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ひと夏の経験
田中 敏

 序、保険
 これは昭和60年5月に三峰山岳に入会した田中敏が保険未加入のため、本チャンを禁止されていたものが、7月になりやっと解禁となり7月、8月と自由奔放にふるまった実録である。
 巻ノ一、梅雨明け(7月13日鷲頭、14日城山)
 夜行バスを待つキャピキャピのハイカーギャルに心を奪われながら新宿を出発。城山基部、泊。13日、なぜか5時頃起き出し鷲頭へ。午前中雨が降ったり止んだり。午後から晴れ、カンカン照りに上半身裸で登る。余分な肉が波をうつ。トレーニングせねば。陽射しは夏そのもの。梅雨明けと断定する。鷲頭の岩場は見た感じチョロそうだが、実際取り付いてみると結構シビアだ。そう都会育ちの女の子のようだ。それだけにこの岩場をすんなりクリアできるようになれば、その実力は本物である。
 翌14日、城山。三人パーティで左ルートへ。左ルートの取り付きが判らないので適当な所から登りだす。この日は最低でも3本は登ろうと張り切っていたのだが早くも2ピッチ目で僕は力を使い果たしてしまったのでした。数m先のテラスで南西カンテを登攀中の宮川さんが手を振っていたので、そこでピッチを切ろうと思った。ところがである。ザイルが延びないのである。ザイルに引かれてパンツが脱げそうだ。「いっぱいかあー?」と何度も怒鳴る。そのうちに「いっぱいだヨーン!!」と無情の返答。僕はフェースの真中で金縛りになったまま、二つの青いヘルメットを見つめ続けていたのでした。以来、青メット恐怖症です。
 これでやる気が失せた上に猛暑、そして抜けそうなピンの人工、次々と襲いかかる苦難の連続。気分はもうインディー・ジョーンズかランボーといったところ。神サマの意地悪。やっとのことで降りてきた時には、もうミイラになっていたのでした。チャンチャン。
 巻ノ二、トウモロコシ(7月16~19日甲斐駒)
 黒戸尾根は長い。しかし、その先にあの素晴らしい壁が広がっていると思うと苦にならない。途中、七丈小屋のオヤジにトウモロコシを半分もらう。このトウモロコシが後に世界中を大論争の渦、即ちトウモロコシは上の歯でかじるのか、それとも下の歯か、といった問題を巻き起こすとはこの時の私は知る由もなく、単純に喜んでいたのだった。ちなみに私の場合、出っ歯なので下の歯でかじることは不可能である。
 ベースは八合の岩小屋、キジ臭くハエが多い上に水場が遠い。奥壁の右ルンゼ取り付きが水場である。この第一バンドは花が美しい。A・Bフランケへは目前の踏み跡を下る。
 17日、A・B赤蜘蛛。Aフランケ基部へのアプローチは結構悪い上に解りづらい。案の定、去年と同じ所で間違えた。やっとのことで恐竜カンテ脇の赤蜘蛛取り付きへ。A赤蜘蛛はフリー、人工共に非情に快適である。特に下部のジェードルクラックは楽しい。フィストジャムがバッチリ効き足などは抜けなくなる程で、ジャミングを心行くまで楽しめる。
 上部の人工も昨年、僕の友人が引き抜きご丁寧にも最上段で打ち直していった問題のボルトも、新しいものが打ち足されており楽々掛け替えができるようになっていた。これで順番待ちも緩和されるだろうこの最後の2ピッチは単純な梯子登りに終始するが、目もくらむような高度感が楽しめるのが救いになっている。
 B赤蜘蛛は濡れていた。これにはまいった。数日前まで雨が降っていたらしいが、それにしても濡れすぎだ。ルートは余りすっきりせず、ブッシュが多い。下から見た感じもピッチ数の割りに威圧感がない。登っていても、濡れているせいもありイヤラシイという感じばかりであまり楽しくない。ここを登ってから僕はA1・IVとグレード付けされているピッチを警戒するようになったのです。それ程ここのA1・IVはイヤラシかった。ピッチグレードA1・IVは要注意です。B赤蜘蛛は、この山行中最も印象の薄いルートだった。Aフランケと奥壁の間になければ誰も登らないだろう。
 18日、奥壁左ルンゼ。僕は沢登りに来たのではなかったはずだが、ここも滝である。中間部までは岩は堅く流水溝を登るので、磨かれていて乾いている所はフリクションが効き快適である。しかし、テラスは上部からの落石が溜まっているので、ザイル操作などには気を使う。それにしてもいったいこのルートは乾いている時があるのだろうか、そう思える程下部はビショビショである。中間部は乾いている部分も多くて快適だが、ピンが少ない。ただ傾斜がないので怖くはない。チムニー、チョックストンとV級ピッチを終えて一安心、あとはIIIだといって油断したら命を落とします。最後のチムニー状のルンゼがこのルートの核心部であり、谷川の上部草付きと並んで最悪のピッチである。ここはホールド、スタンスが粉々に砕け散るのである。まるで凍ったオニギリのようだ。浮石ならつかまなければ済むが、壁自体がボロボロ崩れるのではどうしようもない。ここで僕は、初めてトップで落ちたのでした。幸い、直ぐ下にデカいスタンスがあり事無きを得たのだが、僕はトップは絶対に落ちてはいけないと思っているので少なからず精神的にダメージを受けた。
 やっとのことでルンゼを抜けチョックストーンの上に出た時は本当にホッとした。稜線までルンゼ通しに抜けることもできそうだが、オソロシイのでトラバースして中央稜上部へ。ブッシュ帯を抜けて稜線上へ、稜線に飛び出した時の気分は最高である。
 この2日間が、この夏最も充実していた山行だった。
 19日、岩登りというよりは、花を楽しむハイキングといった感じの中央稜を登って下山する。バスがないということで横手に下るが長かった。途中、3回程足をくじき夏中痛かった。バス停脇の店で買ったアイスが変質していたのか、しばらく腹の調子が悪かった。
 巻ノ三、エキスパート(7月21~22日 谷川一ノ倉)
 21日、南稜。この日は某山岳会が集中だといって大挙して押し寄せ、烏帽子奥壁を独占しやがった。少しは遠慮しろ、我々は5人だったので2・3でザイルを組む。僕のパーティにはこの南稜を何十回となく登り目をつぶってもホールドが判るというエキスパートの小泉さんが導いてくれたので安心して登れた。差し入れでもらった巨峰がうまかった。またいただきたい。
 22日、衝立雲稜、2ピッチ目第一ハング上でトップが墜落。2人共登攀意欲をなくし、残置をいっぱい残して下山。後から考えるともったいないことをした。あらゆるルートのエキスパートになるには、まだまだ身体的、精神的な鍛錬が必要である。
 巻ノ四、アコギな商人(7月26~27日 谷川一ノ倉)
 26日、三スラ。滝沢下部は技術的には問題はないが、ピンが腐っていて緊張させられる。三スラ自体は快適だ。ペロペロ、ペロペロ登れる、最も悪いのはドームまでの草付だ。ドームは岩がガッチリしていて安心。下山時、ガンゴー新道の分岐を見落とし西黒を下降。車のあるマチガ沢まで戻る。あぁーシンド。
 27日、中沢さんと海水浴に行く予定が渋滞がひどく一ノ倉に逆戻りとなった。途中、飯屋で朝飯を食べた。オバサンの口車に乗せられて、金千円也の朝定食を注文するが、目の前に出されたそれはあまりにも哀れであった。水上の食堂といい、この辺の飯屋はあこぎである。水上の食堂のオヤジ、メニューにある物ぐらい用意しとけ、ボケ。
 あまりやる気がないので一番短いフランケダイレクトへ。最後のトラバースの一歩が悪かった。帰途、土合橋のところで水浴、快適。
 巻ノ五、魔法使いのおばあさん(7月30日 越沢)
 29日、僕はあることで非常に落ち込んでいたので、正直いうと登る気がしなかった。でも二人だけなので止めようとは言えなかった。
 30日、雨を望んだがしっかり晴れた。準備をしている時、千代田さんがウレシソウにザックから何か取り出した。そう、それはあの魔法の靴、フィーレだった。  右ルート、左ルートと快適に登る。滝ノ下ハングで人工。そして核心部のスラブは乾いていそうだったので、左端のバリエーションVIへ。途中、ホールドが全くなくなりピンも少ないがやっとのことで抜ける。セカンドはどうかなっ、と見るとスンナリ登ってくる。余裕の笑みを浮かべながら終了点にやってきたその姿は、魔法使いのおばあさんそのものだった。
 巻ノ六、小林君(8月2日 涸沢入山、8月3日 屏風岩)
 2日、涸沢入山。思ったより荷は重くなく快調。「パイルジャケットを持ってきた」と言ったら皆にバカにされた。「フン、俺は寒ガリなんだよ!!」。
 3日、屏風、東壁大スラブ。快晴、暑くて水もなく、おまけに背中の米5kgがずっしり重い。単調な人工とイヤラシいトラバースに終始する。つまらないルートだ。暑くて辛かった。しかしこの日、世界中で最も辛い思いをしたのは小林君であろう。彼はトップで雲稜を登っていた。しかしどうしたわけか1ピッチ目、出だしで落下。この時は無事だったがその後再び墜落し、足を痛めて下降を余儀なくされたのでした。更に不幸なことに足を引きずりながら、T4から下降しようとした小林君は3歩目ですっころび、救助を待つことになったのでした。彼のおかげで僕は少し気分が引き締まったのです。
 巻ノ七、逆鱗(8月4日 北穂)
 北穂東稜を登ってラーメンを食う。この日僕は同行者に花の名前を色々教えてもらった。但し、それが正しいのかどうかは僕には解らない。後から考えるに好天に恵まれたこの日をハイキングで潰してしまったことが神の逆鱗に触れたようだ。これ以後僕は登攀の満足感を味わうことがなかったのである。
 巻ノ八、サロンパス(8月5日 前穂)
 前穂東壁右岩稜古川ルート。夜明け前に出発するが月が明るいのでエレキなしで歩ける。アプローチは5・6のコル下降。とてつもなく遠いアプローチだがアイゼン、ピッケル無しで早朝3・4のコルを下降する自信はないので仕方がない。やっとのことで取り付きへ。右岩稜は4ピッチ、3・4ピッチ目が楽しめる。4ピッチ目は思い切りが必要となる。核心部を抜けてセカンドをビレー。さてセカンドはといえば、まるでサロンパスのコマーシャルをやっているみたいだ。「はってーはってーまたはって~!!」。
 巻ノ九、野宿(8月6日 停滞、8月7日 屏風)
 6日、天気がはっきりしないので停滞。
 7日、屏風雲稜。パチンコ初日の予定だが天候不良や体調を考え、本日は屏風一本とする。
 濡れているためT4尾根末端からてこずる。雲稜は1ピッチ目途中から雨。扇岩テラスに着く頃はドシャ降り。その次のテラスは滝にうたれて修行ができます。おかげで私は悟りを開きました。東壁ルンゼに入ってからも結構悪かった。
 横尾に戻ると橋の下にシュラフやらゴチャゴチャと置いてある。雨にうたれてビショビショだ。どこの馬鹿だ、と思っていたら少年達がやって来た。少年達は雨の降りそうな中、幕も張らずというか持ってないので張れないのだが、橋の下で野宿したのであった。少年達は冬でも野宿するのだろうか。ウン、奴らならやりかねない。
 巻ノ十、鬼が笑う(8月8~10日 松本、大町)
 パチンコをあきらめたので8日に下山し松本へ、9日大町へ。10日剣へ入山しようとするがアルペンルートが不通のため大町で停滞。結局3日間もプータローをやってしまった。この3日間で完全に気力が萎えてしまった。しかし私はこの3日間で色々勉強しました。
1.来年のことを言うと鬼が笑うのはなぜか?
2.プータローとして、やるべきことは何か?
この質問に答えられる人は少ないであろう。皆さん、勉強不足です。
 巻ノ十一、体操(8月11日 丸山入山)
 黒四ダムから2時間程で丸山基部へ。緑ルートの取付きを捜してウロウロする。この時私はムーンサルトをマスターしたのです。ガレたルンゼでズッコケ、後方抱え込み3回転、1回ひねり降りをぴたりと決めたのです。この技を完成させるには、血の滲むような努力が必要だったので、私の体はあちこちから血が噴き出ていたのです。幕に戻り消毒してもらった。僕は信篤小学校の児童でなくて本当に良かったと思います。
 巻ノ十二、人生の岐路(8月12日 丸山)
 前日、緑ルートの取付きまで行けなかったが今日は一発。先行パーティあり、あまりペースは速くない。大分待たされた後で登攀開始。天気は割りと良く、壁がドンドン乾いてくる。「こりゃええわい」と思っていると、1ピッチ目にセカンドをビレイ中に雨が降り出す。2ピッチ目、千代田さんに行ってもらう。出だしで渋っていたが僕は知らん顔。今日はいろんな物が降ってくる。雨の次はアブミだ、その次は時計。そして、その次は何と人間。僕はこの時、出家して一生を罪を償うことに捧げようと誓ったのでした。あまり乗り気でないのは解っていたが、A1・IIIだから大丈夫だと思って無理矢理行かせたのが間違いだった。本当に悪いことをしたと思っています。初めてのトップを雨の丸山でやらせるなんて、酷いことをしたと思います。パートナーの気持ちを考え、思いやりを持つことのできない者は岩登りをやる資格を問われても仕方のないことです。
 以後、こういったことのないようパートナーの信頼を得られるよう努力したい。結局、雨がひどく2ピッチで下降。枯木を集めてたき火、俺の靴下が燃えた。穂高のパチンコに失敗して、丸山だけでもと思っていたがこっちもだめだった。たき火の炎を見ながら「イヤー落っこった後、僕の方を見てニターッと笑ったから、これは頭を打ったなあーと思った」などと話に花が咲く。しかし、怪我でも負わせていたら「責任とってよ」と言われても仕方のない僕にとって、あの笑いは神の慈愛に満ちた微笑だったのです。僕は人生の岐路に立たされていたのだった。
 巻ノ十三、アサマ(8月13日 真砂移動)
 真砂へ移動。剣沢へ行く予定だったが、思ったより時間がかかり真砂ベースとする。宮川さんは三原さんを迎えに剣沢へ。リーダーは本当に大変です。御苦労様でした。この日の湯さんは心なしか元気がないようでした。やはり出発前、好物のアサマ(黒砂糖をまぶした菓子)を千代田さんに食べられてしまったのが原因らしい。チャンチャン。
 巻ノ十四、ゲテモノ好き(8月14日 VI峰)
 出発が遅くなったのでVI峰へ。Bフェース。正規ルートに先行パーティがルート変更したので阿保な私は彼らがあきらめた直上ルートへ。下から見た感じチョロそうなのに実際取付いてみると、まあ何とイヤラシイことでしょう。まるで最近の女子高生みたい。スレてんなーといった感じ、素直じゃない。まったくてこずらせやがって。この夏、一番汗をかかされたピッチだった。2ピッチ目から正規ルート。両側が切れていて快適。下がイヤラシかったから一層その感じが強い。やはりイヤラシイ所は楽しい。ゲテモノ食いも一度ぐらいなら良いもんだ。
 巻ノ十五、一期一会(8月15日 源次郎I峰)
 とにかく長くてウットウしいアプローチだ。僕はサド気はあってもマゾ気はないんです。木にひっかかれて喜ぶなんてとんでもない。こんなアプローチを要求されるならもう二度と来たくない。一生に一度、これが最初で最後にしたい。おまけにこれだけ苦労して来て、ほんの数ピッチ(成城大)なんて馬鹿にしてやがる。だから俺は剣がキライだ。
 巻ノ十六、三ツ道具+1(8月16日 VI峰)
 Dフェース富山大。先行パーティが数珠つなぎ。三つ程度前にネックとなっている二人パーティあり。岩登りに三ツ道具は欠かせないというが、+1を加えたい。遅いパーティを煽るための扇子またはウチワ。これは人気ルートに行く時は必携です。6ピッチだがその割に歯応えのないルート。やっぱりVI峰はダメだ。
 巻ノ十七、前兆(8月17日 VI峰)
 再びBフェースへ。今度は正規ルート、1時間足らずでお終い。今日のパートナーの三原さんは、今日から岩登りはしばらくお休み。好きな染物に山での体験を生かせるかな? 幕に帰ってから昼寝。ちょっと悪寒が。これが悪夢の前兆だった。
 巻ノ十八、隠居(8月18~19日 停滞~雷鳥沢へ移動)
 18日、朝から不調。今日のパートナーになるはずだった湯さんには申し訳ないが今日は休養。この日のことは良く覚えていないのです。ただ、ひたすら寝てました。
 19日、雷鳥沢へ移動。相変わらず不調。エッチラ、オッチラ牛歩の行進。山でこれ程体調を崩したことはなかったので非常にツライ。しかし、おかげで僕の悩みは解決された。その悩みとは舌切り雀のおばあさんは、何故ひどい目に会うのか? ということだ。雀の舌を切ったことがいけないのか? それとも大きなツヅラを選んだことが悪いのか? はたまた途中でツヅラを開けたからなのか? 正解は大きいツヅラを選んだことだ。僕は今日まで大きいツヅラ、いやザックを背負うことがこれ程ツライことだとは思わなかった。おばあさん、一緒に成仏しましょう。
 巻ノ十九、浪波の商人(8月20日 下山)
 僕は関西人が嫌いです。奴らは節操のない言葉を話します。奴らはアコギです。奴らは素直じゃありません。
 下山は室堂から一ノ越を経て黒四へ。途中雄山へ。雄山神社にはアコギな神主がアコギな商売をやっている。国有地であんな汚いやり方で銭もうけやってええんか~?。あいつらはきっと関西人や。そうに違いないで、ホンマ、ワテの感に間違いあらへん。そうやアルペンルートかて関西電力やさかい、あげな高い金取りよるねん。ホンマに関西人は悪いやっちゃ。
 末、反省
 私のひと夏の経験はこのようなものでした。穂高、剣では本当に登りたいルートが一本も登れず残念です。もう少し強気で押しても良かったかなあーと思います。入会してわずか数ヶ月。遠慮があっても仕方のないことだし、今まで自分がやってきた山行形態とのあまりの違いに戸惑いがありました。そして疲れました。
 僕は山の中では自分の気持ち、意思をはっきり示したいと思う。これからはそうするつもりです。せっかく山に行ってかえってストレスが溜まるのでは堪らない。これが冬だったら多分僕は我慢できなかっただろう。今夏の反省を基に、これから冬に向けて楽しく登りたい。


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