山行日 1985年2月24日
メンバー (L)高橋(千)、鈴木(章)、佐藤(八)、市川、関谷
2月24日、柳平でタクシーを降りた。私にとって、今回は2度目の挑戦である。一昨年の晩秋に登った時には、ガスのために展望ゼロで、是非もう一度登ろうと思っていた。ガイドブックによると「富士山を背負って登り、山頂に立つと正面に甲斐駒、右に八ヶ岳」という山だ。今日はお天気も上々だし、思わず期待してしまう。
身支度を整えて7時40分に歩き出す。2、3日前に降った雪のためにツボ足になりそうだけど、トレースはばっちりついているし、日帰り山行だからザックは軽いし、簡単に行けそうな気がした。ところが、女岩に着く前にトレースはなくなり、膝あたりのラッセルになってしまった。それに女岩からの急登ではルートが曖昧で、目印の赤いテープを探しながら行かなければならないのだ。でも天気は良いし、私はウキウキしていてまるで気にならない。ラッセルにも飽きたと思う頃、ちょうどうまく後方から来るパーティーがあった。これはしめたと思い私達は礼儀正しく道を譲ったが、今後このパーティーとは帰りの駅まで一緒だった。
やっと稜線に出て振り向くと、下方には韮崎の町が広がり、真後ろには富士山がドーンと聳えている。「さすがに富士山を背負うと重いね」などと軽口をたたきながら膝くらいのラッセルをして、10時35分に茅ヶ岳に着いた。頂上からの展望は噂にたがわず素晴らしい。八ヶ岳の裾野の美しい広がり、白く光る南アルプス、私はこれを見たかったのです。景色を堪能した後、金ヶ岳への降り口で休憩を取り、10時55分に出発した。雪にまみれて笑いながら一気に下り、フウフウ言いつつバテ気味で歩く。私には久々の山行なの中々きつい。途中のピークで一本取って12時10分に金ヶ岳に到着した。
ここはガスのため展望は悪く風も強い。私はとにかくお腹がすいていて、景色もそこそこにオニギリを取り出した。
さて、腹ごしらえも終り、1時過ぎに下山を始める。ここ降り口は急な岩道で、その上に雪を被っているので滑りそうで恐い。だけど頂上付近を過ぎれば後は樹林帯のランランルートである。笑い声も賑やかに、一応ルートの終点である東大宇宙研究所に着いたのは2時30分だった。そこからタクシーを呼ぶか、バス停まで歩くかはリーダー判断に従う。
南アルプスを正面に見て舗装道路を歩いていると、通りかかりの車が駅の近くまで乗せてくれた。かしましい美女5人組はやっぱり目立つのだろう。
ベストメンバーだったこともあるが(どんな意味かは想像に任せます)雪遊びのような山行で、とても楽しかった。