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春山合宿
その1 剣の十日間
金子 隆雄

山行日 1985年4月27日~5月6日
メンバー (L)金子、湯谷、田原、小泉、山田

 4月26日夜、大勢の人達に見送られ、先発隊として田原氏、ユーさん、チカちゃん、仁恵ちゃん、それと私の5人が新宿を出発した。臨時列車だからかそれとも時期が早いからかずいぶんすいている。仁恵ちゃんは早々と座席の上の部分を床に降ろして丸くなって寝ている。八王子でしばらく停車中にオジサン、オバサン、若いカップルがかわるがわる窓に近づいてきては、シゲシゲと仁恵ちゃんのことを見ている。そんなことは少しも知らず彼女は夢の中だ。酒を飲んで話をしていたらオッサンに怒られたので寝ることにする。

 4月27日 雨のち晴れ
 大町駅からタクシーで扇沢まで行きそこからトロリーバスで黒四ダムまで行く。内蔵助平方面への出入口は閉ざされているので展望台まで登り、そこから雪の斜面をトラバースしてから黒部川へと下りて行く。天気は雨一時雪になったがすぐ又雨となる。天気が悪いと気分も暗くなってしまう。途中みんなが『丸ちゃん』と呼んでいる丸山の東壁の下を通って行くが、圧倒的なスケールでそびえ立っており、いつか登ってみたいものだと思いながら通り過ぎる。いつでもそうだが入山日は体が慣れていないのでつらい。荷物も重く、もんくタラタラ言いながら歩く。午後になって雨があがり、あっという間にドッピーカン。こうなりゃ気分も晴々ルンルンランランだ。内蔵助平あたりで田原氏は足の調子が悪くなりつらそうだ。内蔵助平からハシゴ谷乗越までは10分歩いては10分休むという調子でチンタラ歩く。やっとの思いでハシゴ谷乗越に着く。
 乗越の上に立つと源次郎尾根、八ッ峰のⅠ峰、三ノ沢などが目の前に見える。とうとうやって来たんだ、オオ我憧れの剣よ・・・。ここからは尾根をトラバースし、一旦尾根上に出てもう一度トラバースしようとしたが雪の状態が悪いので遠回りだが沢通しに行くことにして、ザックを先に下へころがし空身でシリセードで下りる。この時ザックの中からホエーブスがころがり出しバラバラに飛び散ってしまって、あわやというところであったが幸いに全部回収する事ができた。ここでだいぶ時間を費やしてしまい真砂の台地に着いたのは17時30分だった。ここにベースキャンプを設営する。

 4月28日 快晴
 当初の予定では二つのパーティに分け長次郎谷、源次郎尾根からそれぞれ剣本峰へ登り平蔵谷を下りるはずだったが、田原氏の足の調子が回復しないので全員で長次郎から登ることにした。5人で出合いまで来たが田原氏はこれ以上は無理ということで、出合いで別れ4人で本峰を目指す。昨日から調子の悪そうだった仁恵ちゃんがついに熊ノ岩を過ぎたあたりでギブアップ。湯谷、小泉の両名はそのまま登り、私と仁恵ちゃんはB.Cへ帰ることにした。時刻は11時30分、2人と別れて長次郎谷を来たときと同じルートでB.Cへ。B.Cで日向ぼっこでもしながら2人の帰りを待つことにする。眠かったのでしばらく寝て目が覚めたら16時、2人は帰っているかなと思ったら未だ帰っていない。どこで道草をくっているんだろうと思っているうちに17時になった。これはちょっとおかしいと思い平蔵谷の出合い辺りまで行ってみることにした。田原氏と仁恵ちゃんはテントに残り夕食の仕度をしてもらい、独りで平蔵谷の出合いまで来たが見当たらない。平蔵谷は人が歩いた跡が全くない。そのうちに田原氏もやって来て、暗くなるまでその辺で待ったが帰ってくる様子もない。暗くなってしまったのでB.Cで待つことにして帰る。21時とうとう帰ってこなかった。天気は快晴、どう間違っても帰ってこれない条件ではない。重苦しい空気がテントの中に漂う。何かあったのかもしれないが今日はもうどうしようもないので、明日朝から捜しに行くことにして今日はもう寝てしまうことにする。

 4月29日 晴れ
 今日は、昨日帰ってこなかった2人を探しに行くことにする。仁恵ちゃんは今日下山しなければならないので、長次郎谷の出合いで10時まで待ってもらい、10時までに我々が下りてこなかったら独りで下山してもらい、室堂で東京に現在の状況を連絡してもらうことにした。
 田原氏と私で平蔵谷~本峰~長次郎谷と湯谷・小泉パーティと逆のコースで捜したが何の手掛かりも得られず事態はいよいよ深刻になってきた。もしかしてB.Cへ帰っているかもしれないと、わずかな望みをかけてB.Cへ帰ってみたがいない。もうだめだ絶望だ。頭の中をいろんな事が駆け回りグシャグシャになり思考能力が止まってしまったようだ。とりあえず室堂まで行き、東京へ連絡し皆に集まってもらい今後の対策を練ろうということでB.Cを出た。(実際はこの時点では既に湯谷さんが東京に電話して無事であることは皆しっていて知らないのは我々2人だけという状況だった)B.Cを出発して10分ほど歩くと向こうからユーさんがひょこひょこ歩いて来た。田原氏「バカヤロー」、ユーさん「スイマセン」、田原氏「酒買ってきたか」、ユーさん「ビール買ってきました」、田原氏「よし許してやる」。こうして今回の事件は落着したのだった。話を聞いてみると、平蔵谷と東大谷とを間違えて東大谷側へ下りてしまったとのことだった。なんにしても無事でよかった。

 4月30日 晴れ
 予定より一日遅れであるが私とユーさんで八ッ峰を登り三ノ窓まで行くことにする。田原氏はとても一緒に行ける状態ではないということで一日早く、今日下山することになった。昨日無理をしたので悪化したのではないかと思う。八ッ峰は三ノ沢から取付くことにし、出合いのデブリの中を登り始める。下部は日が当たっていないので雪が締って歩きやすいが、上部はもう日が当たっているので状態は悪そうだ。出発した時間が遅かったにもかかわらず先行パーティは全然いない。三ノ沢はけっこう長く、傾斜もだんだん強くなってきて少々バテてしまう。上部は雪が腐り始め、おまけに所々亀裂が走りいやな感じなので途中で三稜へ上がることにする。三稜へ上がるときにシュルントに足を突っ込みその拍子にバランスを崩し頭が下になったまま身動きがとれなくなった。雪に差したピッケルでどうにか滑り落ちるのは食い止めているが生きた心地がしない。ジタバタしながらどうにか抜け出した。取付いてから約5時間、時間がかかりすぎている。Ⅱ峰の手前で這松の根っ子を支点にしての懸垂下降。このときはこの支点大丈夫かな怖いな、などと思いながら下りたが、この先にもっと恐ろしい懸垂下降が待っていようとは夢にも思わなかった。Ⅱ峰は巻いて行くべきところが登ってしまった。登るとⅢ峰へは下りられないので長次郎谷側の急な雪壁を慎重に下りて、Ⅲ峰へトラバースする。この時間になると雪はグザグザでまるでシャーベットの山を登っているようだ。Ⅱ峰・Ⅲ峰は三ノ窓側に雪庇が2mぐらい張り出している。Ⅲ峰の下りもなかなかいやらしい。
 いよいよ恐怖のⅣ峰の懸垂下降。ここの支点は竹ペグを2本雪に差してそれにスリングを掛けてあるだけだ。雪が融けて竹ペグが半分顔を出している。「これ大丈夫かな、怖いな」と私、ユーさん「大丈夫ですよ僕が先に下りますよ、なんか首実験みたいですね」と言ってユーさんが先に下りた。支点をじっと見ていたらスリングが外れそうになって慌てて押さえる。しばらくすると今度は竹ペグが浮き上がってきた。これはいかんと必死で押さえる。私の番であるがこのままではどうにも怖くてしょうがない。竹ペグを掘り出して深く埋め直したがそれでも怖いのでクライムダウンしながら懸垂してなるべく支点に荷重をかけないようにして下る。V峰からⅤ・Ⅵのコルへの下降は懸垂3ピッチで下りた。下降用の支点はピナクルにあるのが見えるが、そこまでがすごいナイフ・リッジになっていて緊張させられる。Ⅴ・Ⅵのコル着15時30分。無理をすれば今日中に三ノ窓へ着くことはできるだろうが、雪の状態が非常に悪くなってきているので今日はここでビバークすることにする。今日は登り始めてから誰にも会っていない。三ノ沢を登っているときⅡ稜に人影が見えただけだった。

 5月1日 晴れ
 週間天気予報では今日あたり天気が崩れるということであったが、予報は見事に外れて今日も晴れていた。八ッ峰も残すところⅥ・Ⅶ・Ⅷの三峰だけだ。Ⅵ峰は出だし岩が露出しているがすぐに急な雪壁になる。Ⅶ峰はいつのまにか通り過ぎてしまった。Ⅶ峰の下降は懸垂。ここはしっかりピンが出ている。Ⅷ峰はアンザイレンして急な雪壁をクライムダウン。三ノ窓へは懸垂2ピッチその後少し下ると三ノ窓だ。三ノ窓着8時50分意外と早く着いた。ここは遠くから見るとさほどでもないが実際にここに立ってみると、その名の通りの窓だ。窓と表現するのにピッタリの所だ。
 テントを設営し、これからチンネ左稜線を登りに行くことにする。天気も良いし時間もたっぷりとある最高だ。チンネへは3ピッチ目のバンドから取付く。出だしのピッチは雪が付いていないが雪融け水が流れておりビショビショに濡れている。アイゼンを付けていると登りにくいので外して腰にぶら下げて登る。
 続く次のピッチはピナクルの裏側が凍っており、アイゼンを付けていなかったのでなかなかシビアだった。このピッチを終了したとき、雪に差してあったユーさんのアイスバイルが私が雪をふんずけたため、登って来たのと反対側のルンゼの中へ落ちて行ってしまった。回収は明日にすることにしてこのまま登ることにする。5ピッチ目は乾いた岩を快適に登る。6ピッチ目は雪稜。7ピッチ目は這松混じりの脆い岩。ここからは雪は全くなくなり夏と同じ感じで登れる。T5から人工A1とフリーのミックス1ピッチでハングを越える。人工はピトンがベタ打ちなので楽に行ける。ハングを越えてからはピナクルを何個か登り降りするとチンネの頭に出て終了。取付いてから終了まで7時間、この間休まず、飲まず、食わずだったが不思議と疲れたとか、喉が渇いたとか、腹がへったとかは感じなかった。このルートは壁を登るというようなものではなく、全てリッジ通しに登るので気分爽快で楽しいルートだ。三ノ窓のテントへ帰るため急なルンゼを下降中、アイゼンが団子になって滑ってしまった。このまま池ノ谷まで落ちてしまうのかなと思ったが20mほど滑って止まった。冷や汗ものだった。

 5月2日 晴れ
 今日は昨日チンネを登っているときに落としたアイスバイルの回収に費やした。落としたときは三ノ窓まで落ちて行ったと思っていたので雪渓を捜したが見つからない。途中に引っ掛っているのだろうということでもう一度登ってルンゼを下降して捜すことにした。一旦、三ノ窓のテントまで帰って登攀用具をつけて出直した。昨日登ったルートは登らずに、右隣にあるルンゼを登れば1ピッチで行けるだろうということで、ルンゼを登ることになった。抜け口が垂直に近い氷瀑になっている。ユーさんがトップで登り始めた。もう少しで抜けるというところで墜落。左右の壁にぶつかりながら転がり落ちてきた。約6~7m落ちて止まった。やはりシングルアックスでは無理のようだ。幸いカスリ傷程度で済んだが、一時はどうなることかと思った。「バイルの回収は諦めるか」と言うと「金子さんさえよければ行きますよ」と返事が返ってきた。なんというガッツだろう。ルンゼの登攀は断念して正規のルートを登ることにしたが、もたもたしている間に他のパーティが取付いてしまい、順番待ちのためしばらく日向ぼっことなった。1時間ほど待っただろうか、やっと先行パーティのセカンドが登りだす。昨日バイルを落としたルンゼに着いて、ハーケンを2本打ち込み支点を作り下降する。このルンゼは狭くて急だ。40mいっぱい下降した所にバイルはあった。わざわざ登ってきた甲斐があったというものだ。ルンゼを登り返し懸垂で下りたが、ザイルが途中で引っ掛かり回収できなくなった。また登る羽目になった。いったい何回同じ所を登ればいいのだろうか。3回目ともなると何処にどんなホールドがあるかすっかり解ってしまう。
 三ノ窓に戻りテントを撤収し三ノ窓雪渓をシリセードで下る。シリセードというよりもデブリに押し流されているような感じだった。ベースキャンプに帰り着くと台地はずいぶんと雪が融けて、テントを固定してあった竹ペグなどは全部露出している。よく飛ばされなかったものだ。先に帰った人達が残していった食料が沢山あったので今夜は豪勢な食事ができそうだ。でも酒が無いのがちょっと寂しい。

 5月3日 晴れ
 今日は後発隊をハシゴ谷乗越まで迎えに行く他は特にすることもないのでゆっくりと起き、外にマットを持ち出しまた寝る。11時30分にトランシーバーの交信があるので10時半ごろ思いこしを上げてハシゴ谷に向かう。11時30分に交信を行ったとき後発隊は蔵内助平にいたがここからは見えない。それから1時間ほどしてから歩いているのが見えた。蟻の様にゾロゾロとつながって歩いているのが見える。
 この頃になると続々と登山者がやってくる。テントの設営場所を確保するためユーさんが一足先にB.Cに帰った。私は下まで迎えに行くことにする。私の顔を見て皆が最初に言ったことは「ワー汚い」、「人間じゃない」、「病気だ」などなど。覚悟はしていたもののひどい言われようだ。それまで静かだった真砂の台地も三峰軍団の到来により急に華やかになった。付近のテントにいた人達はさぞかし驚いたことだろう。今日は久しぶりに旨いものが食えるだろう、酒も飲める。後発隊様々である。宮川さんがやって来た。小屋跡にテントを設営したそうだ。今日、源次郎尾根を登るつもりだったが登れなかったので、明日我々と一緒に登りたいということで明日の打合わせをして帰っていった。明日は源次郎隊、八ッ峰隊は早起きなので今日は早めに寝ることにする。

 5月4日 快晴
 今日は長次郎隊、源次郎隊、八ッ峰隊、別山尾根隊と4パーティに分かれて剣本峰の集中を行う。私は宮川さん、ユーさん、宮川さんの会社の平林さんと一緒に源次郎尾根から登ることにした。源次郎隊と八ッ峰隊は2時起床、朝食もそこそこに八ッ峰隊は我々よりも先に出発した。我々もすぐに後を追うようにB.Cを出て、途中で宮川さん達と合流して長次郎谷の出合いへ向かう。辺りはまだ真っ暗だ。出合いで写真を撮ったが、合宿から帰って出来あがった写真を見たら、闇に浮かんだその顔は異様で恐ろしくなってくる。
 源次郎尾根は末端から取付き、雪のある所を選んで登る。昨日ビバークしたらしいパーティがつけたらしいトレースがあり割と楽に途中までは行けた。
 八ッ峰を登ったとき出発が遅れて怖い思いをしたので今日は早く出発してよかった。雪は締っていて快調なペースで行ける。I峰直下に差し掛かり傾斜もきつくなってきたのでダブルアックスを使う。シングルでも十分だがダブルの方がスピーディに登れる。私がダブルアックスで登っているのを見た宮川さんはダブルでなきゃ行けないのかと思わずハーケンを手に握ったそうだ。
 Ⅰ峰で1回目のトランシーバーの交信を行う。別山尾根隊とは交信できたが、八ッ峰隊とは交信できなかった。1峰を越えてしまえば後は楽だ。おまけに別山隊がビールを買ってきてくれるという。予期せぬ贈り物に益々力が湧いてくる。2回目の交信で八ッ峰隊と交信できた。あまりよく聞き取れないがⅠ峰にいるみたいだ。割と難儀しているみたいだ。Ⅱ峰の下りで懸垂しようとしたときスノーバーを発見。戦利品として持ち帰る。源次郎でザイルを使ったのはこのⅡ峰の懸垂だけだった。Ⅱ峰を越えてほどなく頂上到着。我々が一番乗りのようだ。
 頂上でマットを広げのんびりと他のパーティを待つことにする。それにしても今日は格別暑さが厳しい。じっとしてると顔が焦げてくるようだ。1時間に一度トランシーバーの交信をしているが、3回目の交信のとき八ッ峰隊はⅢ峰にいた。その後は何回交信してもⅤ峰から動いていない。懸垂の順番待ちのためらしい。
 別山隊がやって来た。ほどなく長次郎隊もやって来た。八ッ峰隊だけが来ない。残念だが頂上は諦めるとの交信内容だった。担ぎ上げてきたスイカを食べ、ビールを飲んで写真を撮り下りにかかる。帰りは平蔵谷を一気に下までシリセードで下りる。長次郎谷の出合いで弘道ちゃん、誠ちゃんと合流。皆さんお疲れさんでした。

 5月5日 晴れ後雨
 今日は朝起きられなかったので仙人山隊と行動を共にすることにした。メンバーは女性全員と川又、吉岡、大久保それに私だ。
 入山以来ずっとしんどいルートばかり登ってきたので少々疲れぎみなので、仙人山はのんびり歩くにはちょうど手頃だ。近藤岩付近で地図を広げ皆でああでもないこうでもないと一通りやってから登り始める。登り始めたらあっという間に着いてしまった。頂上は風が強いが裏から見た剣岳は又格別だ。
 ここまで何しに来たかというとシリセードをやりに来たようなものだ。小窓雪渓へのシリセードはスピードがのり楽しい。三ノ窓尾根を登り敗退して下りて来た植村さん達と合流し一緒に下りる。途中近藤岩でちょっと遊んでから帰る。夕方からポツリポツリと雨が落ちてきて、夜半には風もでてきた。テントの中にいると少しの風でも凄い音に聞こえるものだ。入山以来ずっと晴天が続いたがそのお返しが一度にきたようなものだ。雨や風の音を聞きながら寝るのもまた楽しいものだ。

 5月6日 雨
 今日は下山日。雨の中をベースキャンプを撤収し下山を開始する。入山した時とは谷の様子がまるっきり変わっている。入山から10日も過ぎているし、おまけに晴天続きだったので無理もないことだが。内蔵助谷出合いでは崩れそうなスノーブリッジを冷々しながら渡り、ダムへの急な登りで大汗をかいてやっと黒四ダムに着いた。
 温泉で10日間の垢を落としサッパリする。長いようであっという間の10日が過ぎた。
 さらば剣よ、また来る日まで。

〈コースタイム〉
4月27日 黒四ダム(8:40) → 内蔵助平(12:40) → ハシゴ谷乗越(15:15) → 真砂台地(17:30)
4月28日 B.C発(5:50) → 長次郎谷出合(7:10) → 熊ノ岩の少し上(11:30) → B.C(13:15)
4月29日 B.C発(5:50) → 平蔵谷出合(7:00) → 剣岳(11:00) → 長次郎コル(11:30) → 長次郎谷出合(12:00) → B.C(12:40)
4月30日 B.C発(5:30) → 三ノ沢出合(5:40) → Ⅰ峰(10:45) → Ⅲ峰(12:20) → Ⅳ峰(13:10) → Ⅴ峰(14:15) → Ⅴ・Ⅵのコル(15:30)
5月1日 Ⅴ・Ⅵのコル(5:30) → Ⅵ峰(6:30) → Ⅶ峰(6:45) → Ⅷ峰(7:15) → 三ノ窓(8:50) → チンネ取付き(10:00) → チンネの頭(17:00) → 三ノ窓(18:00)
5月2日 三ノ窓(7:15) → チンネ取付き(10:00) → 三ノ窓(14:00) → B.C(16:40)
5月4日 B.C発(3:20) → 源次郎尾根末端(4:30) → Ⅰ峰(6:30) → Ⅱ峰(8:05) → 剣本峰(9:40)

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