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救助訓練
佐藤 明
山行日 1984年7月1日
メンバー (L)佐藤(明)、広瀬、植村、田原、山本、今村、伊藤、播磨、佐藤(朋)、宮川、大塚、川森、川又、勝部、赤松、吉岡、千代田、加藤、市川、井筒、平尾、山田、鈴木(章)、佐藤(八)、中村、古矢、麻生、湯谷、小泉

 昭和59年7月1日、表丹沢小草平の沢にて、現役会員全員を対象に救助訓練が実施された。内容は主にザイルを使ったプルダウン、そして担架を使った搬出訓練である。
 先ず実施にあたり地元警察署及び二俣の登山研修所へ文書による訓練予告を提出した。また総合看板ナイルで製作した「訓練中」の旨の立て看板を、勘七ノ沢出合いと小草平の沢出合いとにそれぞれ立て、誤通報によるトラブルを未然に防ぐよう配慮した。
 訓練前夜の土曜日の夜、ザイルワークのできる者15名が大倉キャンプ場に集合。とりあえず前夜祭となる。
 翌朝6時半に起床後、田原号及び平和製作所のトラックに分乗し、さっそく二俣に向かうが、ネジリ鉢巻やヘルメット姿でトラックの荷台に乗っている様は、さながらヤクザの出入り前のようである。
 勘七ノ沢を遡行して小草平の沢に入り、9時より訓練開始。7名づつのパーティ二つに分かれ、F1及びF4からF2でのプルダウンの練習となる。
 負傷者(伊藤氏)はF4上部で膝下部を骨折したため自己歩行できないと仮定し、搬出者(川森氏)がザイルを利用して背負うことになった(大腿部骨折の場合は背負えない)。下降ルートは右岸からであり、F4(5m)はトラバース気味に歩いて下り、F3(3m)とF2(4m)は、側壁を一気にプルダウンさせるものとした。
 最初の作業はフィックスロープを張ることであるが、実際の下降ルートからできるだけ離れないようにしなければならない。このため、いかにうまく中間支点を作るかがポイントとなる。今回は立木などを最大限に利用したものの、F2の横にボルトが2本打たれた。
 下降させるにあたり、背負いの搬出者1名だけでは垂直になら降りられても、トラバース気味のプルダウンとなると体が振られてしまう。そのため最低1名(今回は2名)の介添がつかなければ、うまく下降できない。特に先行の介添は、救出者、負傷者のザイルの流れに注意し、中間支点通過時のカラビナのかけ換えなどの作業を行うようにすれば、救出者はずっとフィックスロープにつかまっていられるので安全性が向上する。
 また後続の介添の任務は救出者のバランスの保持で、トラバース気味に下る時、振られないように後から押してやることなどが必要となる。又、下降時、負傷者の状況を把握できる唯一人であることも忘れてはならない。この後、下部F1もほぼ同様のシステムでプルダウンを行った。
 11時、後発の搬出隊が到着。さっそく担架を2台製作してもらい搬出に備える。これらの担架のフレームは現地調達の杉の枝を材料としたが、必要な長さ約2.5mのものはなかなか見つからず、つなぎ合わせて使うはめになってしまった。この結果、つなぎ目が搬送中外れてしまったのは残念である。
 寝台部には1台は背負子2台を組合わせて使い、又もう1台はハンモックを使った。前者は背負子の荷を置く突起部が担架の下になるため、搬送中石などに当りバランスを崩しがちだった。今後はハンモックを使うべきである。
 搬出の下降ルートは登路であった勘七ノ沢内にとったのだが、登り15分で来られたところが、担架を持って下るのに2時間もかかってしまった。このことでも救出作業というものは、どれ程大変なのかを実感したのは私だけではないと思う。
 実際の搬出の際は状況にもよるが、できる限りスピーディに下山するために担架など使わず、皆で交代で背負って運ぶ方が得策だろう。また最後に、滝のそばは声がかき消され気味なのでトランシーバーでの連絡が非常に有効だった。

あとがき
 アドバイザー諸氏の指導が良かったせいもあるが、初めての救助搬出訓練であったが、スケジュール通りに進行し非常に有益だったと思える。なぜなら、救助作業の困難性を知ることが逆に安全登山の重要性を知る第一歩と考えるからである。今後とも成果を試すことのない救助訓練を定期的に実施する予定である。

装備
ザイル 13本、背負子 2台、ハンモック、トランシーバー、ボルト 6本、ハーケン 10枚

トラバースぎみのプルダウン法
プルダウン法


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