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正月合宿
その2 鹿島槍ヶ岳・赤岩尾根A隊
高橋 千恵子

山行日 1983年12月30日~1984年1月2日
メンバー (L)川森、伊藤、溝手、高橋(千)

 12月29日新宿発。思いザックのせいか、雪の降り方が遭難の多かった年と今年は似ているという雪山情報のせいか、鹿島槍に登らず温泉に直行したい気持ちになる。
 30日、5時10分信濃大町駅着。差し入れでもらった日本酒やリンゴ等をザックに入れ、パッキングをしなおし、朝食を済ませ車で鹿島に向かった。6時30分薄暗い中を無言で歩き始める。大谷原で一本。スパッツを付け良く踏まれた道を一列になって歩く。西俣出合着9時15分。橋のかかっていない西俣本谷を渡ると、ここからは急登となり木の間から差し込む陽射しは柔らかく白い雪をオレンジ色に変え、雪上に木の影を映し安らぎを感じさせる。こんな気持ちのいい日に登れて幸せと、すたこら登る。すっかり踏まれて階段状となり難しい所はない。苦労したのが休む度に下ろしたザックを背負うことだった。13時45分高千穂平着。先に着いたB隊がテント場を確保しておいてくれた。目の前の鹿島槍もそこそこに見てテント場作りである。「高橋さんは足で均すより、お尻で均した方が速い」と思わぬ?ことを言われながら頑張った。天気図の結果より夜空に輝く無数の星に明日の天気を期待し、19時40分消灯となった。
 31日3時30分、川森さんがゴソゴソしだし、一人起きてガスをつける。その後三人はゆっくり起き始めた。朝食は昨日の夕食の残りのスキ焼きにウドンを入れて食べた。今日は冷池小屋までの予定だが、荷物も重いし、天気が今日は持ちそうだが明日は崩れそうなので、予定を変更して高千穂平をベースに鹿島槍をピストンすると川森さんの言葉。6時15分出発。やせ尾根をアイゼンを利かせて登る。7時、今年最後の日の出を見ながら一本。今日の天気を約束してくれそうな真紅の太陽だ。樹林帯は高千穂平からなくなり全身に太陽を受ける。何ヶ所か急な登りがありピッケルを刺しながら慎重に登る。ふと足元の雪を見ると雪の結晶が一つ一つはっきり見えて、私の後ろを登ってくる溝手さんに「きれいね」と話し掛けるが、溝手さんの関心はなさそうな返事にがっくりきてしまう。トラバースして冷乗越に出ると展望がいい。一本とるつもりはなかったが写真撮影となった。冷池小屋着7時50分。デポした物を確認し、ゆっくり休む。ここから布引岳を経て鹿島槍へのトレースがはっきり見える。近いようで意外と時間がかかるという。8時20分快晴無風の中、サングラスをかけて出発。立ち止まってはシダ類の小形版のような雪の結晶に感激し、立ち止まっては展望を楽しみ、登りの苦しさなんてなんのその満喫しながら登った。布引岳着9時。布引岳から見る鹿島槍は南峰北峰が並び岩肌が隠れ純白。私はここからの鹿島槍の姿が一番気に入った。鹿島槍の登りで少々風が出てきたが、それでもポカポカ、雪焼けを今更気にしても遅いが顔のヒリヒリするのが気になる。正月山行とは思われない暖かさだ。鹿島槍頂上着10時10分。とうとう頂を踏んだと握手して喜んでいたら雲が出てきた。剣岳に雲がかかると天気の崩れは早いということで、カメラを持っていない私はガメツクこの素晴らしい展望を見て10時30分下山にかかる。雪に隠れる石にアイゼンを引っ掛けないように気をつけて冗談を言いながら下りる。冷池小屋着11時25分。紅茶を作ってゆっくり休む。小屋付近はテントを張る人、休んでいる人達で賑やかだ。50分ほど休んでベースへと向かう。トラバースではこの一歩の雪が崩れたらはるか下まで滑り落ちるのだろうなと緊張し、急な所は後ろ向きになって慎重に下る。ベース着13時15分。風が出てきたためブロックを積む。子供の頃雪遊びをやったおかげで形だけはブロックを積むことができた。鏡モチ、しめ縄などで正月準備OK。テントの中では伊藤さんと溝手さんが水を作りながらもう一杯始まっていた。その夜は針金で吊ったローソクの蝋が垂れるのに悩まされたが、NHKの紅白歌合戦等を聞き消灯となる。
 1月1日、風が出ている。雪もちらつき曇り空。初日の出は見られなかったと伊藤さんの言葉。今日は停滞の気分でオトソを飲み雑煮を食べた。爺ヶ岳へは希望者だけということで川森さんとB隊の川又さん、佐藤(朋)さん三人が9時頃出発。停滞組はテントの中で正月気分である。昨夜冷池小屋にテントを張った東尾根隊がモートーの声で下りてきた。賑やかになったテント内だが13時頃下山するということで出発して行った。後発隊が登って来て少し離れた所にテントを張る。そして爺ヶ岳へ登った三人が無事帰ってきた。爺ヶ岳は風があり展望はなかったが冬山らしくて良かったという。その夜は、昨夜からの飲み過ぎと明日の行動を考えて禁酒令が出た。お酒の付かない夕食は静かなものだったが、手に持つ歌集2冊で歌い合い最後の夜を楽しんだ。
 2日、今日は下山。6時30分やはり川森さんがゴソゴソしだしガスをつける。他の三人はゆっくり起きる。朝食はナメコの雑炊だが、伊藤さんが食当なのでゲロ飯か? しかし伊藤さんは食欲がなくほとんど食べない。その分私がおかわりしてパクパク食べた。テントをたたんで9時45分出発。雪が積もったがトレースはしっかりしている。小雪がちらついていたが太陽も顔をのぞかせた。今回の山行は本当に天候に恵まれた。西俣出合着11時。アイゼンとヤッケを脱ぎポカポカ陽気の中を鹿島館を目指して歩いた。
 今回の山行は正月ということで入山者も多く、よく踏まれた道を楽しく行くことができた。遭難した大阪の岳寮山の会の人達も私達と同じ赤岩尾根を登り、同じ景色を見ただろうと思うと気持ちの奥に悲しさが残った。冬山は常に危険と隣り合わせと感じさせられ、冬山の山行の難しさを知った。冬山は今年初めての私は、正月合宿に参加していいものかどうかと、複雑な心境になったが、反面登ろうとする山とはどんな所かと胸を躍らせたのも今回の山行でした。


溝手 康史

 12月29日夜、新宿を発ち、30日朝、鹿島までタクシーで入り、ここから歩き始めた。
 僕にとっては初めての冬山合宿だった。ザックは多すぎる食料やテントなどでひどく重かった。100メートルも歩くと早くも疲れて歩くのが嫌になった。しかし、ここまで来て今更帰るとは言えない。
 鹿島から西俣出合までは平坦な林道で雪も踏み固められている。しかし、僕の前を歩いている伊藤氏は時によろけて踏み固められていない雪の中に足を突っ込んでいる。最初はふざけてやっているのかと思っていたが、どうやら昨夜飲んだアルコールがまだ残っているらしい。
 あたりは一面雪で白く染まり、積雪は1メートルくらいであろうか、今年は例年より雪が多いという。純白の真綿にも似た柔らかな雪が樹木を覆い、周りの全てのものが柔らかい丸みを帯びて見える。何か自然全体が優しい美しさを称えているようだ。また、白く染まった鹿島槍や爺ヶ岳が美しい姿を時々見せる。しかし、そんな自然の美しさを味わう余裕は全くない。ただひたすら俯いて地面を見つめ、背中に感じる地球の重力に耐えるしかない。『やはり山に登る者はマゾに違いない』と思う。相変わらず伊藤氏は真直ぐに歩けず雪の中に足を突っ込んでいる。
 西俣出合で休憩している時、10数名の先行するパーティがあった。下山後にわかったことだが、爺ヶ岳で雪崩で五人死亡した13人パーティがあった。パーティは30日は僕達と全く同じ行程をとっているので、ひょっとしたらこの時の先行パーティがその遭難パーティではなかったかと下山後に考えたりした。
 赤岩尾根の急登では汗びっしょりになり、カゼ気味のため鼻水を垂らしながら、そしてすぐ前を登る高橋(千)さんのお尻が大きかったことしか覚えていない。この時はしんがりを歩く川森氏が何故かペースメーカー?になっていた。
 翌日は高千穂平にテントを残して鹿島槍へアタック。快晴、無風という好条件だった。気温も高く途中で手袋、帽子も脱ぐという状態だった。布引山頂でヘリコプターが飛来し、皆でテレビに映ろうと思って手を振った。何と単純な人達なんだろうと思った。
 快晴下での展望はサイコーの一語に尽きる。頂上からはなだらかな爺ヶ岳、剣岳の険しい岩肌、立山さらには五竜、白馬などの後立山の峰々がうねるようにはるか遠くまで続いている。
 頂上から降りる時、伊藤氏は高橋さんの○○の形が爺ヶ岳、剣、鹿島槍のどれに似ているかという議論をしていた。全員で討論した結果、鹿島槍に似ているという結論に至った。というのは全くの冗談である。また、伊藤氏は何を話したのかは知らないが、恐らく伊藤氏の好む卑猥な話を、伊藤氏のすぐ後を歩く他パーティの見知らぬ女の人に高橋さんと勘違いして話しかけたそうである。その女の人は変な目つきで伊藤氏を睨んだという。きっと伊藤氏は変態と思われたに違いない。もっともそれはまんざら外れたわけではないとも思えるのだが。
 1月1日は爺ヶ岳に登る人もいたが、僕はテントで停滞。午後1時頃まで飲んだり食ったりして、いつもの正月と変わらない正月らしい?一日だった。およそ山の中に居るという気がしなかった。
 伊藤氏は胃の具合が良くないにもかかわらず飲み過ぎて、ついにリーダーの川森氏から禁酒令を言い渡される。そして一時険悪な雰囲気が漂いお通夜のような夕食となった。しかし、その後みんなで歌を唄った、というよりもどちらかというと、三人と伊藤氏とで分かれて輪唱をしたというのが正確だろう。
 初夢は女性の夢を見たいと思っていたら、正にその通り楽しい?夢を見てしまった。伊藤氏は誰かが滑落する夢を見たそうだ、御苦労様です。
 2日に下山。伊藤氏は飲み過ぎて朝からゲーゲーいっていた。赤岩尾根の急坂を、気の小さい僕は小便をちびりそうなくらい震えながら降りたのだが、何故かとても楽しい下りだった。
 今回の合宿は鹿島槍の頂上を踏めて成功といえる。その理由は天気が良かったことと、トレースがしっかり付いていたこと、そして秀でた経験者のいたことによると思われる。特に川森氏はリーダーとして苦労が多かったと思う。改めてねぎらいたいと思います。
 反省すべき点としては荷物が多過ぎたこと。そっくりそのまま荷下げしたものもある。また、はっきり言って元旦の停滞は無意味だったと思う。テント内での生活をいかに楽しくするかという点も、リーダーを含めた全員の協力がなければ成し得ないだろう。更にもっと多くの人に合宿に参加して欲しかった。そのためには合宿の日程、形態、場所の選定等に考慮の余地があるように思う。しかし、合宿の企画、遂行のためにはリーダーや委員に多大な負担がかかり、今回の成功は彼らの苦労の結果に他ならない。改めて御礼を言いたいと思います。


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