トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ254号目次

白馬主稜行
湯谷 茂樹

 3月26日~29日の予定で、植村、千代田、湯谷の3名は白馬主稜を抜け、南へ縦走し八方尾根を下り白馬に下山する予定であったが、予定は予定にしか過ぎなかった。
 3月26日、我々が白馬駅に降りた時は雨だった。昼前まで駅で寝る。宮崎大のパーティと共に二股まで行く。まだ日は高いが猿倉台地に雪洞を掘る。3時間以上も掘っただろうか、完成した時には日が沈んでいた(教訓1)。
 3月27日、天気予報は雨だが空を見ると暫くもちそうなので、八峰台地まで上がろうと行動を開始する。しかし、1時間もしないうちに雨が降り出す。おまけに取り付く尾根を間違ってしまった(注1)。八峰台地での設営はあきらめて、その手前の斜面に雪洞を掘る。とにかく濡れねずみで寒いことこの上ない。
 3月28日、朝、ちょっとしたハプニングがあり出発が遅れる(教訓2)、ゆえに雪は腐り歩きにくい(教訓3)。八峰直下の雪壁は今にも壁全体が壊れそうで恐ろしい。五峰直下にビバークサイトを作り濡れ物を干す。この時、同僚のミトンとゾウ足が片方ずつ飛ばされる(教訓4)。
 3月29日、13時頃頂上に立つ。頂上直下の雪壁は結構傾斜もあり、雪崩の不安もあって緊張した。雪壁下部で三人がつながったまま同時に登り出したのであるが、全く無確保状態であり恐ろしくてしょうがなかった。トップを行くリーダーはそのような行動を予想しておらず、無謀な行動だったと反省している。日程、天候状態から判断して栂池方面への下山も考えられたはずであるが、八方尾根下山のことしか頭になかった(教訓5)。杓子岳へのトラバースに差し掛かった辺りからガスが湧き始め、どんどん視界が効かなくなってきた。杓子沢のコルから西側に50m位下った大岩の間の吹き溜まりに雪洞を掘る。ある程度閉じ込められることを予想し、中でツェルトが張れるぐらいのものを作る。燃料と食糧の残量を確認し、停滞の見通しを立てる。以降、80時間停滞。その間、周遊券の期限が切れショックを受け、また大学の留年がほぼ決定し1年余分に勉強させてもらえることを山の神に感謝し、千代田さんのお尻が温かく快眠する。
 4月1日、この日こそ晴れるはずであった。しかし、朝から何度外を見ても吹雪である。昼ごろ少し天気が回復したので行動を再開する。稜線に出ると風が強く地吹雪のようn状態であった。時折雲が切れ下界が見える。下は晴れているようだった。この天気では不帰の通過は無理という判断で、雪洞を掘り始めるが視界が一瞬開けた時、すぐそばに天狗山荘が見えたのでそこにツェルトを張る。弘前大のパーティが先に天幕を張っていた。
 4月2日、朝早くヘリコプターが飛んできた。おそらく僕らを捜しに来たのだろう。自分たちがいわゆる「遭難」という状況にあることを認識させられ気が重くなる(教訓6)。不帰二峰通過では弘前大のフィックスを使わせてもらう。途中チョコレートなども分けてもらう。頭上を飛ぶヘリコプターの窓に会の仲間の顔を見た時、感謝の気持が胸にこみ上げてきた。唐松では小屋の人が待っていてくれ共に下山した。第一ケルン付近で川森、中沢、吉岡氏らと合流。多くの人々に心配かけたが、三人は無事自力で下山できました。

教訓1. 雪洞は平地に掘ると疲れます。
教訓2. 雪の上、ピッケル刺さぬとザックは滑る。
教訓3. 春の山、早く発たぬと雪は腐ります。
教訓4. お山では風に用心、装備が飛ぶぞ。
教訓5. さあ稜線、地図、空、日にちをもう一度確認。
教訓6. 雪の山、持って行きましょ携帯無線機。
注1. 猿倉台地から白馬岳を眺めた時に目の前に見える尾根は杓子尾根で主稜ではない。主稜に取付くには猿倉から夏道を白馬尻に向った方が良いように思われる。

 最後に、今回の遭難事件に際しては会の皆さんにご心配をおかけし申し訳ありませんでした。とりわけ、忙しいお仕事を持ちながら、仕事をほっぽり出して現地に駆けつけて下さった皆さん、大変ご迷惑をおかけしました。本当にありがとうございました。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ254号目次