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浅間尾根(追悼山行)
野口 孝司

山行日 1985年5月12日
メンバー 宮坂、堀田、野口、渡辺(恵)、藤居、堀口、向井

 生前、鈴木竹次郎氏と浅間尾根を縦走しようと約束があったが、今となっては空しいものとなってしまったので、特に親しかった熟年者同志を集めて追悼山行を行なうことになった。
 男性3名、女性4名の仲間は、新宿発の快速奥多摩号で五日市駅下車、小岩行きのバスに乗り遅れたので数馬行きに乗車、約1時間で浅間尾根登山口下車。少し戻り登山道入口の橋の手前でレッカー車が作業しているので何事かと見物の仲間に入ってみると、マイカーがカーブを曲り切れずガードレールを突き破って約50m下の南秋川に落ちたのを引き上げているとのことであったが、谷が深く樹木が茂っているのでその車は見えなかったが、この道路は数馬から先が奥多摩有料道路となっているので車の通行量が多く、ことに単車の転落事故が度々あるとのことである。
 登山道は南秋川を赤く塗った橋を渡って行くが、奥に民宿が2件ほどあるので道は舗装されていた。やがて山道に入り登りにかかりしばらくすると、ヤゾー(宮坂氏)の歩調が乱れがちになり遅れ出すので、重い荷物を移しかえて軽くしてやったが、体調は依然として思わしくない。彼は竹さんが「おいで、おいで」をして足を引っ張るので歩けないと言い訳をしていたが、「そのための追悼山行だ、甘ったれるんじゃないー」と気合を入れたが、これが効いたのかザックが軽くなったのか、まあまあの距離でついてきた。いつも竹さんと山行すると必ずと言ってよいほど雨が降るというジンクスがあったが、今日は快晴、御前山、三頭山、大岳山、遠くに雲取山などが良く見える。途中何度か休憩を取ると尾根に出て平らな歩きよい道となり、立札に森林浴コースと記されていたが、成る程と思われる良い尾根で、背伸びをしうまい空気を一杯吸いながらのんびり歩きました。
 浅間嶺の頂上で昼食を予定していたが、時間が大分過ぎていたので人里(へんぼり)への分岐のところでベンチがあったのでここで昼食にすることになった。早速、途中で採った山菜や持って来た野菜でテンプラと豚汁の料理が始まった。先ず竹さんの冥福を祈って乾杯、ビールとウィスキーと次々に出てくるテンプラで舌鼓をうっていると、突然ヤゾーが「この天ぷらには刺があるぞ」と言いだした。「何言ってるのよ、それはタラの芽よ」「そうがどうりで旨いと思った」なぞと賑やかなこと。酔いが回ってきたところで提案が出た。「宮坂さんを甘やかさない会を作りましょう。会長は野口さんよ」ときた。これは裏を返せば「野口さんが良く面倒を見るのよ」と解釈したい。
 それはさておき、またまた帰りの下山に甘やかしてしまった。それは昼食で飲んだ上に天ぷらと豚汁で鱈腹食べた上に、堀田さん持参の大きいメロン2個のデザートと水ようかんなどを食べたので、下山にかかった途端に気分が悪くなり戻しそうになったので、背中をさすったり、叩いたり介抱してザックを取り上げて空身で歩かせた。ところがこれがジェスチャーとは思いたくないが下りの速いこと、こちらはザックを2個背負ってついて行くのが精一杯であった。会長になって直ぐこのように甘やかしてしまったので辞任しなければならないと思ったが、これも昔からの腐れ縁か、まあ先輩を大事にしましょう。
 帰路は予定を変更して浅間神社の祠のある所より下りにかかり、人里の部落に着きバスの時間が大分あるので歩きながら、途中の赤電話で本宿のハイヤーを頼み、五日市より順調に乗り継ぎ無事帰宅しました。


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