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南米大陸最高峰 アコンカグア・6959
小林 健二

 植村直己さんを崇拝して、踏跡を追うようにキリマンジャロ、モンブランと登った。もう他の三山は無理と諦めていたら、ある日登山家の長谷川恒男事務所のアコンカグア登山ツアーの雑誌広告を目にし、計画書を読んだ時『アコンカグア峰は南米大陸の南部、アルゼンチンとチリの国境にそびえ立ち、アンデス山脈の最高峰であると共に南半球の最高峰でもある。日本からはカナダ太平洋航空で赤道を越え、チリ首都のサンチャゴに向かい、その後アンデス山脈と大平原(パンパ)の接点にあるメンドーサへ。ここが登山の準備基地となり、入山許可、装備、食糧などの整備を行い登山の出発点となるプエンテ・デル・インカに向います。ここは国境警備隊の基地があり、入山者の最終チェックがあります。ここよりキャラバンを開始して、先ずは南壁に通ずる下部オルコネス谷の出合まで、高度順化も兼ねるので急ぎません。翌日、ベースキャンプとなるプラサ・デ・ムーラスへキャンプを設営後、ノーマルルートよりの登山に入ります。ルートは上部オルコネス氷河の下を行き、途中にリベルター小屋5850m、インデペンデシア小屋6480mなどかなり小屋がありますが、既に使えなくなっています。この近くに前進キャンプを設け、また高度順化をしながらB.Cを往復し、頂上へアタックします。高度順化も含めた登山計画は個別に作成し、全員頂上を目指します。』
 登頂は無理かも知れないが(キリマンジャロ5895mにやっと登ったのに、それよりも1000mも高い)山を見るだけでもいいから行きたいと思い、それから1年、申し込みを目前にして10月の末、単車で脇見運転でタクシーに追突してしまい左膝を打撲、経過は思わしくなく行くか行くまいか迷った末、情熱が冷めないうちにということで行くことにした。
 登山ツアーの運営は長谷川恒男事務所協力の旅行代理店「シエラブランデスク」の佐藤さんという人(元登山家)がやってくれた。
 12月24日17時、新東京国際空港南ウィングCPカウンター前で添乗員の佐藤さん36才、隊員の中央区役所勤務笹岡さん34才、京都山科中学校理科の教師道言さん37才ら隊員の二人とは初対面で、今日から25日間一緒に行動することになる。笹岡さんはヒマラヤに5回も行っているベテランで、道言さんもキリマンジャロ登山経験者である。自己紹介して、よろしくと挨拶を交わす。飛行機は20時成田を離陸、カナダのバンクーバーに9時間余りで到着。バンクーバーも12月24日クリスマスイブである。バスで市内観光と昼食、街はイブ雰囲気でいっぱいである。家々のイルミネーションがきれいだった。18時30分飛行機は離陸、ペルーのリマに約10時間余りで着く。もうここは真夏である。体の調子が悪い。給油後リマからサンチャゴまで3時間(着陸直前にアンデス山脈のアコンカグアが雄大にそびえているのが窓から見えた)。空港で5時間余り待ち、30分の飛行で25日17時やっとメンドーサに着く。ガイドの金城さん36才「ペルーアンデスにとりつかれ、年に6ヶ月はペルーに滞在とか」と合流、ホテルへ向った。メンドーサの街は緑が多く公園の中に街があるといった感じの良い所だ。9時頃食事をして、シャワーを浴び寝る。暑い夜である、気温25度C。
 12月26日 曇り時々晴れ
 今日は五人で体育協会に登山許可の申請に行く。佐藤さんと金城さんはスペイン語ペラペラで協会の人と色々話をしているが全然解らない。スペイン語の難しさを肌で感じる。
 スーパーと市場に食糧の買出しに行く(牛肉は安く、ステーキ用が1kg日本円で500円、果物も安い、チェリーが1kg200円、ネクタリン1kg130円)。昼食はステーキ(300g)と赤ワイン、サラダを腹一杯食べ、1000円と安い。昼食後はアルゼンチンの習慣に習って6時間余り昼寝をする。夕食は軽くピザ専門店に行く。12時頃寝る。外は雨が降っている。
 12月27日 曇り、雨、時々晴れ
 朝4時半起床。ホテルを5時出発。タクシー2台でバスターミナルへ、荷物はバスの後部下に入れ座席につく(座席指定)6時出発。2時間余り走った所の警察署に登山許可を提出。パスポートも提示して受理される。バスは近くのドライブインで20分余り休憩、雨も上がりポプラ並木の木の香り、遠くに雲の切れ間に見える白い峰々に安らぎを覚える。バスの中は地元の人達がカセットで南米音楽を鳴らし騒いでいる。バスは所々に新聞や郵便物、荷物までも配達する。メンドーサから150km余り登山基地のプエンテ・デル・インカに11時頃に着く。天気は良く陽射が強い。標高2700m立山の室堂といった感じで違うところは国境警備隊基地の正門に機関銃を構えている兵士がいるところだ。昼食後、佐藤さんはバスでメンドーサを経由して帰国。1軒だけのホテルは冬はスキー場のロッジで大きい食堂に部屋は2段ベットである。左膝は相変わらず痛いので薬を塗る。
 12月28日 快晴のち嵐 昼20度C
 7時半起床。朝食を済ませムーラ(ロバと馬の合いの子で馬に近い顔、またロバに似ている顔と色々あり)に運んでもらう荷物(食糧と個人装備)をガウチョ(スペイン人とインディオの混血で放牧で生活している人で、夏は荷物をB.Cまで運ぶ仕事をやっている)に渡し、よろしくと握手を交しムーラより先に9時半に出発する。いでたちはジョギングシューズにジャージ、Tシャツ、長袖シャツと軽装で手にピッケル代わりのストック、顔は日焼け止めクリームを塗り、帽子にサングラスといった感じだ。30分位歩き小高い丘の上にくると視界が開けて、遠くにはこれからアタックするアコンカグアが大きく雄大に聳えている。素晴らしい景色で圧倒される。高度順化のためゆっくりと高山植物の写真を撮りながら登る。今日のキャンプ地3300mに14時30分着く。テントでも張り、のんびり夕食の用意でもしようと思うが、いくら待ってもムーラは来ない。16時頃金城さんはムーラを迎えに下山。17時頃から風が強くなり、嵐となる。寒く食糧も防寒着、雨具もなく大きな岩の陰に風を避けていたが、体温が下がるのを感じ非常事態と判断、3人で話し合うが意見が食い違い、道言さんは下山を決める。私と笹田さんは恥を忍んで近くにテントを張っていたフランス隊に助けを求める。辞書を片手にジェスチャー、たっぷりとNOムーラ、コールド、NOフード、ハングリー。何とか解ってもらい珍客に戸惑いと興味、本意に手厚いもてなしを受けテントに入れて戴き、ハム、チーズ、パン、コーヒー等もいただき、ガウンまで貸してもらい濡れている体を拭き暖をとり生き返ったという状態になった。フランス隊八人の質問攻めに合う。
 20時50分、我々が雇ったガウチョがムーラに乗ってムーラ5頭を連れ、やっとやって来た。フランス隊にお礼(サンキュー、メルシー)を言う。心意気に感謝し急いでテントを張る。張り終えた頃はもう真っ暗、ガウチョはムーラを草のある所に止め、目の前にテントを張り枯草を集めて夕食を作り始めた。我々は夕食を作る元気がなく、湯だけ飲んで寝る。金城さんが22時頃に、道言さんも24時頃帰ってきて全員揃い、明日からの日程が計画通りに行きそうで安心した。初日から南米気質のガウチョに振り回され参った。朝食、パン、コーヒー、オムレツ、昼、ビスケット少々、リンゴ1個、オレンジ1個、夕方フランス隊よりハム、チーズ、パン、レモン、コーヒーなど。
 12月29日 晴れ 7時2度C、12時15度C
 朝7時起床、今日も良い天気である。9時15分、待ち合わせ場所を決めバラバラに出発。谷間というより川原といったほうがいい(広い所は幅1kmぐらいある)。小石のごろごろしている道を進む。はっきりした道はなく、何度か川を渡る(靴を脱いで)。また向かい風が強く、砂ぼこりが目や口に入り大変である。下山のパーティに声をかけ、「トップ!」と握手を交し登頂をたたえる。
 岩小屋に12時到着、リンゴとオレンジだけの昼食、B.Cへと進む。この辺から登りが急になり息苦しい。15時30分やっとB.Cに着く。B.Cには田原さんから話に聞いていた韓国の金さんに(二人パーティ)初めて会う。色々と日本語で話をする(金さんは日本語が上手)。昨日登頂したとかで二人は日焼けがひどいがいい顔をしていた。記念撮影をして再会を誓い別れる。ムーラが運んだ荷物を点検し、仕分けしてテント(ノースフェース1張、ダンロップ1張)を張り夕食を作る。一人調子の悪い道言さんは19時30分やっと着く。少々バテ気味の様子、夕食を食べ21時30分頃寝る。朝、パン、紅茶、ツナオニオンサラダ、昼、リンゴ1個、オレンジ2個、夜、カレーライス(牛肉)、みそ汁、コーヒー。
 12月30日 晴れ 4230m、プラサ・デ・ムーラスB.C
 今日は一日休養日でのんびり過ごす。朝食はパン、バター、マーマレード、ジャム、コーヒー、昼飯はみそ汁(ワカメ)餅2個入り、ミルクティー、夜は牛肉野菜炒め(人参、玉ネギ、キャベツ)、ライス、オニオンスープ。献立は皆で相談して決め、食事の調理は元気のある人が作る。この高さだと雪渓近くの水場までの往復が100mぐらいだが息切れがする。風邪気味(高度障害)で調子が悪い。空気が乾燥しているせいか唇が乾くしのども変である。
 13月31日 晴れ 昼テント内20度C、夜マイナス3度C
 9時30分起床、朝食をとり、行動食(オレンジ、ビスケット、水1リットル)をアタックザックに詰め10時40分出発。今日は高度順化日なのでハイキング気分でマイペースで目標5200mを目指して登る。道言さんは調子が悪く今日は停滞である。富士山のようなガレ場の斜面をゆっくり登る。5100m付近に14時15分着、風が強い。アルゼンチン隊のテント張りを手伝い紅茶をご馳走になる。他の食物は口に入らず、頭痛と吐き気で1時間余り頑張ったが、今日はここまでと下山する。笹岡さんは調子がよくどんどん登って行く。下山は雪渓を滑るが速いペースなので息苦しい、左足が痛み出してくる。17時10分B.Cに到着、疲れてテントの中で1時間余り寝る。19時頃全員集合して夕食を作る。食後、紅茶、コーヒーを何杯も飲む(水分を取ることが高山病の薬とか)。外人パーティの花火を見物。キジ場(大きな岩の陰でやる、空気が乾燥していて半日ぐらいでカラカラに乾くので臭わない、自分の決めた岩陰でいつもしていた)でキジをうちながら金星、南十字星、オリオン座と満天の星を眺める。今日は疲れた。朝食、チャーハン、ワカメみそ汁、夕食、ニンニク入りカレーライス、みそ汁、沢あん、福神漬、米飯。
 1985年元日 晴れ
 今日は正月ということで雑煮にワインで乾杯。一日中食べては寝で終る。脈拍80(東京では55)。朝食は昨日のカレーライスの残飯、漬物。昼食、白ワイン、雑煮(醤油味)サツマ芋入り(道言流)、サラダ(レモン、胡瓜、オレンジ)、コーヒー、紅茶、夕食、キャベツ、サラダ、マヨネーズ、メンマ、キムチ、牛肉、ステーキ、塩、コショウ、醤油、洋風スープ、飲物。
 1月2日 晴れ 無風暖かい
 起床8時、朝食後10時出発(金城さんは8時C1用テント、食糧を担いで出発)。道言さんは5100mぐらいまでの高度順化日、天気は最高に良く無風快晴である。調子は体全体が重く、左膝も痛く良くない。休み休みゆっくりと登る。5200mぐらいで陽射しも雪の反射も強くサングラスをゴーグルに替える。頭痛も始まり、やっとの思いでC1のテント5500mに16時に着く。声も出ずしばらく横になるが元気が出ない。頭痛もひどくガンガンである。18時30分頃夕食を金城さんと笹岡さんに作ってもらい、少々食べ紅茶をたくさん飲む。また、正露丸も飲む、就寝9時。朝食、アルファ米、もろ胡、みそ汁、フリカケ、ミルクコーヒー、昼、紅茶、アメ玉2個、干物1枚、夕食、アルファ米、フリカケ、ツナオニオン、紅茶(砂糖入り)。
 1月3日 快晴 5500m、C1 11時テント内17度C、外8度C
 朝8時起床、頭痛、吐き気、耳鳴り、胃痛と高山病の症状が全部出揃い、下山しようと思っている。10時頃金城さんはB.Cに下山、笹岡さんは元気良く高度順化のため6000mを目標に登って行く。11時頃から雪を溶かして、白湯と草加センベイ、あんずの干した物を少々、太田胃散を飲む。12時頃少々元気になったのでテントのフライを張り直す(昨夜風が強くフライの音が気になった)。下山するには左膝が痛いし、C1に停滞するには体力の消耗が激しいのではと色々と迷う。登頂はかなり難しいものとなった。脈拍96。14時30分頃笹岡さんがC1に帰ってくる、6100mぐらいまで登ったとのこと元気である。茶を飲んで雑談、高山病の症状が再びぶり返して今日下山しなかったことを後悔して寝るが苦しくてとても寝られず、体力が消耗しているのが自分でも解かる。朝食コーヒーのみ、昼食せんべい、あんず、飲物、夕食アルファ米少々、ふりかけ、コンソメスープ、(ホカロン使用)。
 1月4日 快晴 B.Cにて9時テント内7度C、外2度C。
 起床10時、頭痛がひどくすぐに下山の準備をする。笹岡さんも顔がむくみ調子が悪そう。10時30分下山、凍っているので手間どる(アイゼン未使用、手にはスキーのストック一本)。息も続かず吐き気がするが何も出ず。12時頃4600m地点でB.Cから登ってきた道言さんと金城さんに逢う。お互いに励まし合う。また世話になったフランス隊とも逢う、言葉はほとんど通じないが激励する。12時30分頃B.Cに着く、B.Cは風もなく暖かく天国のように思える。21時頃寝るが天気は下り気味で空は厚い雲が覆ってきた(ホカロン使用)。朝食なし、昼食、番茶、オレンジ、夕食カレーライス、胡瓜、キャベツサラダ、スープ。
 1月5日 雪→晴れ→雪、雷あり 9時テント内12度C
 今日は休憩日、朝9時起床、青空が見えるが10時頃に朝食、外が雪が降っているB.Cに来てから初めて天候の崩れで雪に戸惑う。C1は吹雪かもしれない。一人で暇なので寝袋に入りながら週間新潮を読みふける。B.Cの水場で初めて顔を洗う(B.Cでは朝晩歯だけは磨いていた)。B.Cにはヒバリのような小鳥もいる。朝食、昨夜残りのカレーライス、オレンジ。昼食ミルクコーヒー、日本の菓子、スルメ、ホウレン草、みそ汁。夕食ツナオニオン、アルファ米少々、スープ。下痢気味で太田胃散、正露丸を飲む。調子が悪く登頂の夢はだんだん遠のく、しかし明日はC1まで行かねばならぬ、気分が重い、風邪気味かも知れない。雲の切れ間に金星が輝いている。この美しい金星を誰かと一緒に見たいものだ、この思いを遠く日本の空に。
 1月6日 晴れ 7時外マイナス2度C
 朝7時40分起床、朝食後9時出発。昨日雪が降ったのでアイゼンとピッケルもパッキング。荷物も足取りも重い。やっとの思いで5100mそしてやっとC1着(14時45分)。C1は誰もいない、C2か頂上へ向ったと思われる。行動食を食べているとアルゼンチンのベネース君がやって来て色々と話しをする。(英語)日本語の勉強(私は山が好きです)などしたり、一緒に食事をしたり、日本とアルゼンチンの親善をはかり住所の交換をして別れる。調子が良いので16時10分C1を出発、雪渓の所に小さい虫が頑張って生きていた偉いと思った。足取りは重くフラフラでC2(5850m)に18時25分着、道言さんの出迎えを受け紅茶をご馳走になる。しばらくして金城さんが下山してくる。笹岡さんと登頂の朗報。20時40分笹岡さんもC2に到着。皆で祝福する、二人はC1に下山する。5850mの夕焼けが非常にきれいである。明日のアタックは頑張るぞと心で叫ぶ。夜明け6時30分、日暮れは21時30分、最低気温マイナス20度C。朝食、アルファ米、ツナオニオン、スープ。昼食行動食、水、せんべい、干ぶどう。夕食、ジフィーズ、天丼半分、紅茶、白湯。
 1月7日 晴れ、無風
 絶好のアタック日和、昨夜は寒くて良く寝られなかった。7時起床、昨夜の残飯にお湯を入れフリカケをかけて食べる。少々頭痛と左足全体が痛く不安である。8時40分道言さんと二人で出発。6480m地点10時50分やっと着く、足が痛く体も重い、20分休憩し水とせんべいを口にする。道言さんと合流し励まし合う、私は先に登るが休憩後は体に鉄の鎖が巻かれているように重い。一歩一歩元気だけで登る。トラバースはストック一本だけなので、キックステップで登るが冷汗ものだった。この辺りから積雪の下はガラ場で2歩登っては1歩下がるという状態で下手をすると全然登れない、これは非常に疲れる。頂上が見える頃から苦しくなり、呼吸をできる限り速くすることに専念する。写真なんて撮る余裕なし、途中金城さんと合流励ましを受けるが体がいうことをきかない。登ろう登ろうと頭が叫んでも体が動かない。頂上だと信じていたピークに14時10分頃着いてがっかり、頂上は左上にある。標高差50m距離200mぐらい。南壁が背中に切立っている狭い稜線、動かない体にムチを打って登る。苦しい思いを思う存分味わい夢のアコンカグア頂上6959mに15時20分ジャストに到着。頂上で待っててくれた金城さんと握手、頂上にいた外人4人とも握手と抱き合い喜び合う。万歳万歳万歳までやってしまった。この充実感、満足感、喜びは今まで生きてきた人生の中で最高のものだ。6959m、360度の展望台から写真をメチャメチャに撮りまくる。頂上の石をザックに詰め込んで16時30分下山開始。途中で道言さんと逢うがバテ気味で登頂は無理そう。疲れも出て下山にも時間がかかる。休み休み写真を撮りながら感無量を味わい、18時30分C2に着く。二人を待つこと2時間、来ないので紅茶を飲んでC1に下山する。夕焼けの中C1テントに着く。途中フランス隊に祝福を受ける気分は最高。21時30分金城さんがC1に着く。道言さんの話を色々と聞く、道言さんは何が何でも登ると言い、金城さんは時間がないから下山と、二人の意見が食い違いもめたらしい。結局道言さんは登頂を強引に断念させられC2に下山とのこと、複雑な気持ちでお茶を飲んで寝る。朝食、ジフィーズ少々、お湯。昼行動食、水少々、せんべい少々、甘納豆少々、粉ジュース少々。夕食、紅茶、コーヒー、せんべい、甘納豆。
 1月8日 晴れ
 起床8時、コーヒーを一杯飲んで金城さんはC2へ、私はゆっくりとパッキング、食糧、燃料等ザックへ入るだけ詰め、9時半下山開始。荷物が重く足取りも重く写真を撮りながらゆっくり下山。ザックに入らないのでみんな着込んだものだから途中から暑くて暑くて参った。やっとの思いで楽園の地、B.Cに戻った。笹岡さんと固い握手を交わす。雑談に花が咲く。気持ちに余裕が出てきて残り少ない食糧をあさり、今日は食べることに専念する。サラダ油でニンニク、アルファ米、サツマ芋、玉ネギ等を揚げて食べる。中々旨かった。夕食は金城さん、道言さんも下山して賑やかな夜となった。南十字星が輝いていたので写真撮影を行う。朝食、コーヒーだけ。昼食、フライもの、ポタージュ。夕食、キャベツカレーライス、乾燥ホウレン草のおひたし、ドライフーズの小松菜、餅入りみそ汁。
 1月9日 晴れのち雨、霰、雷
 テントに陽が当り暖かくなる時間に起床。頂上付近にレンズ雲がかかり天候は下り気味。お茶を飲んでいるうちに金城さんと道言さんの話し合いがついたらしく(道言さんだけ登頂していない)、急遽B.Cを撤収し下山ということになる。打ち上げ用の赤ワインを飲んで撤収パッキングするが、酔ってしまい全然はかどらない。昼近くになりやっとパッキングが終る。荷下げもムーラに頼る。記念撮影をしてメンバーはバラバラに行動。金城さんはC1撤収に、道言さんはムーラに騎乗して下山、笹岡さんは先に下山、私は腹ごしらえしてから12時40分下山開始。13時半頃から霰が降り出し雷鳴がひどく恐ろしいものだ。コウモリガサをさし、霰で白くなった登山道を急いで下る。川原は登ってきた時よりも増水しており渡渉が多い。1回目は靴を脱ぐが後は面倒になりジャブジャブと浅い所を選んで渡る。水は冷たく靴の中はグチャグチャで寒い。難所の大きな川の渡渉の所(初日のキャンプ地)に17時半頃に到着。皮は赤泥の大怒濤に荒れ狂っていてとても渡れそうもない。見ると向こう岸で外人がここから飛べとジェスチャーする。近くに行くと石の陰に雨に打たれてうずくまっている笹岡さんを発見、川音がうるさくて話が良く解からないが動けない様子だ。川幅の狭い石から石に飛び降りたらしい。落差3m幅3m、雨が降っていて足場も悪く、私は飛び降りるのを止め後続の金城さんを待つことにした(私は近くのムーラの群れの親方にジェスチャーで怪我人がいるから来てくれと伝えるが、全然通じなく諦める)。20時頃金城さんが来て一緒に下流に行き簡単(川に大岩が2個くっついている)に渡り、笹岡さんの所へ。笹岡さんは笑顔を見せるが顔は青白く、私が見た感じでは骨折だと思う。私のマット、シュラフ等笹岡さんに渡し、20時20分下山(金城さんの命令)、暗くなるので急いで下る。途中から真っ暗となる、ここの登山道の途中には軍隊(騎馬隊)が駐留しているので、銃で撃たれるのではないかと心配しながら遠回りの車道を歩く。星がきれいである、天の川に南十字星を見ながら歌を唄ったり、口笛を吹いて暗闇の恐怖感を紛らわす。国道に出ると気持ちも楽になる。ホテル着23時5分、道言さんは先に着いていて夕食を共にする。ワインを飲みすぎ酔った。シャワーを浴びているうちに気持ち悪くなり全部吐いてしまった。あーステーキがもったいない。
 朝食、コーヒー、パン、ジャム。昼食行動食、ビスケット。夕食ホテルにてステーキ、パン、ワイン。
 1月10日 晴れのち雨
 9時半頃起床、足にマメができ痛い、胃の調子も悪い。朝食を食べまた寝る。泥だらけの靴とWヤッケを洗濯して干す。13時頃金城さんと笹岡さんが到着。急いでメンドーサへ。暑い夏の日がよみがえり、メンドーサは真夏である。バスターミナルからタクシーでホテルへ、笹岡さんはすぐ病院へ入院。果物を沢山買い込んで部屋で道言さんと食いあさる、皆旨い。シャワーを浴びるが汚れがひどく中々きれいにならない、ヒゲを剃りサッパリする。今日の夕食は以前皆で行ったピザ専門店へ行くが、23時ごろだというのに満員である。
 1月11日 晴れ 気温28度C
 朝、金城さんに笹岡さんの症状を聞くとやっぱり骨折とのこと、笹岡さんもこんなに遠くまで来て大変だと思う。昼頃一人街に出て飛行機の予約に行くが、道を聞くのも航空会社で予約するのもスペイン語にはお手上げだ。それでも何とかなった。ホテルに戻ると笹岡さんが来ておりびっくりする。何でも地元の医者はすぐ手術をしたがり、ヤブなので(地元の日系人の話)急いで退院したとか。4人で一緒にタクシーでスパゲティの有名な店へ行く、立派な造りで我々の服装とは釣り合いが取れないが入る。料理はボリュームがあり、メンの上に鳥の1/4が焼いて乗せてある。サラダも旨い、腹一杯に食べて夜8時まで昼寝をして夕食はアルゼンチン料理の「パリジャーダ」を食べに行く。21時ちょっと早いせいか誰もいない。ワインで乾杯サラダ、パン、牛肉、鳥肉、羊肉、内臓の炭火焼、皆旨いというがやはりボリュームがあり過ぎる。コーヒー、アイスクリーム、ケーキとフルコースで一人日本円1500円ぐらいと安い。最後の打ち上げパーティも終わり、明日はバラバラになる。
 1月12日 晴れ
 朝9時半頃ホテルで食事をしながら雑談、10時金城さんと笹岡さんを見送る。二人はメンドーサからバスでチリのサンチャゴへ、そして日本へ帰国するそうである。道言さんはアルゼンチンを明日から2週間程一人旅、私は18時道言さんに見送られ一人でブエノスアイレスへと旅立つ。当地でボリビア、ブラジルのビザの発給を受け、トレレウでセイウチやアザラシ等を見物、パタゴニア、カラファテで大氷河を見に、そしてアルゼンチン最南端の町ウシュアイアへ、それからブラジルのイグアスイ滝~リオデジャネイロ~サンパウロ~イグアス~ポグランデ~ボリビアのサンタクルス~チチカカ湖~ペルーのプノ~クスコ~マチュピチュ~クスコ~リマと南米各地を珍道中して、2月21日に帰国。色々とあったが楽しいことだけ思い出される。今度の旅で人と人とのふれあいの素晴らしさ、より深く知り得たものは大きかった。6月5日現在高度障害の後遺症で時々耳鳴りがあり、これから高い山へ登る人は注意のこと。ツアー代個人負担金998,000円、登山中以外の食事代含まず、と高いです。アコンカグアへ行きたい人は私が色々とアドバイスします、個人でも行けますから安く満足のいく登山ができると思います。私の次の目標はアラスカのマッキンリーです。みなさん夢は大きく持ちましょう。
 なお笹岡さんはまだ自宅で療養中です。以上でアコンカグア登山記の報告を終ります。


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