トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ255号目次

剣の夏'85'
宮川 文人

山行日 1985年12日~20日
メンバー (L)宮川、湯谷、田中、三原、山田、千代田

 8月9日、22時。  「リーン!リーン!!リーン!!!」電話の音。
 「ハイ、宮川です」
 「モシモシ?宮川ちゃん?千代田です。今晩は。大変なの!トロリーが鉄砲水で運転不能なの。明日は何とか動くって言ってるけど、どうする?」
 「その件については明朝TELしてや。まだ小銭ある?三人とも体調は?元気?穂高の方はどないだったの?」
 「大して登れんかった。天気も悪かったし、でも聞いて! 雨の中、屏風の雲稜登ったんよ。もうビショビショや。」
 「おう、頑張ったね、で、今晩はどうするの?」
 「大町でまたステーションビバーク」
 「そう、それにしてもまた楽しいね。浮浪者に間違われないように。おやすみ」
 <<バスは動かない。穂高の連中は欲求不満。剣へのボッカは一人減るは>>これは丸山東壁はパスして富山から入山か。と慌てて、東京に居る者にTEL、ローテーションの組み直し、時刻表とにらめっこ。
 「もう、じゃまくさい。剣やめや」と思っているうちに寝てしまいました。
 10日、5時30分頃、山の生活に慣れている三人からコケコッコー・コール。
 「モシモシ、宮川ちゃん。バス動くって」
 「あー、そうー」
 「モシ、モシ、宮川ちゃん!!起きているの?」
<寝てるに決っているやろ!>と言いたかったが、夏バテ気味の体を振り絞って、
 「ハイ、良く聞こえます。では、明日予定通り夕方丸山基部にて合流。おやすみ」この後寝てしまい仕事に遅刻。
 11日、朝10時の特急にて出発(一人で)。黒四着16時。35~40kgを背負子にくくりつけ、地べたに座って背負い、「3時間の我慢や」と歩き出す。背負子のフレームが初端から当り痛い。ダムの放水の飛沫を浴びながら、黒部川を渡りひたすら汗をかきかき、下をむきむき歩き続ける。
 5月以来の山行であり腰、肩の痛みに耐えかねて40分歩いて一本。体力が落ちたことに愕然とする。そして持病の膝がいつ痛み出し、歩行困難になるか。そんなことを考えながら一本が二本になってしまった。
 30分も歩いただろうか、前を見ると真黒な見たことのある顔が二つ見える。湯谷と田中が迎えに来てくれた。
 「モートー!お疲れさま」
 「迎えに来てくれたんだ、サンキュー」二人に荷物を持ってもらい、私は快調、絶好調。20分もして丸山基部のテントに着く。頼もしい若者二人である。
 テントでは、美紀姫が夕飯の仕度をして待っていた。風邪気味で穂高に入山し心配していたが、元気そうでなにより。先ず合流、オメデトウ。
 その夜は、湯谷君の南アルプスの赤石沢のこと、三人の穂高のこと、明日の丸山のこと、そしてしみじみ話と、話も尽きず焼肉をブランデーで流し込み(1本空けてしまった)、ついつい遅くまで話し込んでしまった。私も山では酒量がいく方で、飲まない人には迷惑をかけたと思う、すいません。でも、三峰に入会する前から私がリーダーの山行はいつもこんなもんよ。
 12日、丸山東壁緑ルート IV・A2
 オーダー、私と湯谷君、美紀姫と田中。若者二人に核心部のA2をリードしてもらうオーダーである。1P、快適に飛ばす。しかし、2Pにて急に雨が降ってきてしまった。悩んだ末、先行パーティはのんびり(はっきり言って遅い!)登っているし、うちらにもアクシデントがあったので下降と決定。その夜はやけ気味で、またボトル1本空けてしまい、おやすみなさい。
 B.P発7時~基部7時30分~2P終了11時。
 13日、ハシゴ谷を越えて剣沢(三田平)に行く予定(予定は予定であり、決定ではない)で、のんびり出発。春と比べて夏のハシゴ谷越えはきついと言うか、滅茶苦茶かったるいねの一言。途中剣沢では今日入山の弘子と合流しなければならない。このペースでは真砂で時間切れとなりそうだし、焦ってきた。しかし、飛ばせない。案の定、真砂に着いたのが17時。テントを張り、ここをB.Cと決定。18時、私は剣沢にいる弘子を迎えに行く。(慢心と言うか、エレキしか持たず)途中で暗くなり雨が激しく降ってきました。「これでは弘子と合流しても、安全を考えると真砂に帰るのは無理かな」と思いながらひたすら歩く。そのうちに止まると、空腹と一日の疲れと雨のためか、体から力が抜けるようになってきた。「まずいな」と精神が集中できないでいるうちに道を間違えてしまい、剣山荘に着いてしまった。剣沢小屋ははるか彼方に見える。「あちゃ!そんなばかな。何処で間違えたんだろうか」、20時。
 弘子には持参のテントに寝てもらい、明朝早く迎えに行くことを剣山荘から電話し、私は剣山荘に泊まる。北アルプスで冬期小屋以外で小屋に泊まるのは初めてなり。初心者を一人で合流点に残させてしまったこと、お互いの状況判断の無さ、もろもろとレベルの低さを思い情けなく一睡もできなかったです。在京で心配された方、すいませんでした。B.Cで空腹で待っていた三人にもすまなかった。
 B.P発10時~ハシゴ谷14時~真砂沢17時着。
 14日、早朝合流後、B.Cへ二人で下る。天気もいいし皆さん体調もまあまあなので、八ッ峰VI峰の何処かを登ることにする。スローペースで長次郎谷の雪渓を登りVI峰の基部へ。CフェースとDは固定ザイルが這ってあるが如く混んでいたので、私と湯谷と弘子はAフェース中大、美紀姫と田中はBフェース京大に行くことに決定。無事終了。帰りの雪渓で女性陣が何回か頭からこけてしまう。技術不足。
 B.C発10時~VI峰基部着12時30分~(A終了13時・B終了13時30分)~B.C着17時。
 15日、源次郎尾根I峰成城大ルートへ。
 今思うに、ルンゼ通しに登れば良かった。尾根通しに登ったのでかなり時間を食い、アプローチの段階で既にバテ気味。オーダーは湯谷と美紀姫、私と田中と弘子。ルート自体はすばらしいのだが、この手のルートは力の揃った者同士が登るルート。炎天下の中での順番待ちは体力の消耗はなはだしい。失敗、無事終了。下りの脆いルンゼで弘子が頭からこける。すぐ前に湯谷の足があり止ってくれたが、心臓に非常に悪い。山の歩くという初歩ができていない。厳しく注意。下りの途中、田中がウィスキーを買いに剣沢まで行って帰ってくる。この夜も寝るのが遅く、起床は目が覚めた時と決定。
 B.C発6時~成城基部10時~終了15時~B.C着17時。
 16日、私は色々と考えてテントキーパー。湯谷と美紀姫、田中と弘子でDフェース富山大ルートへ。私はテント内整理、沢にて洗濯を済ませ、米をとぎ、昼間から高いビールを飲み、うだうだ高校野球を聞いていました。
 登攀組は2P目で先行パーティが遅れ(30分でやっと1mとか)、2時間も待ったそうだ。そんな者がDフェースに来るな。(実はこの先行の女性二人は白稜会の人でした。)そんなことで四人が帰ってきたのは暗くなる直前でした。私は、昔同じ同人で山に登っていた青木という人間に会い、米を炊きながら皆の帰りを待っている間、昔の懐かしい話をしながら酒を飲んでいました。彼らのパーティ四人はビール4リットル、ウィスキー4本をボッカしてきたそうな、好きなんだね。会の名前は新潟の新井アルパインクラブと申します。会専用の事務所も持っているそうです。我が会でもどうですか? 夜は夜で、その辺に生えている草(名前は忘れました)のマヨネーズ和えをご馳走になりました。意外と旨かったね。自給自足、見習うべきですね、しろしさんよろしく。雷鳥はいいですから。この日も21時頃寝るのでありました。
 B.C発8時~基部発11時~終了15時~B.C着18時。
 17日、今日は仁恵が入山合流の予定。湯谷には(彼には何故か無理を頼んでしまう。スマン)絶対荷物は背負ってくるなと言って、仁恵の出迎えに行かせることと、テントキーパーを頼みました。彼は頼まれると決して「いや!!」とは言わないので、皆さんどんどん利用しましょう。
 私たち登攀組は私と美紀姫はDの久留米ルート。田中と弘子はBへ。快適に終了。Dの頭にて前々日成城での先行パーティの方に偶然(他に行く所はないけれど)に会い私たちのことを覚えていて、 「昨々日、成城登りませんでしたか?」
「はい、行きました。先行の方ですか?」
「そうです。いやあ、今頃はかわいい子が上級ルートによく登ってきますね。うらやましい、昔だったら考えられんことですけどね、いやあ」
『何が、いやあだ』
 この男二人はスケベ光線を美紀と弘子に放っていたのでした。許せん。でもそこで美紀姫は何を考えているのか解りませんが、一人でニヤニヤ、グリーンティを飲んでいるのでした。私は、
「そうですかねえ」と言いながらも、<<羨ましいか>>と、恥ずかしながら優越感に浸っていました。そうなんです、私も昔は男・男の組だったのです。女性が通れば、よほどのブスでない限り<頭、右>でした。彼らは八ッ峰上半へ行くみたいで早々と出発して行きました。私らは5・6のコル目指して降りてゆきました。途中、熊の岩の方を見ると、何人か集まって騒いでいます。「シュラフ、マット出して下さい」「ヘリが来ます」「ガヤガヤ」何か起きたみたいだねと、美紀姫と話していると旧友の青木が雪渓の所に座っていました。
「青木さん、何処から登って来たの?」
「かったるくて何処も行かへんかった」彼は昔からこうなんです。
「何んかあったか?」
「Bでトップが20mセカンドを通り越し、3バウンドして墜落や。生きてるけどね」
「本当、あほやね」
と言いながら、我がBパーティが落石を落しはしなかったか心配になってきた。でも違うと判りホットしました。ヘリも直ぐ飛んで来て収容したみたいです。良かった良かったと二人で雪渓を下っていると(美紀姫も大分下りがうまくなり、私を追い越して行ってしまった)、下から担架を背負った人が登って来ました。私は(もうヘリで運んだのに何をやっとるのかね)と、横目で見ただけで降りて行きました。
 しかしこの担架は池の谷ガリーで墜落した白稜の女性一人を救助に行くものでした。なんと、普通4時間程かかるところを1時間半で飛ばして来たそうです。富山の警備隊は強い。これ実感です。
 B組は早々と終了し帰幕し、D組は2時間遅れということでしょうか。おやつにソーメンを食べていると、湯谷が仁恵を連れて帰ってきました。ご苦労様。その夜は仁恵の入山祝いと弘子の安全下山祈願を兼ねて乾杯。念願の手巻き寿司を食べる(湯谷は何故か太巻きになっていた)。食後、明日の予定を私と美紀と仁恵はCかB、湯谷と田中は源次郎I峰下部中谷ルートへ行くことにし(弘子は下山)寝る。またまた9時か10時。
 B.C発8時~登攀開始10時~(B終了?、D終了12時27分)~帰幕14時。
 18日、皆起きない。目覚時計の田中が、そして美紀が体の不調を訴えてきた(穂高からの疲れが今出てきたのかな?)。湯谷は、仁恵はと心配したが二人は元気である。今例会の核心部で体調を崩した二人、残念である。がつがつ登るのも良いけれど、途中休憩日を取らないと最終的にパーティが横一線にならないよ。これはうちのようなレベルの会、混成パーティでは特に大事だと思います。予定変更。二人はテントキーパー、私と湯谷と仁恵は途中弘子を送りながらCフェースに行くことにして出発。歩いているうちにパーティ全体のことを考えて、登るところは登ったし、余裕を持って下山したいので考えた末、湯谷に
「今日は源次郎に行こう。仁恵を本峰に行かせよう。彼女の今山行の目的は剣の山頂を踏むことだから。そして、明日は皆でミクリガ温泉に行こうや」
「・・・・そうですね、そうしましょう。温泉に行きましょう」
 彼に理解してもらい、途中弘子と別れ源次郎尾根にルンゼから取り付く。まあまあのペースで仁恵も少しバテ気味ながら、念願の剣の山頂に立ちました(一般ルートではなく、バリエーションから)。
 下りは安全を考えて長次郎をパスして、別山尾根から湯谷がナイトの如く終始仁恵の前後に付いてくれ、悪場を通り無事安全圏の剣山荘に着く。普段なら1本も空けられないコーラを仁恵は一気飲み。疲れたんだね。「ああ、全部飲んじゃった、うそみたい」
私と湯谷は空きっ腹にビール。一気に酔っ払ってしまう。
 遠くで雷鳴が聞こえてくる。空も暗くなりかけてくる。テントの二人には予定変更を伝えてなく心配してると思い、湯谷を先に下らせる。ビールのため途中こけそうな私と仁恵は、とうとう降ってきた雨の中を急いで下る。仁恵はメガネが曇って歩きにくそう。テント着。夜は痛みかけのすっぱいおでんを食べる。テントの二人はさすがに食べませんでした。
 食後、明日は雷鳥沢へ移動、フロに入り、明後日は立山(雄山)を越えて黒四へと決定し早々と寝る。が、私と湯谷は新井アルパインのテントへ酒をご馳走になりに行く。青木さん、大野さん、丸山さんと楽しく酒を飲みました(本当に楽しかった)。10時半頃静かにテントに帰る。
 B.C発7時~取り付き9時~I峰11時~本峰13時~B.C17時
 19日、今日は雷鳥沢まで(4~5時間)と起床7時。食後ドリップコーヒーを飲み出発。しかしザックが重いんだよね。「入山と一緒や」と、一人ブツブツ言いながら歩く。美紀姫体調が最悪みたいだが個人装備のみで頑張ってもらう。田中もきつそうだが、そこは男の子、共同装備を持たせ頑張ってもらう。男二人はいつもと同じ、何故か仁恵が元気一杯でした。のんびり歩き剣沢小屋で一本。湯谷は別山乗越しまで行ってしまい、ご苦労なことに戻ってきた。湯谷に美紀姫の荷物を持たせて出発。乗越しで一本とり雷鳥沢まで一気に下る。私は持病の膝がとうとう痛み出し「立山越えは無理かな?」と考えながら下る。
 とりあえず危険な所は終り、皆無事下山間違いないと思うとホッとする。美紀姫おごりの今夜のフロ上りのビールは最高に旨かった。フロ代500円なり。
 B.C発9時~剣沢小屋12時30分~別山乗越14時~雷鳥沢着16時30分。
 20日、今日が最終下山日。湯谷、田中、仁恵は予定通り立山を越えて黒四へ。私と美紀姫はアルペンルートを利用して黒四へ、15時頃合流ということで出発。私と美紀姫は地獄谷経由。もうハイキング気分で途中記念写真を撮っていると(ある人に恋人同士ですか?)などと言われ、「本当にこんなにのんびり下山するなんて初めてだよ、こんなんでいいのかね」と、足を引きずり歩きながら考えていると、アッという間にターミナルに着いてしまった。途中、金をけちりケーブルに乗らないで歩いて失敗してしまいましたが(詳しくは美紀姫の文章で)、何とか無事黒四に着く。15時。30分して田中が、40分して湯谷が仁恵を連れて到着。(ああー終った。皆無事で良かった。)
 「さあ、温泉に行こう。そして安いビールを飲もうなあ湯谷」
 (冬にまた来たいね)と思いながら、剣・黒部を後にトロリーに乗る。お疲れ様、ご苦労様。
 B.P発9時~立山11時~東一ノ越13時30分~黒四15時30分と40分。新宿着朝5時半。

反省

  1. どうしても早寝、早起きができず予定がコロコロ変わった。私の責任です。
  2. 主食が多量に余ってしまった(無いよりいいか)。
  3. 混成パーティの宿命か、体力の差が出てしまった(湯谷は30kg背負っての立山越え)。やはり北アルプスに入山するなら、冬を目指すなら、終始20kgは背負って行動できる体力をつけましょう。

トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ255号目次