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諏訪山
山沢 由理

山行日 1984年3月10日~11日
メンバー (L)伊藤、高橋(正)、福沢、山沢

 3月9日の晩に、三軒茶屋から車で関越道を通り浜平鉱泉へ向かった。5時間の行程であった。メンバーは伊藤さん、高橋(正)さん、福沢に私の4人。途中、志賀坂峠は凍っており、車は横滑りするし、伊藤さんの運転は乱暴だしで、目的地に着けるのかと心配した。10日の午前3時、浜平鉱泉に着き車の中で仮眠をとった。浜平鉱泉へは電車で来ると、バスなど2~3回乗り継ぎで、かなり奥になる。
 明るくなって辺りを見渡したら、周りはすべて山に囲まれていて、谷底に民家がひっそりたたずんでいた。地図で見れば東京からいくらも離れていないのに、山をいくつか隔てると、こうも違う世界があるのかと思った。この日は一日雪であった。寝過ごしたため出発は9時、両側を山に囲まれた沢沿いの道を登って行く、風がないので雪が真っすぐ下に落ちていく。私達4人以外誰も会わない。予想した程雪は多くなく、トレースもついている。ただ慣れない雪道で所々凍っていて、ツルツル滑る。初めて持ったピッケルが頼りだ。自分達がしゃべらなければ物音一つしない、その音のない時間が止まってしまったような世界の中で、ゆっくりゆっくりと進む。沢をツメ、湯の沢の頭に出た。道はさっきより楽だ。そこから先1時間ちょっと歩いた所に避難小屋があった。トレースはここまでで、ここから先はラッセルとなった。そして間もなく雪におおわれた岩が目の前に立ちはだかり、何度挑んでも足は岩から滑り落ち、ピッケルは一度では打ち込めず、この岩場をどうやって通過するのかと途方にくれた。そんな所が3ヶ所程あり、最後にはピッケルを振り上げる手も重く又、身体を上に引き上げるのも重く、勢い体力の消耗を感じた。上に這い上がるとそこは少し開けた所で、安心感と同時に睡魔が襲ってきた。伊藤さんの判断で、ここが折り返し点となった。そこは一つのピークですぐ東側が落ちていて谷を隔てて向こう側にひっそりと白い山があった。これまで全く視界が開けていなかっただけに、突然目に入ってきた景色に思わず魅せられてしまった。伊藤さんが「どうしてもここまで連れてきたかった」と言った理由がここにあったのだなと感じた。そして稜線の延長、南のピークの方を見ると下ヤツウチグラへの梯子が見えた。たったそれだけだったが、頂上へはまだ先があるのだぞといった厳しさを、又自分の力の及ばなさを見せつけられる思いがした。
 今回の諏訪山は天気に恵まれず視界がなかった。そして頂上を踏まなかった私にとって、あの唯一の展望を除いて報われるものがなかったと言っていい。しかし、それでもただ登っただけでも、ただ歩いただけでも満足だ。
 折り返したのが14時で、浜平鉱泉に着いたのは16時30分であった。その晩は狭い天幕でなく広々とした部屋の中、こたつを囲んでの食事であった。食べ切れない程豊富にある食事を前にして、疲労のため一向に片付かなかった。床に入ったのは10時頃で宿の人の配慮で私一人別室で休んだ。


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