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明神ヶ岳
勝部 辰朗

山行日 1985年6月8日~9日
メンバー (L)勝部、佐藤(明)、高橋(千)、冨岡、鈴木(章)、佐藤(八)

 帝釈山系の孤峰明神ヶ岳は、登山の対象から外れた秘峰である。当然登山道は皆無で全山ヤブである。
 6月7日、金曜日、東武特急最終電車を使い奥鬼怒温泉で下車、ステーションビバークする。
 6月8日、土曜日、天気小雨。予定では湯西川温泉行きの東武バス8時5分発で一ツ石の部落で下車するはずだったが、タクシーが1台で6人を乗せてくれると言うので、それに乗り栗山沢出合で下車する(タクシー代7000円)。
 出合には橋がかかり、右岸に車1台が入れる道が沢沿いに入っているが、30m位で途絶え沢に下る。沢に入ってすぐ1m弱の高さの石組みの堰堤がある。進むうちに右岸より明瞭な沢が入る。イノシシ沢である。
 更に本流を詰め、ナメ3mの滝を過ぎて進むと、また右岸よりナメの連瀑をもったマゴベイ沢がかかる。予定では本流を忠実に詰めるつもりだったが、こちらの方が早く着きそうなのでこの沢を詰めることとする。
 ナメ滝を3m程登った所で左岸を巻く。この滝を越すと先に滝はもうない。木枝くずやゴロなどのある汚い沢である。水流は間もなく伏流となり消える。1150m位の所で沢は二分する。右が幅の広い下草の繁る沢(こちらが本流だったように思う)、左がゴルジュとなり薄い雪渓を残した沢である。左の沢へ進路を取り雪渓を越えて、枯れた大木を絡ませた4mの滝を登り、すぐ行き止まりとなったので、沢を捨てて右手の小尾根に取り付く。後はひたすらヤブこぎで尾根を登る。ヤブは思っていたより薄い。雨足がきつく寒い。
 稜線に出た所は1518mの日向明神と呼ばれるピークの100m北西の所に飛び出した。笹の稜線だ。1518mピークは笹原で測量用の三角錐の木組があった。
 ここより明神ヶ岳のピークへ向けて稜線を下る。この稜線はなんとか分かる踏跡があった。ミョージンノタアという鞍部を過ぎ、膝から腰位までの笹藪を登り、1594.5mの明神ヶ岳に登頂する。ピークは笹原で、笹の中に三角点の標石が埋もれていた。展望は、東方向がきくはずだが生憎の雨で何も見えない。
 6月9日、日曜日、天気小雨。
 視界があまり良くない、コンパスを頼りに笹藪を下り、ヨガタアと呼ばれる鞍部を目指す。地図ではだだっ広い尾根だがなんとか尾根筋は分かる。ヨガタアより大滝沢へ下る。大滝沢の途中、右岸より沢を二分する程の水流を持つタイコンドウの沢が流入するはずだが、どういう訳か気が付かず過ぎてしまった。
 タイコンドウの沢を過ぎた先に4mの垂直に落ちる滝があり、下に大きな釜をもっている。左岸を巻く。釣り師道だろうか明瞭な道が200m位あり、又沢に下る。沢が大きく東へ屈曲して少しするとトロッコのレールの残骸が現われ、その先に日向鉱山跡がある。更に下ると右岸に大きな石組みの擁壁が現われ、上が林道の終点となっている。
 ここでソーメンを作り下山を祝う。林道に上り50m位行くと、坂船沢が左手よりかかり橋がある。サツ沢の出合を過ぎ歩いていると、後ろより工事用トラックが来て荷台に乗せてもらい、野尻の部落まで下った。長い林道歩きが省けて助かった。
 栗山沢及びその支流のマゴベイ沢や、下降の大滝沢も大きな滝はなく、また綺麗でもなく、溯行目的としては全く価値のない沢である。しかし、登行路として使う分には最適である。ほとんど訪れることのない山をルートファインディングを楽しみながら、苦労して終えた山行は後でジワジワくる充実感の残るいい山行となった。帰る途中、川治温泉の露天風呂に浸かり汗を流した。

明神ヶ岳 コース略図

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