳沢9時40分、明神10時20分。この間、梓川の激流と明神の岩峰に目を奪われながら足を速める。道は沢のようになっている所が多い。三人とも靴の中は既にぐしょぐしょ。こうなっては、もうどうでもいいのだ。沢であろうが水溜りであろうが、どたどたと前進あるのみ。水に入るのが楽しくてたまらない。幼児にかえったように嬉々として足を運ぶ。
 明神でようやく朝食となる。無事を祝ってワインで乾杯。腹ごしらえの後、11時15分出発。ここからは一般ハイカーが多くなる。11時45分上高地着。一気に人ごみに突っ込む。人間を避けながら歩くのが、シンドイナー。
 ちょうど12時発のバスに間に合い、ガラガラの車内の一番後ろでひっくり返ったまま、危うく沢渡で乗り越すところだった。この頃には青空ものぞき、真夏の陽射しの中、帰路についた。
 初めての北アルプスは風雨の大歓迎を受けた印象深いものだった。今年中に前穂北尾根から奥穂、北穂と何とかして行きたいと思う。


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