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白馬主稜~唐松岳~八方尾根
植村 隆二

山行日 1985年3月26日~4月2日
メンバー (L)植村、湯谷、千代田

計画と準備
 初めから白馬主稜に行くと決めていたわけではなく、当初は3月の例会として鹿島槍方面(後立山)にとなっていた。私の個人的理由で中止とし、変って3月末に1週間休みが取れるので、湯谷、千代田両君と共に雪稜登高のルートということで、白馬主稜より唐松岳への縦走ということにした。白馬主稜は頂上より一気に白馬尻まで落ちる長大なスノーリッジであり、技術的困難さというより、体力、雪質如何のルートである。期間は3月26日~31日迄の5泊6日(予備日2日)の日程で行動計画は次の通りであった。
3月26日 白馬駅~猿倉台地~主稜八峰付近
3月27日 八峰付近~主稜~白馬岳頂上
3月28日 白馬岳頂上~不帰~唐松岳
3月29日 唐松岳~八方尾根、下山
3月30日~31日 予備日

行動概要
 3月26日 雨後晴れ
 5時30分、白馬駅着。10時10分~10時40分二股、13時10分猿倉荘~14時10分~17時10分、猿倉台地にて雪洞作成。
 白馬駅に着いた時も雨は止んでいなかった。天気予報では昼までには回復するとのこと、しばし駅で晴れるのを待つことにする。我々の他に入山パーティは2組。主稜へは我々だけである。10時頃雨も上がり白馬の稜線もかすかに見えたので、同じ猿倉まで入る宮崎大パーティ(杓子岳双子尾根に向う)と共にタクシーで二股まで行く。二股ではまたポツポツ雨が降ってきたが、バス通りを猿倉まで歩き出す。除雪されているのは途中までで、ラッセル車を追い抜く頃には春の陽射しに大いに汗をかかされる。
 猿倉荘から今日のキャンプサイトの猿倉台地目指して連休のものと思われるトレースを30分位進むと、広々とした台地状に出た。ピーカンの陽を背に周りの雪をまとった白馬の稜線が明日からの登高意欲をかきたてる。主稜八峰まで登りたかったが、この陽気と昨日までの雨が雪の状態を悪くしている中を大雪渓を越えて雪崩道を行くこともないと駅で決めたように今日はここまでとする。湯谷、千代田両君とも雪洞生活をしたことがないので雪洞作りの練習をする。台地なので横穴式が掘れず縦穴式になる。雪が硬く倍の時間がかかるが掘りにくいので良しとする。
 3月27日、曇り後雨
 6時30分CS発~8時雨になる~11時30分~13時行動中止、雪洞作成。
 4時起床、外を見ると星もあり稜線もはっきりと見える。が天気予報では100%雨。どうするか迷ったが、行動を八峰ピークに上がるだけとし、早朝締まった雪を利用すれば2・3時間もあれば着けるはずと行くことにする。出発が6時30分と遅くなったが、まだしばらくは持ちそうだと思われた。台地より長走沢、大雪渓をトラバースして白馬尻を八峰に取り付くのであるが、いかんせん1時間もするとガスが出てきてルートが判然としなくなる。何せ白馬は初めてだし雪原となっている今は磁石だけでは何ともしがたい。自分達が今雪崩の危険性が高い真っ只中にいることが判っているので、なるべく早く尾根に上がりたい心理が主稜にしては変だと思いながらピークを登りつめている。案の定、主稜のつもりで杓子尾根に取り付いていた。この頃には雨もポツポツ降ってきた。「まずかったかな」と思いつつガスの晴れ間から垣間見える大雪渓目指してトラバースをする。幸い斜面には亀裂も走っておらず、雪は締まっている。一気に八峰取り付き目指して急下降し、5m位はあろうかデブリを越えて行く。八峰の急斜面もいつ雪崩れてもおかしくないところだ。グズグズな雪が落ち出す前に安全な所まで登っておかなければならないと、どしゃ降りの雨の中、ただひたすら高度を稼ぐ。八峰台地手前に何とか雪崩道を外れた雪洞を掘れそうな所があったので掘り始めたが、雪が少なくてとてもまともな雪洞を掘れない。雨はますます強くなるし、ここではツェルトではどうしようもない。止まっていると体は冷えるし、このままでは完全にアウトだ。とにかくビバーク地を見つけなくてはと、また八峰台地目指して登り始める。雪はグズグズさが増して、潜るので登りにくい。おまけにルンゼ上になった斜面上から雪崩だしている。極力硬い雪面と少しでも雪崩道を外したルートを選んで支尾根を目指す。本当に"やばい"と感じたが登り切った所に続く雪の稜線に着いた時、ここでなら雪洞が掘れると緊張感が解けてホッとする。雪は硬く時間はかかったが雪洞の中にツェルトを張ってバーナーを点火する。暖かい、まさに生きた心地がする(実際、今山行中一番シビアだった)。
 3月28日 晴れ
 3時45分起床~7時~8時30分まで白馬沢末端までザック拾い~9時10分C.S出発~14時20分五峰到着。
 目覚めると星が輝き、予報からして今日、明日は晴天だろう。これから雪稜が白馬岳頂上まで大小のピークの登下降を繰り返すことになる。主稜上は我々のパーティだけなのでトレースもない。雪のルートで自分達でトレースをつけながら進むこと程気持ちのいいものはない。起床は早かったが出発にもたついているうちに、あろうことか自分でも信じられないポカをしてしまった。雪洞の出口は斜面の上なので、湯谷君たちにはザックを落ちないようにカッティングまでさせときながら、本人がザックを落としてしまった。見る見るうちに途中に荷物をバラ撒きながら落下して行く。恐らく白馬沢の末端まで落ちただろう。せっかくのチャンスを"バカなことを"と悔やんでも仕方がない。取ってこなければこれから先どうしようもない。幸い時間的にはまだ雪も締まっているし、雪崩れないだろうと途中散乱した装備を回収しながら白馬沢目指し駆け降りる。早朝とはいえデブリの中の沢の末端まで歩いている感じはいいものじゃない。登り返す頃には陽も射して結構なアルバイトであった(この時にラジオ、ガスボンベ、共同食糧の一部、個人食など捜せなかったので後で響くことになる)。
 一休み後、気を引き締めて再出発。八峰直下の斜面も見るからにいやらしい。右側は昨日も雪崩れた所だが急登し直上することにする。途中垂壁に近い所をピッケルをアンカーに乗越して行く、雪が所々腐っていて足元を踏み抜いてしまう。ブッシュ露岩をホールドに登って稜線上に出る。ここからアンザイレンしてコンテを交えながら進む。七峰は何のことはなく過ぎ、間近に見える六峰はえらい急傾斜に見える。ザイルを80mに連結し一気に登るが、見た目より簡単に越せる。六峰上からは白馬岳頂上にいたる主稜上部のルートの他、周りの稜線もはっきり見渡せるので、ルートの確認には都合がいい。ナイフエッジの稜線を五峰へ進む。昼過ぎて雪も腐るし、天候も快晴、丁度いいテントサイトがあるので今日はここまでとして、昨日濡れたシュラフ等を乾かすことにする。
 3月29日 晴れ後曇り・・・雪
 3時起床~6時五峰発~13時10分白馬頂上~15時杓子沢のコルにてC.B
 今後の天気がどう変るか気になるが、ラジオを落としているので観天望気に頼るほかない。週間予報のリズムの遅れと、27日の天気図、予報などを併せて29日は持って、崩れ出しても30日の昼頃からと踏んで、今日の行動を長くすれば縦走路は適度な積雪で夏よりは歩き易いはずなので、唐松岳までは行けるはずと考えていた。昨日と同じく好天の中、頂上目指して進む。五峰から上部は雪も多く真っ白なナイフエッジが続く。アイゼンが締まった雪に小気味よく利いて、雲海上自分達でトレースをつける。360度の風景と併せて快適そのものだ。まさに雲上はるか誰か人を知るの心境である。四峰のピーク直下は雪壁が切れ落ちて少しハング気味なので、ここは左に少しトラバースして雪壁を直上して乗越す。素手だと雪が硬くホールドを作れないのでピッケルの他、バイルを刺し込んで体を安定さす。続く三峰へはルート中一番鋭いナイフエッジである。何だかトレースをつけるのが惜しい気もするが通らねばならない。行手の二峰へは岩壁を直登するか、白馬沢側に廻り込むかのルートがあるが、積雪が多いのでためらわず直上する。岩壁基部にハーケンを打って、そのまま一部露出した岩の左から雪壁を登る。不安定な硬軟あわせた雪の垂壁である。ここで落ちたら末端まで行くなと慎重になって登る、リッジに出るとすぐ二峰である。
 ここからがクライマックスの頂上雪壁である。この頃より空は青空から高曇りになり風も少し強くなってきたがいい天気がまだ続く。ただ昼前には頂上を抜けている予定が遅れて雪の状態が気になるところだが、見たところ頂上よりの雪庇もあまり張り出しが強くないし、思ったより腐っていないのでアイゼンがよく刺さる。途中からのトップの交替はしたくないので80m一杯で頂上に抜けられるように前進するが、指示不足で三人同時に動いてしまい、ステップを切って確保するまで冷汗もんだ。フィナーレなので湯谷君にトップを替り頂上に出る。この場所では陽も当らず風が強くなってきて確保していても体が冷える。ラストで雪壁を登り詰めると待望の白馬岳頂上に出る"剣が見えた"稜線に出たという実感が湧き主稜も何とか無事終了したとホッとするが、さすがに稜線は吹きさらしで冷える。記念写真もそこそこに頂上小屋を目指して先を急ぐことにする。何せ距離だけからするとまだ予定の半分も来ていないのだから、ゆっくりと稜線漫歩といきたいが、予想より早く天気は悪くなってきている。頂上小屋で小休止の後、剣が見えるうちにできるだけ稼いで、何なら夜間でも八方を下りるつもりで縦走に移ったのであるが、杓子岳を越す辺りからガスが出て視界が遮られてきた。ペースも遅れてきたので、ここまでかとビバーク地を捜していると、うまい具合に杓子沢のコルより少し沢を下りた岩陰に雪洞に絶好の場所があったので本日ここまでとした。ここは雪も軟らかく雪洞も掘り易かったが、途中で雪が降り始めてきたので、停滞を考えて中に完全にツェルトを張れるような大きい雪洞を掘った。
 3月30日 雪後地吹雪 停滞
 "こらあかん"とハナから停滞と決め込む。ラジオがないので高度計に頼るが気圧は上昇中、昨日のうちに食料と燃料のチェックはしておいたが、春山とは言え万一、3日以上の停滞を考えて燃料の節約、食い延しを始める。
 3月31日 地吹雪 停滞
 今日で予備日を消化してしまうので、3時30分に起床するも相変わらずのガスの中、昼過ぎても同じで、100%今日中の下山は無理。これで明日から会社は無断欠勤になる。湯谷君も試験には間に合わないので留年を決定さす。小生の責任これ大なり。
 4月1日 ガス後晴れ
 3時起床~12時雪洞出発~14時30分天狗山荘着。
 午前中に連絡しておかないと会の方で動くだろうと焦ってみても如何せん起きると地吹雪だった。気圧が上がり、好天の兆しは間違いないので1時間おきに外に出てみる。10時頃からガスだけになり、11時日が見えガスの晴れ間から薄っすらと稜線が見え出す。気圧の上がりもいちじるしいので、昼からは晴れると決め出発する。杓子沢のコルまで雪が吹き溜まってしょっぱなからラッセルである。ガスの切れ間は一瞬しかなく、おまけに風が冷たく冬に逆戻りだなと思いながら鑓ヶ岳目指して登る。天狗平らしき所に来ても一向にガスが晴れないし、ペースも遅れがちなので雪庇の張り出しに雪洞を掘ることにする。硬い雪になかなか掘れないでいると、ガスの晴れ間に天狗山荘が見え、黄色いテントがあった。早速雪洞掘りを止め、小屋側にツェルトを張った(このパーティは弘前医大で我々より後に主稜に取り付き、今朝早く白馬頂上小屋を出ていた)。この頃には晴れ渡り、きっと明日は快晴になるだろう。これで明日中に八方に下山できると思うので食い延しを解除して夕食をとる。
 4月2日 晴れ
 出発6時~15時頃八方池山荘着。
 起きぬけからヘリコプターの音がやけに騒がしい。我々のツェルトの上をぐるぐる回り、止まってカメラを向けている。我々を探しているのかもしれないが、それにしても早い気もするなと思う。快晴の中、弘大パーティより一足先に出発する。風は少し冷たく肌をさすが、天狗の大下りまでは快適な稜線歩きである。今頃下ではどうなっているか想像できないが、後一踏ん張りしなければ昼には八方に降りられない。稜線は所々夏道が出ているが、雪で露岩が覆われて歩きやすい。大下りの途中で弘大パーティに抜かれたが不帰キレットを越え、不帰一峰の登りよりアンザイレンする。一峰は黒部側の雪混じりの岩稜を行くと難なく一峰上に着く。一峰上でしばらく休んで岩の間を下って行けば二峰の鎖場である。ここからが不帰縦走の核心部になる。鎖を伝いながら信州側に回り込むと先の弘大パーティがジッヘルしている。雪が不安定なので岩を直上するので、ここから弘大パーティと合流することにする。二峰北峰直下も急なガレや岩が薄っすらと雪に覆われているので嫌らしい。ようやく北峰上に出て後は南峰を経て三峰への雪稜を高度を上げていけば唐松岳なので気が楽だ。さっきから盛にヘリが飛んでいるし、やけに多いので弘大パーティに恐らく我々を探しているのではないかと話していると案の定、マイクで"三峰山岳会の植村さん"と呼ばれてしまった。これで決定的だ。
 弘大パーティにこれからが大変ですねと変に同情されて、昨日のうちに話してくれれば食料も燃料も差し上げたのにと、行動食の一部をいただいてしまった。呼ばれたヘリに合図を送ったので、これで確認しただろうと思った(それまではヘリの多さに無視してた)。南峰に着いて休んでいると今度はヘリが高度を下げてこちらに来る。ヘリの中から田原氏の顔が見え、さかんに手を振っている。食料や燃料を投下されたが受け取ることは出来なかった。しばらく雪稜を辿り三峰を経て唐松岳に着く。後は降りるだけだ。剣よさらばと唐松山荘へ近づくと小屋番さんが我々を待っていてくれて一緒に下山する。後は八方を降りるだけだ。丸山まで来るとこれで終ったと思ってホッとした。

原因と考察
 通常の遭難事故の大半が気象遭難であるように今回もいたずらに悪天の中を行動していれば、どうなっていたか判らないだろう。停滞していたことが下山を遅らせ当事者以外には遭難したと判断されても当然である。我々も程度の差さえあれ遭難という境に足を踏み入れていたことに間違いない。ただ対処の仕方が当事者及び会の方もうまく運べたので事無きを得ただけなのだ。
 今回の件を振り返りと、先ず直接の原因は天候判断のミスと行動計画の遅れ、いわゆるペース配分のミスの2点である。天候判断については、週間予報では入山日から3日間はまずまず、30日、31日は気圧の谷の通過で崩れるといっていた。ラジオを紛失したことで肝心なところで天気図がとれなかったが、それまでの天気図、観天、春山の気象サイクル、それの遅れなどで30日の昼頃までは何とか行動できるくらい持つだろうと考えたことが、厳冬と違って3月末ということも併せて天気の崩れというものを少し甘く考えていなかっただろうか?
 行動計画の遅れについてはあまりにも時間的計算を信じ過ぎたことにある。アプローチ1日、主稜1日、稜線1日、下山1日の実働4日、予備2日の6日間が残雪期としては十分であるとしていたことが、最初の遅れを引きずったまま雨の中の行動、主稜からの撤退、白馬頂上からのエスケープ等、考えに入れなかった遠因でもあるだろう。パーティを組んで行く以上、自分以外の気力、体力や気象条件など含めてコース、日程を検討しなければならないのは当然であって、私自身リーダーとして無事登って帰ってくるという観点に立っていれば、より慎重な判断をするためにも、もっとあらゆる情報を集約させていなければならなかったと反省させられる。幸いにも今年は積雪が安定しており雪庇、亀裂が少なかったことと併せて、最終下山予定日を過ぎることが確実になっても湯谷、千代田両君が不安はあっただろうが落ち着いて行動してくれたことは大いに助けられた。また我々が遭難したものとして捜索、救助にあたってくれた多くの会員、友志にこの場を借りてあらためて大変な心配と迷惑をかけたことをお詫びすると共に感謝いたします。
 今回のことがこれからの山行に良き教訓の場を与えてくれたものとし肝に命じておこう。そして以前にも書いたがこのウィンパーの言葉を繰り返したい。
"登りたければ登りたまえ、しかし覚えておくことだ。勇気とか力というものは慎重さを欠いたら全くゼロになるのだということを。一瞬ではあってもそれを無視すれば一生の幸せを破壊することになるかも知れない。決して急ぐな一歩一歩を見極めて、そして初めから終りのことを考えよ。"


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